星降る夜
ノエルの晩餐が終わり、ジャルジェ夫妻の居間にまだ嫁いでいない2人の娘と今日で満10歳の誕生日を迎えた跡取り“息子”オスカルが集っていた。夕食の後にこうして家族水入らずで過ごすことなど、1年を通しても復活祭と降誕祭の2日だけだった。当主のジャルジェ将軍は多忙の日々で、屋敷に戻っても娘達と一緒に過ごすことなどめったになかった。そんな貴重であるはずのノエルの晩餐の後の時間に、オスカルはそわそわとした気持ちを抑えながら、時計の長い針があと180度進んだ位置になったら、両親におやすみの挨拶をしようと決心していた。ジャルジェ将軍は、美しい娘達とそれ以上に美しい跡取り“息子”を眺めながら満足そうにブランデーを味わっていた。彼にとっても家族ですごすノエルは特別な思いがあり、ましてや跡取り“息子”のオスカルが生まれた日ということで毎年、この日だけは何を置いても仕事をしないと決めていた。そんな夫の様子を優しいまなざしで見つめる彼の妻は、娘達と彼女たちへの贈り物について話の花を咲かせていた。女3人寄ればかしましい・・・と誰が言ったか、母と娘の優しくにぎやかな風景がそこにあった。そんな中でオスカルだけは気持ちここにあらずといった風情で食後のショコラの入っていた、そして今は空になったカップを手のひらの上で転がしていた。彼女は晩餐が始まるまで幼馴染のアンドレと一緒になって夢中で読んでいた本の続きが読みたくて読みたくてうずうずしているのだ。
いつもなら、父の書斎から子供でも読める冒険小説を見つけて二人で頭をつき合わせるように読むのだが、ノエルということで、今日はそれらしいタイトルを本を手にとってみた。習いたてのイタリア語で書かれていたため、二人でああでもないこうでもないといいながら読みすすめるとそれは二人が今まで読んだことのないような、健気に生きる乙女の美しい話だった。冒険小説のようにどきどきもわくわくもしないけれど、何故だか二人の心をつかんではなさなかったのだ。朝からずっと二人で読み進めていたが、ジャルジェ将軍のもとにノエルの挨拶に訪れる客人が来るたび、跡取り“息子”として挨拶しなければならず、オスカルが呼び出され、その都度二人の読書は邪魔をされていた。客間に呼ばれるたびにオスカルは
「アンドレ、一人で先を読んだら承知しないからな。ちゃんと僕を待ってるんだぞ。」
と怖い顔でいうため、アンドレは渋々本を閉じてオスカルが戻ってくるのを待たなければならなかった。
オスカルが両親の前でそわそわと時間の経過を待っているちょうどその時、一方のアンドレは、これまた年に2回だけ使用人が揃って取る夕食のテーブルに彼の祖母であり、この屋敷の女中頭であるマロン・グラッセの隣に座ってノエルの夕食を食べていた。ジャルジェ夫妻は日ごろの感謝を込めて、使用人たちのノエルの晩餐を皆で揃って食べられるように、自分たちの晩餐が終わったあとは使用人たちに用事をいいつけることのないよう、自分たちの居間に子供達を集めて時間を過ごしていたのだ。
11歳のアンドレは食べ盛りで大人と同じ量を軽く平らげ、遂には祖母の皿にまで手を伸ばしていた。
「やれやれ、お前よく食べるねェ。」マロン・グラッセはあきれたように言った。
「そりゃそうだよ、ばあやさん。アンドレだって11歳だ。これからどんどん背も伸びるころだからね。」
「そうだよ、おいらがこいつくらいの頃には・・・。」
使用人たちのお喋りをよそに、アンドレはデザートに取りかかりながら、早く本の続きが読みたいと考えていた。
(俺たちがここにいる間はオスカルも部屋には戻れないだろうけれど・・・。)
アンドレは食器棚の上に置かれた時計に目をやった。
