影   a l’ombre de Andre・・・

 

=最終話=

―まただ・・・。

アンドレはオスカルの視線に気付いて目を逸らした。あのように見られたら、誓いを

破ってその唇を奪いたくなると、アンドレは逃げるようにオスカルの視線から逃れ

た。

(俺を憐れんでいるのか、オスカル。振り向いてもらえなくとも報われない愛に殉じ

ることを決めた俺を・・・。)

アンドレはそっと目を閉じた。あの日・・・、オスカルに愛の告白をしてしまったあ

の夜以来、自分の中に存在する焔が以前よりもさらに激しく燃え上がっている。彼の

心の中にいつも存在したオスカルへの想いは、やがて情熱となり、愛することを知っ

て焔となった。それがあったからこそ、「影」として生きてこれた。だが一方で、そ

の焔は、永遠に満たされることのないゆえに業火となり、彼自身を焼き尽くそうとし

ていた。自分の想いを告げるまでは、精一杯押し殺していた愛が、今は止める事が出

来ないほど彼の全てを支配していく。以前は自己抑制できていた熱い視線で彼女を見

る自分に気付いて驚くときもある。

「このまま・・・お前に狂い死にしても構わない・・・・。」

そう呟きながらもアンドレは自嘲的に笑った。

「そんなことを言えば、お前は困惑した顔をするだろうな・・・。」

激しすぎる愛は、時に狂気に姿を変えるときがある。

(例え本当にお前に焦がれ死んだとしても、俺は後悔しない・・・。)

一度は自分に投げかけられる愛しい人の視線から逃れたものの、彼女を見ずにはいら

れない衝動のほうが勝り、アンドレは再びオスカルの姿を目で追った。

「お前を・・・愛している。オスカル。」

 

「思いが募っていく・・・。」

オスカルの口からふと漏れた言葉に、彼女自身が動揺した。

(あの日、アンドレに愛の告白をされたあの夜、私はやっと女である自分に向き合え

た。男であるアンドレから逃げることもやめた。そして私は・・・。)

 オスカルはアンドレを見詰めていた。幼い頃から当たり前のように自分の側にいて

くれたアンドレ。女でありながら軍籍に身を置かなければならなかった自分の“影”

として、ずっと自分を支援し、守り、包んで・・・そして愛してくれた。自分が全て

をさらけ出せるただ一人の人間。自分が最も自分らしくいられる存在。だがオスカル

にとって、アンドレが既にそれだけの存在ではなくなっていることを彼女は果てしな

い沈黙のうちに悟り始めていた。

「理由などないのだ。」

オスカルはつぶやいた。

「理由などない。女である私が、男であるお前を見たとき、お前が欲しいと思った。

ただそれだけだ。あの日、アルクバインの前で自分は影だと言いきったお前を欲した

私がいた。あの瞬間の焼けつくような思いが私の中で育まれ、募り、今では私の全て

を満たしている。お前を独占したい。これ以上黙っていたら、私は自分の想いに潰さ

れ、気が狂う。」

胸の苦しみに耐えかねたオスカルの瞳から涙が溢れ出した。

「お前を・・・愛している。アンドレ。」

 

