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=はじめに=

今回から始まります「影   a l’ombre de Andre・・・」は、

原作と切り離したまったくのフィクションです。原作の登場人物のシチュエーション

からこんなことも考えられるなぁ、という発想から生まれたお話ですので、皆様のお

持ちになっているイメージと離れることもあるかと思います。あくまで1つのファン

・フィクションとして受けとめてくださり、お楽しみ頂けたら嬉しく思います。―G

emini―

 

 

 

  影   a l’ombre de Andre・・・

=1=

 大きな樫の木のドアが少年の前に立ちはだかる。重く、雄々しい何かがこの向こう

に自分を待っているような気がして、少年はそのドアを開けるのを躊躇していた。開

けてしまえば、自分の何かが変わるような予感がした。だが、開けないわけはいかな

いのだ。少年は大きく深呼吸を一つして、ドアを叩いた。

「旦那様、アンドレです。」

「入れ」

ドアは重く開きながら、ゆっくりと一つの世界へと少年を誘っていく。開け放たれた

ドアの中には、黄昏色の光を受けてしずかに時が流れる世界があった。あまりに重厚

で、少年は何かに押しつぶされそうなほど、胸にずしりとした重みを感じた。壁一面

に貼りつくように作られた本棚には赤や緑の皮革で装丁された本が美しく並べられ、

部屋の中央には大きな読書用の椅子とともに、人一人が身を横たえることができそう

なほどの卓が置かれている。そして、その向こうに、こちらに背を向けて大柄な男が

大きな椅子に身を沈めるように座っている。窓から指しこむ光が逆光となってその男

の横顔がシルエットで浮かび上がっていた。

 その男・・・この屋敷の当主であり、フランス王家の信任も厚い名門武門の貴族、

レニエ・ド・ジャルジェ将軍は、端整な顔をゆっくりと少年に向けた。

「アンドレ、こちらに来い。」

この屋敷の女中頭の孫であり、両親が死んで身寄りがなくなったために、ジャルジェ

家の末娘で、実質的な跡取りであるオスカル・フランソワの護衛として引き取られた

少年、アンドレは、自分が何故一人で当主に呼ばれたのか判らず、おずおずと当主の

前に歩み寄った。彼が屋敷に引き取られてから3年が経とうとしていたが、こうして

当主と1対1で話すことなどなかったため、何が起こるのか想像できずに当惑した面

持ちをしていた。その少年にジャルジェ将軍は向き合い、静かに彼を見つめた。冴え

冴えとした青い目の視線がアンドレに注がれる。オスカルと同じその青い目に見つめ

られるとアンドレは、なにやらほっとするものを感じ、青い目という共通項だけで、

当主が自分の身近な存在に思えてしまっていた。

「アンドレ、お前がこの屋敷にやってきてから今日まで、わたしはお前をずっと見て

きた。オスカルは女でありながら、わたしが跡取りとして男として育て、軍人となる

べく教育をしてきたせいか、友達といえる友達がいなかった。そのオスカルが、お前

とは初対面のときからウマが合い、お前達は兄弟のように育ってきた。」

将軍の言葉を聞きながらも、彼が何をいわんとしているのか、アンドレは必死で探ろ

うとしていた。彼が護衛する末娘は、男児が生まれなかったジャルジェ家の跡取りと

して、産まれたときから男として育ち、アンドレにとってもこれまで会った誰よりも

気が合う親友となっていた。二人の間には貴族と平民などという身分の差など問題で

はなかったし、いつも子犬がじゃれあうように、共に遊び、共に学び、輝くような子

供時代を一緒にすごしている。

「お前は、快活で、いつもその瞳には曇りがない。素直さとかしこさを備え持ち、等

身大でオスカルに向き合っている。そんなお前を見込んで、わたしの一世一代の頼み

があるのだ。これは、ジャルジェ家の当主としての頼みではない。オスカルの父親と

して、男同士としてお前にやってもらいたいことがあるのだ。」

アンドレは驚いた。当主としてではなく、男同士としての頼み事とはいったい・・

・。

「アンドレ、オスカルはもうすぐ仕官学校に入学する。これまでは、家の中で自由に

男として生活していたが、だが、オスカルはまぎれもなく女なのだ。女が仕官学校に

入学するというだけでも前代未聞だが、わたしが仕官学校の学長と陸軍大臣を説き伏

せてなんとか入学にはこぎつけた。だが、今後は何もかもが男と同じというわけにい

かぬ。しかも、ジャルジェ家の跡取りともなれば、軍隊の中でも人の上にたつ事を前

提としなければならない。女が男の上に立つ・・・、これがオスカルにどれほど過酷

な道かは、わたしも想像はつく。だからこそ、アンドレ、わたしはお前に、オスカル

の影の役目をしてもらいたいのだ。」

「影・・・?」

「そうだ。常に男の上に立つには、男の数倍の能力を必要とするだろう。オスカル一

人では難しかろう。だが、あれを支える影がいれば、それが可能になる。そのために

お前に特別な教育を受けてもらわねばならない。オスカルの影としての仕事ができる

特別な教育を。」

「特別な教育・・・とは・・・旦那様、いったいそれは・・・。」

「今は詳しいことは言えぬ。だが、その教育はお前にとっても辛いものとなるだろ

う。アンドレ、私は娘を表立って自分で支えてやることはできないのだ。だが、お前

なら、オスカルの影になれる。私はお前にオスカルを託す。どうだ、アンドレ、やっ

てはくれまいか。」

「オスカルの影・・・?」

アンドレは自分に降りかかっている運命がどんなものなのか想像さえできないでい

た。だが、男同士の頼み事だという目の前の当主の決心が、ただ事ではすまされない

内容であることを容易に把握することが出来た。しかも、オスカルを自分に託すとい

う言葉がアンドレの頭から離れなかった。彼にとってもオスカルは大切な存在であっ

た。オスカルだったからこそ、「貴族のお嬢様の護衛兼遊び相手」として引き取られ

てきた平民の子である彼が、これまで卑屈になることなく過ごすことが出来たのだ。

彼はオスカルが大好きだった。そのオスカルの助けになるのなら・・。

「わかりました、旦那様。オスカルのためになるというのなら、俺、オスカルの影に

なります。」

アンドレは真摯な目でジャルジェ将軍を見つめていた、一点の翳りもない、少年らし

い黒い瞳が一つの決心できらきらと輝いていた。

 