使用人たちの食事が終わった合図に、マロン・グラッセがショコラのおかわりを子供達に持って夫妻の居間に入ってきた。それを合図にオスカルは立ち上がり「父上、母上、オスカルは下がらせていただきます。」
と勢い良く言った。突然だったため、夫人が驚いて尋ねた。
「どうしたのですか、オスカル。今日はノエル。せっかくお父様もいらっしゃるのですから、もう少しゆっくりしてもいいのですよ。」
優しい母にそう言われると、意地を通して自室に戻ることができなくなった。仕方なく、今まで座っていたカウチに座りなおし、マロン・グラッセから暖かいショコラを受け取った。
「メルシー、ばあや。」
ショコラはうれしいけれど、あとどのくらいここにいなければならないのか、オスカルはそればかり気にしていた。
その頃アンドレは、オスカルが部屋に戻ってこないかと彼女の部屋の前の廊下をうろうろしていた。部屋に灯りがついていないところをみるとまだ当主夫妻の居間にいるようだ。そこに、オスカルの寝台の準備をしにマロン・グラッセがやってきた。
「おや、アンドレ、こんなとこでお前何をやってるんだい。」
「え、あ、いや・・・。オスカルにおやすみを言おうと思って。」
「何きどったことやってるんだい。オスカル様はまだ旦那様と奥様のお部屋にいらっしゃるよ。今夜はノエルだ、ご家族揃って遅くまでお過ごしになるんじゃないかねぇ。お前はさっさと自分の部屋にお戻り。今夜は冷えそうだ。暖かくして寝るんだよ。」
祖母にそういわれてしまっては、アンドレもアンドレで抵抗できない。下手に反抗すると祖母の愛のムチである手が飛んでくるのだ。
「うん。ボン・ニュイ、おばあちゃん。」
「いいノエルの夢を見るんだよ。」
アンドレは祖母の優しい言葉よりも上の空で、本の続きが読めないことにがっかりと肩を落として最上階にある自室に戻っていった。
やっと自室に下がったオスカルは、夜着の準備をしてくれるマロン・グラッセにたずねた。
「ばあや、アンドレはもう寝たの?」
「え〜え、あの子ならさっき、オスカル様の部屋の前でうろうろしてたんで、あたしが返しましたよ。なんでもオスカル様におやすみをいいに来たとか。何を気取ったことしてんでしょうね。」
「そう・・・。」
オスカルもがっかりしてしまった。本は彼女の部屋にある。自分一人で読もうと思えば自分だけ楽しむことはできたが、昼間、客人が来るたび、アンドレに一人で読み進めるのを禁じた手前、今自分一人で読むわけにいかない。それに、アンドレと一緒だから余計におもしろいことを彼女は知っていた。素直に促されるまま、オスカルはベッドにもぐりこんだ。マロン・グラッセが寝台の中を暖める道具(湯たんぽのようなもの)で十分暖めていたため、毛布の下もぽかぽかと気持ちがよかった。
「おやすみなさいまし、オスカル様。いいノエルの夢を。」
「ボン・ニュイ、ばあや。」
マロン・グラッセは部屋の灯りをそっと消して出ていった。が、オスカルはどうしても本の続きが気になって眠れなかった。遂に暖かな寝台を抜け出し、隣の自分の居間に置いてある本のところに行った。本を開こうとしたが、やっぱり罪悪感に駆られる。自分一人で読んでしまうのはあまりに卑怯な気がしていた。
「よし。」
オスカルは夜着の上からガウンを羽織り、寝台にかかっている足元用の小さな毛布を小脇に抱え、本と蜀台を持ってそっと部屋を出た。向かうはアンドレの部屋。階下では使用人たちが夜の後片付けをする音が聞こえる。足音を忍ばせて、アンドレの部屋のある最上階につながる階段を上っていった。
アンドレもベッドに入ったものの、やはり本の続きが気になっていた。あの後、主人公の乙女はどうなるのだろうか。自分の想像が膨らみ、ますます目が冴えた。
コンコン。