 果てしない時、二人が共に刻んだ時。光と影が織り成す時間の流れが緩やかに二人

に注ぎ込みはじめた。幾つもの昼と、幾つもの夜を越えて、運命の星が今、オスカル

とアンドレの二人の手をとり、結び合わせようとしている。太陽と月、光と影、相反

するかのように見えるものは、ともに存在してこそ意味を成す。

 ジャルジェ家の中庭に咲く冬薔薇が夜の闇に馥郁とした香りを漂わせている。風雪

に耐えて咲くその花を見詰めてオスカルは愛しさを感じずにはいられなかった。

「小さな花よ、お前は、どれほどの寒さと厳しさに絶えてきたのだ・・・。」

思わず声が詰まる。訳もなく、涙が春の湖水のようなその瞳から溢れ出した。

「・・・オスカル?」

垣根の向こうから聞こえる声にオスカルは身を固くし、涙を拭った。

「ああ、オスカル、ここにいたか。今、衛兵隊本部から連絡があった。明日の将校ク

ラスの会議はブイエ将軍体調不良のため延期になったそうだ。」

自ら願い出て近衛から衛兵隊に転属したオスカルには、近衛時代より過酷な問題が襲

いかかっていた。それまでとはまったく違う兵士たち、女の准将に慣れていない将校

たちとの折り合い。そんな毎日の中、特別入隊したアンドレが近衛時代より彼女の側

近くにいてくれることがオスカルの得られる唯一の安心だった。

「ああ・・・、わかった。」

顔をアンドレから背けて返事をするオスカルの様子が、何故か儚げでアンドレは心配

になった。

「どうか・・・したのか?オスカル。」

アンドレはオスカルを気遣うように顔を覗きこんだ。それにさえもオスカルは顔を背

ける。

「どこか具合でも悪いのか?そんな薄着のままでこの寒空にいるからだ。ほら、早く

部屋に戻ろう。」

途端にオスカルの肩が震え出した。

「もう・・・耐えられない・・・。」

どこかに甘さを含んだ声が返る。

「え?」

「これ以上、黙っていたら、私は狂い死にする。」

「オスカル?」

涙で光る蒼い瞳が振り返って真っ直ぐアンドレを見詰め、薔薇色の唇が溢れる想いを

伝えようとゆっくりと開かれる。

「お前を・・・愛している、アンドレ。」

搾り出されるようなその言葉を聞いて、心配げにオスカルの顔を覗きこんでいた黒い

瞳がみるみる大きく見開かれた。動揺と懐疑が交錯していた。

「愛している、愛している、愛している。この想いは止められない。」

うつむいて、その想いと同様に溢れ出す愛の言葉がオスカルの声に乗って紡ぎ出され

た。彼女の肩は相変わらず震えていた。アンドレは何が起きているのかを理解するだ

けで精一杯だった。何かを言うとか、彼女を抱きしめるとか、そんなことさえも意識

の彼方に飛び散って、たち尽くしていた。

 うつむいていたオスカルが顔を上げ、蒼い瞳がアンドレに向けられる。不安と愛の

誇りの双方を秘めた冴え冴えとした偽りのない瞳に見詰められて、アンドレは初めて

現実に立ち戻ることができた。嘘ではないのか、夢ではないのかと、何度自分の心の

中で問いただしても信じられなかった答えを、今、目の前の蒼い瞳がはっきりとアン

ドレに与えていた。

「オスカル。」

「アンドレ、私は無力だ。一人では何もできない。私の存在など巨大な歴史の歯車の

前では無にも等しい。誰かに支えられたい、誰かに甘えたいと、そんな心の甘えをい

つも自分に許している人間だ。それでも愛しているか?愛してくれているか?」

問われる問いに言葉が出ず、アンドレはただ大きく頷くしかできない。

「生涯かけて私だけか?私だけを一生涯愛しぬくと誓うか?」

「その言葉を・・・もう一度言えというのか。命を賭けた言葉を。愛している。生ま

れてきてよかった。」

「アンドレ」

オスカルは歓びに震えながらアンドレの胸に飛び込んだ。固く抱き合う二人の声を掻

き消すように、一陣の風が吹きぬけ、木々をざわざわと揺らした。アンドレは信じら

れないように、そしてガラス細工に触れるような手つきで目の前のオスカルの顔を両

手で包み込み、見詰めた。彼の中の焔が燃え上がった。来るはずもないと思っていた

この瞬間に、彼は命の全てを賭ける。オスカルの唇にアンドレの唇が燃えるように重

ねられていった。

 運命の星は長い時間をかけて、今やっと、オスカルとアンドレの手を結びあわせた

のだった。

 

 

