Micia様の後書き

 

 私が小学生のとき以来のベル・ファンに出戻ったのは、イタリアで、原作のイタリア語訳と サイドストーリー「薔薇一輪の物語」が掲載されたアニメ雑誌に出会ったのがきっかけです。 革命後も二人が生き残って、父と母になってほしかった…子供の頃、そう願ったことを、 イタリアのベル・サイトでサイド・ストーリーを読んでいて思い出したのです。 「ママン、泣かないで!」は、二人の間に生まれてくるはずの男の子の語りという設定が、 とても新鮮で、最後に二人の名前を読者に明かすところに心惹かれました。 (名づけることの意味を重くとらえているのだと思います。) この作品で、オスカルは、我が子の成長を見ることができない…、産むことさえもできない (臨月まで生きられない)かもしれないという、母親として最も悲しい状況におかれています。 しかもそれを、夫にさえも告げないで。そんな彼女の内面は、作品の表面には描かれていません。 訳しながら、どんな思いだったのだろうと考えていました。 男として生きた自分、女として育ったならば決して生き得なかった豊かな人生を生きた自分が、 同時に、母親になるという女性としての幸せを得ることは許されない、だから、罰として、 自分には死が待っていると思っただろうと解釈して、サイド・ストーリーを書きました。 ここでの、オスカルの祈りは、母としてだけではなく、人間としての祈りでもあります。 自分の体内に宿してはいても、その新しい命は、自分だけがなすべき償いの道連れにされるべき ではないと考えたに違いないと思うのです。

 

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