原題「LADY OSCAR」
<実写版でしか味わえない良さ>
・なんといっても本物のベルサイユ宮殿でのロケ!
・時代交渉の合った衣装、大道具、小道具
・本物のパリの街並み
・生身の人間が演じる臨場感
・映像が美しいのでそれだけで楽しめる
<物語について>
物語のすじはだいぶ変えられています。オスカルは環境の犠牲者として男装しているし、彼女が古い時代の様々な束縛を序じょに破り、最後には”自由”になる様が描かれています。一方アンドレはオスカルの成長と自己開放を導いていく重要な存在となっています。この映画のオスカルは常にアンドレに甘えていて可愛いです。「そばにいてくれ」「おまえがいないとさみしい」「昔のまま(兄妹のような関係)でいたい」こんなセリフを連呼しています。そのくせ、いざ愛を告白されると「(平民のおまえに)そんな権利はない」なんて、信じられないようなひどいセリフを吐いてしまう。この映画のオスカルはちょっと頼りなくて、「おろか」と感じさせてしまう。だからこそ、アンドレに引っ張られていく姿がかわいらしいという独特のオスカル像になっています。やはり、原作オスカルとはどう考えても別人。
こういう頼りなく可愛いオスカルだからこそ、アンドレはというと、これが超かっこよく、強く、頼りになるお兄さんにならざるを得ない。ジャルジェ将軍にいやみを言ったり、とにかく態度もでかい。初めから、アンドレは身分制度の不公平を態度全体で訴えているのです。ジャルジェ将軍に「厩番は僕の夢でしたから」とかオスカルに「召使とは口もききたくないのか?」とか、貴族のおごりに対する怒りでいっぱいです。やっぱり、アンドレも原作とは全くの別人。婚約をぶち壊してきたオスカルに対してさえ、「やっと一歩踏み出したな」なんて、冷静だし。(原作アンドレだったら、目にうるうる涙溜めて感きわまっちゃうだろうに。)「愛してる」と告白したら、「そんな権利は無い」とのひどいお答え。(あんたほんとにオスカルかい!?) 身分制度を肯定して生きている貴族のオスカルに対して「おまえは間違っている。俺にはおまえを愛する権利がいままでもそしてこれからもある。」というようなことをいいます。ここでも愛の告白に留まらず、オスカルの間違った考えを正そうとしているのです。常にアンドレがオスカルをリード。この構図で映画は描かれています。昔のままでいたいと思っているオスカルに「俺達は育って大人になったんだ」「時計の針は戻せない」と諭します。そして、だんだんアンドレに惹かれていくオスカルが「さびしい」と言うと、「何故だ?こうして、一緒にいるのに。二人とも淋しがって。」とこのセリフはまるで、「おまえだって俺のことを必要としているのだろう。だったら自分の心に素直になって、古い考えは捨てるんだ。貴族だから、俺への愛に素直になれないなんておかしい。人は皆平等なんだ。身分などという間違った考えは捨てて、俺の胸に飛び込んで来ればいいのに。」と訴えているような気さえしました。
でも何故かこのアンドレ、私には魅力的です。なんかカッコ良いのです。もちろん原作のアンドレも大好きですが。そこに生身の人間が演じる良さがあるのではないでしょうか?アンドレ役のバリー・ストークスさんは甘いマスクのハンサムで身長187センチの長身。長い足と壁に手を何気なく置いたりするポーズも実にかっこいい。原作のオスカルは178センチだからこのアンドレだったらバランスもいいなあなんて考えたりして。オスカル役のカトリオーナさんは169センチなので、ちょっと低めなのですよね。だから、オスカルとアンドレの身長差をずっと画面で見せ付けられるので、余計オスカルの印象が可愛くなってしまうのです。ほんとに兄と妹という感じで。原作オスカルは軍服姿も凛々しく、信念の為には何物も恐れない強く勇敢なヒロインですが、映画オスカルの軍服姿はアンドレの言うところの「原寸大の兵隊人形」というのがぴったりで、なんでこの人は軍人やってんだろう?とついつい思ってしまったり。なので、このオスカルが衛兵隊を率いてバスティーユに向かってたら、変?だったかもしれません(笑)。ラスト、一市民として革命に参加していますが、この方が自然ですね。
ハッピーエンドにしてほしかった!!