 パリの街は、相変わらず喧騒と退廃を極め、そして人々の鬱憤が革命の火種に姿を

変えようとしていた。だが、それでも人々には日々の暮らしがあり、小さな笑いや喜

び、悲しみ、涙があった。そんな人間の様々な思いが集まる酒場で、アンドレはアン

ヌと強めの酒を酌み交わしていた。

「アンドレ・・・あんたいい顔をしているよ。」

突然アンヌが言った。

「今ごろ気付いたのか?」

はぐらかすようにアンドレが笑った。

「しょってるじゃないのさ。そういう意味じゃなくって・・・。あんたの姫さんは、

本当にあんたの姫さんになったんだね、ってことさ。」

アンヌの言わんとしていることが何かをアンドレは理解し、その問いには答えず、た

だ静かに微笑む。

「長かったねェ・・・。ここまで。」

「アンヌ?!」

アンヌはいつもの皮肉っぽい口調をひっこめ、慈愛に満ちた笑顔をアンドレに向けて

いた。

「・・・長くなんかなかったさ。」

アンドレは節目がちにしみじみと答える。

「俺はずっとオスカルの側にいられた。俺たちはずっと二人で歩いてきたんだ。長く

なんかなかった。あの苦しみも悩みも迷いも、数々の涙さえも・・・、それらの全て

が俺を幸せにした。心の底からそう思う。」

アンヌは愛を勝ち得た目の前の男を眩しげに目を細めてみつめた。

「アンドレ・・・ありがとう・・・。」

「アンヌ?なんであんたが俺に礼を言う?」

「いいじゃないのさ。あたいが珍しく素直な気持ちになってるんだ、きちんと人の話

はお聞きよ。」

アンドレは昔と変わらないアンヌの口調に苦笑しながらも彼女の話に耳を傾ける。

「あたいはね・・・男なんか頼らない、男なんか信じないって思ってきた。あたいの

父親ってのが、女にはだらしない男でねぇ・・・。黒百合の中でも次々に女に手をつ

けてさ。母さんはいつも嫉妬と猜疑心に悩まされて生きていた。当然、あたいも男に

不信感しか抱けなかったさ。でも、そんなあたいも一人前に恋をした。ふふふ・・

・。相手が悪かったねェ。アルクバインのだんなはあたいのことなんか、自分の手先

にしかみちゃいなかった。惚れた男に女として必要とされない悲しさ。あたいの男へ

の態度は虚栄心となっていった。この世に女を心底愛せる男なんかいないと思ってい

た。女のことを思い、女を道具扱いせず、女を支援できる男なんて所詮は女の中の理

想にすぎないと思っていたのさ。だが、あんたはオスカル様を愛しつづけ、影となっ

て、自分のすべてをかけて彼女の人生を思いやっている。あたいはね・・・、あんた

の中に男の真実を見たのさ・・・。世の中にはこんな男もいるんだって。あたいは神

様に感謝したよ。」

「アンヌ・・・。」

「ふふふ・・。あたいが10歳若かったら、間違いなくあんたに惚れていたね。だか

ら・・・礼を言わせておくれ。あんたがあたいの心を救ってくれた。アンドレ・・・

ありがとう・・・。」

「アンヌ・・・。」

アンドレは、初めて聞くアンヌのアルクバインへの思いや、彼女のどこか世を拗ねた

ような物言いの陰に隠されていた生い立ちに、改めて人ひとりの人生の機微を思い

知った。苦しんでいたのは自分だけではない。人に言えない思いに打ちのめされてい

た、もう一人の同志。アンドレは目の前の年上の女に、改めて心からの敬愛を感じて

いた。

「そうそう、あんたに言おうかどうか迷ったんだけど・・・。」

話の流れをわざと変えるように、アンヌは思いついたように言った。

「アルクバインのだんなだけどさ・・・。故国のオーストリアに帰ったそうだよ。も

う、フランスにいる理由がなくなったからって。」

「あれからムッシュウに会ったのか?」

「いいや、あたいは直接には。あの屋敷にいた年老いた執事がね、そう言っていたっ

て。」

「あの人は、これからもポンパドール夫人の面影を抱いたまま生きていくんだろうか

・・・。」

そういいながらアンドレは、最後に見た錯乱状態のアルクバインの姿を思い出してい

た。

「アルクバインのだんなは、光ができないことを身代わりにやるのが影だと思ってい

たんだね。だからあんな、普通の人間がやらないようなことをやってのけたり、特別

な知識を身に付けた。だがあたいは、アンドレを見ていて思ったね。影にはそんな特

別な技術も知識も要らない。必要なのは心だって。」

アンヌがかすかに笑った。

「結局だんなも、自分の運命に勝てなかったということさ。」

「アンヌ・・。あの人は、マリア・テレジア女帝の隠し子だという噂があったそうだ

が・・・。」

「ああ、その噂ならあたいも聞いたことがあるよ。でもね、違うのさ。あの人はマリ

ア・テレジア女帝が妹のように可愛がった従姉妹の子供。その従姉妹がさ、何でも

オーストリアに留学していた東洋の王子に恋をして、東の果ての国まで彼を追いかけ

たんだけど、習慣も気候もまったく違う国で心のバランスを崩しちまって、それで故

国に帰ってきた。帰ってきたはいいが、彼女のお腹にはその王子の子供が宿ってい