小さく自分の部屋のドアをノックする音が聞こえた。キィッと軽い音を立ててドアが開く。廊下の薄明かりを受けて小さな影があった。顔がはっきり見えないが、まぎれもなくオスカルのシルエット。
「どうした、オスカル。」
「しぃぃっ」
オスカルはすばやく部屋の中に忍び込みドアを閉めた。
「よかった、アンドレ。まだ起きていて。」
「本の続きが気になって眠れなかったんだ。」
「僕も・・・。」
二人は顔を見合わせて小さく笑った。オスカルがアンドレの寝台のもぐりこんだ。オスカルの寝台の3分の1くらいの大きさしかないが、子供2人には十分だった。寝台の中は暖かかった。
「アンドレ、あったかいな。」
「俺がベッドに入ったときは冷え切っていたぞ。俺が暖めておいたんだ。感謝しろよ、オスカル。」
「おい、そんなことより本だ。」
寝台の横の小さなテーブルに置いたオスカルが持ってきた小さな蜀台のろうそくの光が揺れる。二人の子供はそっと本を開いた。
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「わが心はイエスとともに」というタイトルの本は、一人の乙女が一人の青年を子供の頃からずっと思いつづけるという話だった。乙女は青年に自分の気持ちを告げずにただひたすら、神を信じ、生きる喜びを胸にひたむきに生き、あるノエルの夜に遂には青年に思いが通じて結ばれるという美しい物語だった。短い話だが、子供の二人がイタリア語で読破した最初の本だ。読み終わると二人揃って溜息をついた。本の中の美しい愛の世界が子供の二人を言われようもない世界に誘っていた。これまで読んだ冒険小説とはまったく違う世界を見たようだった。二人が読み終わる頃には屋敷の中もすっかり眠りの中にあった。静けさの中でオスカルが寝台の中で頬杖をついて宙を見つめて言った。
「いい話だ。」
「うん・・・。」
アンドレもオスカルと同じポーズで返事をする。
「アンドレ、この乙女のように自分を信じ続け、好きな人を信じ続けて生きるってどんなだろう。」
「思いが通じないときは辛かっただろうけれど、乙女のひたむきさに神様が味方してくれたんだよ、きっと。」
「それにしても、二人が結ばれるところ。雪の一片が宝石に変わる心地だって書いてあった。人を好きになると、そんな風に感じるんだろうか・・・。」
二人は本の中の美しい愛の物語の余韻で満たされ、ますます目が冴えてしまった。乙女と青年が結ばれたノエルの夜の星空を表現した件をもう一度読みながら、二人はカーテンを空けて、夜空を見上げた。屋敷の最上階の窓から見える星はなんだかいつもより輝きを増しているようだとオスカルは思った。オスカルが自室から持ってきた小さな毛布に二人揃って包まり、窓辺に座った。窓からは満天の星空が見える。星明りが部屋に刺しこむ。ベルサイユの冬にしては珍しいほど、冴え冴えと晴れ渡った星空だった。まるで星が降ってくるほどに。二人はそれぞれ、いつか出会うかもしれない、自分の思い人に思いを馳せた。
(僕もいつか、あの乙女のように、誰かを好きになるときがくるのだろうか・・・。)
(俺が好きになるのはいったいどんな女の子だろう・・・。)
それぞれの思いを口に出さず、二人はいつまでもノエルの星空を見上げていた。
―夢の続きのような、鮮やかな光
注ぐ彼方の中に選ばれし乙女
祈りの歌声星空に届き
愛の奇跡がまた一つ生まれる
生きる歓び胸に ただひたすらに
信じつづけた日々 今宵むくわれる
雪のひとひら 宝石に変わり
愛の奇跡がまた一つ生まれる
触れた心の数、出逢いの数だけ
人に優しくなれる クリスマスの夜
暗いしじまが二人を包み
愛の奇跡がまた一つ生まれる―
=「我が心はイエスとともに」=
Fin