おそらく、原作オスカルと別人度NO.1に輝くでしょう(?)。原作と引き離して考えれば、これはこれで面白い物語です。ロマンチックだし、映像が綺麗だし。しつこいようですが、本物のベルサイユ宮殿は感動もの!!。ただ、あの残酷なラストは映画の作りとしては、いまいちのような気がしてなりません。残念でした。アンドレだけ死なせるという中途半端な悲劇にするなら、二人とも生かして、革命後自由な市民として、幸せになるという結末の方がこの物語の展開にはふさわしい気がするのです。オスカルはやっと古い束縛から解き放たれて自由になれたのだから、これからが出発なのに。原作オスカルはやはり、フェルゼンが言うところの「革命に生き」た死=生が妥当と思えますが。ここまでオスカルのキャラクターを変えてしまったのだから、ラストも二人が生きて幸せになるという映画独自の展開にしても良かったのでは?と思ってしまいます。この映画しか見ない人は何故こんな悲劇で終わるのか理解できるのでしょうか?後味の悪さだけが残るような気がしてなりません。
<実写版の勝手なみどころ紹介>
・アンドレ、オスカルの少年少女時代・・・
二人のじゃれ合いが可愛い。納屋で寝る二人。置き去られた剣はラストの納屋のシーンへの伏線か?。
・決闘前夜、オスカルの部屋のシーン・・・
アンドレのセリフ「縛ってでも行かせない」に愛を感じる。 オスカルのセリフ「今夜はそばにいてくれ」:思いっきり甘えてる、だだっこという感じ。全く世話がやけるという感じのアンドレ、寝顔を見守る目が優しい。
・酒場のシーン・・・
アンドレのセリフ「男じゃないからさ」:「おまえは女だ」といっている。アンドレの気持ちがそこはかと無くうかがえる。
喧嘩をして気絶しているオスカルを抱え、馬に一緒に乗っけて帰る。:ラブシーン以外で二人が密着しているシーン。アンドレはオスカルの保護者という感じでいい。
・オスカルのドレスシーン・・・
ばつの悪そうなオスカルにアンドレが一言、「美しい・・・」。:みとれてます。オスカルの白いドレス姿はおとぎ話のシンデレラ姫のように可憐です。異国の伯爵婦人という感じではありません。
アンドレがオスカルの唇をうばう。愛の告白。:ドレス姿のオスカルとアンドレのラブシーン、映画と、昭和版宝塚にもあったそう。なんだか普通の男女みたい。
・アンドレとジェローデルのシーン・・・
「きみを雇ってやろう」というジェローデルにアンドレがワインをぶっかける。「この通り、私は不器用です。(雇うのを)やめた方がいいですよ。」:
かっこいいー!!
・ジェローデルとオスカルのシーン・・・
「剥製の鷹はお好き?」「マルキ・ド・サドは?」「香水風呂は?」「君に教えていくのを想像するとどきどきする。愛の奥義。情事の手練手管。」
や、やらしいやつだ。原作のジェローデルもキザで好きだけど、このやらしく迫る妖しいジェロさんもなんか好きです。
・パリの路地で・・、牢獄につながれたときに・・、ジャルジェ将軍に負けそうなときに、・・・
どこからともなく現れ、オスカルを助けるアンドレはかっこいいー! 君は危なっかしいお姫様(オスカル)を守るナイトだ。
・納屋のシーン・・・
オスカルのセリフ「今こそ二人で行く時だ。」 「愛してるよ、アンドレ」。二人はやっと結ばれる。アンドレの手をひいていくオスカル。何故か、この時ばかりはオスカルがイニシアチブを取っています。これは原作ぽくて好きです。このシーン感動しました。
<映画のここがちょっと?んんん???な部分>
・とっても女性的なプロポーションのカトリオーナさん(これがそもそも不評の一番の原因かも?)が演じるオスカル=どっからどー見てもおんなにしか見えない!!のに男だと思ってたフェルゼン。・・・ばあやにも「どんなおばかさんが見てもわかると思いますけど」となにげにつっこまれていた。・・・
・身を売ろうとオスカルに声をかけたが断られたロザリー。ところが彼女を買おうとしたアンドレ君。ここまでなら、オスカルに対するあてつけとも思えるので、私は好意的に受け取った。が・・・・・・しかし!?なんだ?そのあとのアンドレは?。オスカルがお金を恵んであげたので喜んで駆け出していってしまうロザリーを「約束はどうした?」とか言って追いかけていくではないか!?し、しつこい!、ほんとにあんたまさかオスカルの見てる前で女を買おうとしたんかい??それでもアンドレか!!!
・ジャルジェ家の馬車に隠れてベルサイユ宮殿に忍び込んだロザリー。ポリニャック婦人の首をしめるが。・・・なんなんでしょう。このシーン。必要だったんでしょうか?私にはわかりません。!
カトリオーナさん、素顔は大人っぽいブロンド美人なのに、オスカルのかつらをつけると何故かかわいくなってしまう・・・。素顔の方がオスカルっぽいかも。理代子先生、この映画結構気に入ってらっしゃるのでしょうか。月刊「Jam」に連載された外伝でジャルジェ家の内部、アンドレの服が映画そっくりになっています。ちなみにアニメでも前半に出てくるジャルジェ家の内部は映画そっくりです。アンドレのお洋服が茶色なのも映画から?