たって。秘密裏に生まれた子供を一時引取り、その存在が世間に知れ渡る前に里子に

出したのがマリア・テレジア女帝だった。世が世なら、あのだんなは東西の王族の血

を受け継いだ者として歴史の表舞台にも出ることができただろうけど・・・。ハプス

ブルグ家としては、王族に東洋の血が混じることを許さなかったんだろう。だんなは

ね、不幸な生い立ちの反動からか、かの大オーストリアの女帝に限りない憧れを抱

き、彼女が自分の母親だったらどんなにかよかったかと思いつづけた。それで隠し子

だなんて話がまことしやかに人の口から口に流れていったのさ。だんなが口にしてい

た光と影の話ってのは、父親の国に伝えられる哲学の一つらしいよ。だけどさ、どこ

の国の哲学であろうと、あたいは光と影が揃って完全なる世界になるって話、好きだ

よ。」

「ムッシュウは・・・愛に飢えていたんだろうか・・・。」

「ああ、多分ね。だからポンパドール夫人の影になることで、愛を得ようとしたん

じゃないのかい。けれどポンパドール夫人は、だんなのことをあくまで自分の道具と

してしか見てなかった。でもそれを誰が責められる?ポンパドール夫人もまた、あの

宮廷で必死で自分というものを探しながら生きていたんだから。結局、アルクバイン

のだんなは、愛の見返りを期待して、それに溺れて自分を不幸にしちまったんじゃな

いのかねぇ。」

考えてみれば、自分の出自と生い立ちにがんじがらめになったことがアルクバインの

不幸の始まりだとアンドレは故国に帰りついたというあの黒い髪の冷ややかな目をし

た男に思いを馳せていた。影になりきれなかった男。その男との出会いがあったから

こそ、今の自分が存在できたのではないかと、アンドレは心の中であの男との出会い

に感謝した。

「アンドレ、乾杯しようじゃないのさ。あんたとあんたの姫さんと、そして・・・ア

ルクバインのだんなの幸せの為に。」

アンヌが差し出した安物の分厚いガラスでできたグラスにアンドレが自分のグラスを

重ねた。そして二人の笑みは、回りの喧騒にかき消されていった。

 

 一人の夜が二人の夜に変わっていた。幸せな昼に美しい夜が加わり、二人はお互い

の熱い吐息に酔いしれる。絡めた指が愛しげに存在を確かめ合い、重ねた体が互いの

命を歓び合う。この世の果てまでも愛に満たされた時間。

「何故そんなに悲しそうな顔をする、アンドレ」

オスカルは自分の脇にぴたりと体を寄せて優しく彼女の顔を撫でるアンドレの瞳が時

折見せる物悲しさが気になった。

「悲しいんじゃない。」

彼の口元が僅かに緩んだ。

「悲しいんじゃないんだ。ただ、これ以上、どうやってお前を愛していいのかわから

ないんだ。俺の全てを賭けて愛しているのに、もっともっとお前を愛したいと思う。

俺の全てを賭けても、まだ愛し足りない。どうすればいい、オスカル。俺は前にも増

してお前に狂っている。」

そういいながらオスカルの胸に顔を埋めるアンドレを、彼女も抱きしめた。

「アンドレ・・・。私は・・・。」

彼への狂涛のような愛を確かめるようにオスカルはアンドレの髪にくちづけた。

「そんな風に激しくお前に愛されている私が好きだ。お前の全てを愛している私が愛

おしい。こんな思いは初めてだ。」

オスカルの言葉にアンドレは上体を上げて、彼女の顔に手をやる。

「自分のことを愛していないわけではなかった。いや、多分私は、自分を愛するとい

うことを忘れていたのかもしれない。ただ一生懸命生きて・・・。与えられた運命に

負けないように必死で戦って・・・。今は・・・お前を愛し、お前に愛される私がこ

んなにも大切に思える。自分を愛することを知って、私はやっと、私自身になれ

た。」

アンドレはただオスカルを抱きしめた。オスカルがオスカル自身でいられること。そ

れは彼の一番の望みでもあったから。

 オスカルは口に出さずにいた思いがあった。フェルゼンに淡い恋心を抱いていたと

き、フェルゼンに何をしてほしいのかという問いをいつも自分に投げかけていて、そ

してとうとうその答えを見つけ出せずにその恋は終わった。だが、今こうしてアンド

レの腕の中にいて、初めてその答えがわかったような気がしていた。オスカルは愛し

愛されることで、自分自身を愛したかったのだと。本来の性を否定された人生の中

で、本当の自分を自分で認めたかったのだと。だが、フェルゼンではなかったのだ。

自分に真の喜び、真の幸福を感じさせることができるのは、この世で唯一人、今こう

して自分を抱きしめているアンドレ・グランディエしかいないのだということを、オ

スカルは恍惚の中で感じとっていた。

「私は、お前の本当の光になれたのだな。」

オスカルの瞳が輝いてアンドレを見た。

「お前は光で、俺は影だ。」

ともされたろうそくの灯りが、寝台の天蓋から降りる薄絹の幕に優しい影を浮かび上

がらせる。抱き合い、くちづけるその影は、決して二つに分かれることはなく、夜の

帳が優しく静かに二人の上に降りていった。

 