 オスカルが仕官学校に入学してすぐ、彼女が授業を受けている間を縫って、ジャル

ジェ将軍はアンドレを伴い、“ある場所”を訪れていた。そこはベルサイユ近郊の森

を抜けたところにある小さな館で、アンドレはこんなところに館があるのさえ信じら

れず、人気のないその風情に寒々とした空気を感じ取った。

 扉を開けると、年老いた紳士が出迎えた。小さく一礼すると、彼はジャルジェ将軍

の訪問を最初から分かっていたことのように何も聞かずに奥の部屋に案内する。ほか

に使用人はいないようで、館の中は静か過ぎるほどだった。奥の部屋のドアの前で、

将軍は逡巡していた。果たしてこれでよかったのだろうか・・・。アンドレはオスカ

ルの1歳年上にすぎない。その子供にこのような過酷な運命を背負わせてよかったの

だろうか・・・。将軍はアンドレに視線を向けた。だが、背筋を伸ばし立つ、この無

垢な瞳の少年の姿に、将軍は自分と、そして娘の運命を賭けてみようと決心した。

 ギッと重いドアがきしむ音を出しながら開けられる。ダマスク織りのカーテンがか

かる部屋は、華美ではないが、住人の趣味のよさをうかがえる秀麗さを持ち合わせて

いた。そして部屋の奥から、一人の男が現れた。黒い長髪はまっすぐと垂らされてい

る。その髪に縁取られる顔を見てアンドレは凍りつく思いがした。顔の造作は美しい

のに、その瞳はあまりに冷たい。暗黒の世界に導く使者―。この世の悦楽とは無縁の

世界しか知らない、地の底からやってきた者のような目。

 偉丈夫なその男はジャルジェ将軍と二言三言言葉を交わし、アンドレに近づくと、

顎に手をかけ彼を値踏みするように上から見下ろした。自分を凝視する冷たい目をア

ンドレは、臆することなくまっすぐみつめた。少年の濁りのない視線を向けられる

と、その冷たい、人の世の哀しみを全て背負ったかのような絶望を湛えた目の奥に、

一瞬、今も消えない情熱の残り火がかすかに燃え上がった。

「よろしい。お預かりしましょう、ジャルジェ将軍。」

男がジャルジェ将軍に振り返りながら言う。

「そうですか、あなたに承諾頂けたということは、アンドレは見込みがあるというこ

とですな。」

「それはこの少年次第、ということですな。ただし、私が預かった以上、私のやりか

たに例えあなたといえども口出しなさらぬよう。」

「わかっております。」

「では、早速今日から始めましょう。あなたはこのままお引取りを。3時間後に迎え

の馬車を寄越してください。分かっておられるでしょうが、馬車の御者には・・

・。」

「分かっております。この場所を知るのは、私と、我が家とは関係のない特別に雇っ

た御者のみです。御者には口止め料をきちんと払ってやっておりますので、心配はご

無用。」

男はだまってうなづくと、ドアのほうに手を指し示す。ジャルジェ将軍は一礼して部

屋から出ていった。

 残されたアンドレは今から自分の身に何が起こるのか不安で、心もとない様子で立

ち尽していた。男が蜀台に灯を点し始めた。こんな昼間から何故灯りが必要なのか、

とアンドレは男の行動を訝しく思いながら見守った。やがて、部屋の奥にある大きな

飾り棚の前に男が蜀台を持って歩み寄り、振り向きざまに片手をアンドレにさし出し

た。アンドレは何かに導かれるようにゆっくりと男の近づく。男がその飾り棚をゆっ

くりと押すと、棚と壁が一緒になって扉のように開いた。扉の向こうは地下へと続く

階段が見える。やはりこの男は地底からの使者なのだ、とアンドレは思ったが、不思

議と怖くなかった。そのまま、男の後に続き、地下に続く階段を降りていく。階段を

降り切ったところには大きな空間が広がっていた。地下にこれだけの部屋をよく作っ

たものだと感心するほど、高い天井と石の壁に囲まれている。ここでは外の音はまっ

たく聞こえず、ここの音も外には漏れ聞こえることもないだろう。アンドレは初めて

みるその不思議な部屋を見渡しながら、確認するように部屋の中をゆっくりと回り始

めた。

 次の瞬間、アンドレの目の前を何かがものすごい速さで通りすぎた。彼は自分の横

の壁に目をやるとそこには、古びた的に刺さるナイフがキラリと鈍い光を放ってい

た。今、自分の鼻先を通りすぎたものがナイフだったとわかってアンドレは冷や汗が

出た。そしてナイフが飛んできた先に視線を移す。そこには、冷たい目をした男が砥

ぎ澄まれたナイフを持って、無感動な表情のままアンドレに近づいてきた。その目に

見つめられ、アンドレは身動きを取ることができなくなっていた。

se continuer

 

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