 銃声で回りの音がかき消され、硝煙で視界が遮られる。1789年7月13日。

チュイルリー広場でドイツ人騎兵が市民に向けて発砲したことから発生した暴動の只

中に、人間の自由と平等を求めて、オスカルは衛兵隊を率いて飛び込み、王室側の軍

隊に市民とともに抵抗していた。その戦闘の最中、発射される複数の銃口から立ち上

る煙がオスカルの目に入り、彼女が一瞬視界を失った。その後に聞こえた耳をつんざ

くような銃声。そのとき、彼女は目の前を通り抜ける影が見えたような気がした。音

もなく静かな影の気配がしたと。あれは何だったのだと思ったとき、オスカルは自分

の斜め前にアンドレが立ち尽くしているのに気付いた。

「・・・アン・・ドレ?」

彼女の声にアンドレがゆっくりと振り向いた。いつもの笑顔ではなく、凍り付いたよ

うな顔。そして次の瞬間、彼の体がくず折れた。オスカルは咄嗟にその崩れ行く体を

支え、抱き起こそうとしたが間に合わず、彼の体を抱きかかえたままそのまま崩れ

た。

「アンドレーッ!!!」

 

 

 1790年、7月14日。

「アンヌ、あったよ、ここだ、ここ。」

黒百合のナージャが丘の上で手を振る。それに導かれるように黒百合の中間達が一つ

の墓標に集まっていく。オスカルとアンドレが共に眠る一つの墓標の前に、アンヌや

イアン、ナージャといった黒百合の仲間たちが立ち尽していた。

「オスカル様、アンドレ、あんたたちが逝っちまってからもう1年になるんだね。あ

のチュイルリー広場での戦闘でアンドレが、続くバスティーユ牢獄の襲撃でオスカル

様が国王側の軍隊の銃弾に倒れてから。」

アンヌが二人の墓に花を供えた。

「アンドレ、あたいたちはこの世で、完璧なる世界を見せてもらった。あんたとあん

たの姫さんの二人にね。」

「アンドレは、最後の最後までオスカル様を守ったって聞いたよ。彼女の身代わりに

なって撃たれたって。」

今は肉付きよく、貫禄たっぷりになりながらもどこかに色香を残す東欧人のナージャ

が、静かな声で言った。

「見事な影・・・だったな、あいつは。あの11歳の小僧が、あれほどの男に成長す

るとは、最初は想像もつかなかったが・・・。」

既に初老の頃を迎えるイアンが、それでも見事な体躯を震わせて涙に堪えていた。

「そしてその影を失いながらも、オスカル様も最後の最後まで光輝いていたって。あ

の輝かしいバスティーユ陥落の栄光は、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェとい

う光がいたからなし得たことだったんだ。彼女が光輝くことができたのは、影がしっ

かりと存在を示していたから。彼女の中のアンドレの存在が鮮やかだったからこそ、

オスカル様はあれほどまでに強い光を放つことができたんだ。」

アンヌは仲間から聞いたオスカルの最期に想いを馳せた。

「あの二人のような人間にまためぐり合えるだろうか・・・。」

ナージャがぽつりと言った。

「無理・・・だろうね。人間は悲しいくらい利己的な生き物さ。あの二人のように、

お互いを思い合い、必要とするような・・・完璧なる光と影を形どる人間なんか、も

うあたいたちは生きてこの世ではめぐり合うことなんかないだろうよ。二度とめぐり

合えない・・・。そう、二度とね・・・。」

アンヌは視線を墓碑から真夏の真青な空に移した。雲ひとつない晴れやかな空。だ

が、その下では、今、血なまぐさい革命の嵐が吹き荒れている。

「完璧な世界をつくる存在を失ったフランスは、いったいどこに流れていくんだろう

か・・・。」

そこにいた人間全てが目を細めて墓碑に刻まれる言葉を見た。誰が彫ったのか、二人

を表すにはそれ以上の言葉がないと思われる言葉が刻まれている。

  光と影、この世を織り成すもの・・・

そしてその墓碑の片隅に、リヒャルト・アルクバインの頭文字である「R・A」が小

さく彫り込まれているのをアンヌは見逃さなかった。

 

 

 光と影、この世を織り成すもの

 光あるところに影あり

 影あるところにまた光あり

 互いを必要とし、互いを大切に思う

 この世に存在した最も美しき二人

 それこそが

 光と影

 

                   ―R・A―

 

 

 

 

 Fin

 

 

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