思い出語り
ごきげんよう、よく来てくださったわね。こんなおばあさんのところに、あなたのような身分の高い方が足しげく通ってくださるなんて。これもフランスの取り持つご縁かしら。ええ、今や革命前のフランス宮廷のお話など、私とあなたしかできないでしょうから。今日は何のお話をしましょうか。あら、あなたのお誕生日なの。ということは、私のお姉様のお誕生日でもあるわけだわ。あなたがお生まれになったとき、
そりゃあ、お姉様は喜んだものよ。あなたと同じ誕生日なんてステキだわって・・・。そのお姉様はフランス貴族に嫁いだがため、革命の犠牲になってしまって・・・。そうだわ、そのお姉様の誕生日のときに出会った、私の初恋のお話をしてもよろしいかしら。あなたには退屈なお話かもしれないけれど・・・。
あれは・・・、私の二つ上のお姉様の11歳のお誕生日パーティーだったわ。お姉様も社交界にデビューされていなかったから、本当に親しい方たちを招いての和やかなパーティーになる・・・はずだったの。駐フランス・オーストリア大使夫人であられたお母様が、ジャルジェ将軍の奥様と懇意にしていらっしゃったご縁で、ジャルジェ夫人は我が家の家族のお誕生日にはよくお出かけになってくださっていたわ。でもその年、ジャルジェ夫人は体調を崩されたとかで、その名代として、ジャルジェ家の嫡子、オスカル・フランソワ様が出席されるとお返事を受け取ってから、我が家はそりゃあ大騒ぎだったわ。オスカル様のことはあなたもよくご存知でしょう?お姉様たちは、我が家にオスカル様がやって来られるということで、お友達に言いふらしたものだから、招待していない方たちまで出席される旨を使者をつけて寄越したの。そんな「お招きしていないお客様」でそのパーティーは異様なにぎやかさだった。いつもはサロン風の小さなパーティーなのに、その年だけは広間をつかっての大きなパーティーになってしまったわ。召使達は朝からてんてこ舞い・・・。お姉様も・・・ふふふ・・・あら、ごめんなさい、私ったら思い出し笑いを。ええ、お姉様は、ご自分の誕生日よりも、オスカル様を間近で見られることに興奮しどおしで、お顔がひきつっておられたの。
パーティーが始まって、広間のみんなが今か今かとオスカル様のご到着を待っていたわ。お姉様たちとそのお友達のご令嬢なんか、オスカル様のご到着前から色めき立っていらっしゃって。いえ、ご令嬢たちばかりではなかったわ。ご夫人たちも興奮していらっしゃるご様子が、子供の私にも見て取れた。私は、何故みんながあんなに興奮していたのかよくわからなかったの。お姉様に尋ねると「あなた、オスカル様のことさえ知らないの?なんて子供なのかしら。」
なんて冷たく言い放たれたものよ。だってまだ9歳の子供よ。大人の会話はよくわからなかったし、ジャルジェ家が大貴族だってことくらいはわかってたけど、そこの嫡子がこられるというだけで、そんなに大騒ぎする理由が私にはわからなかったの。あら、もちろん、オスカル様のお姿を拝見したら、すべての疑問が解けたわ。でもね、私はオスカル様のお姿を見る前に恋に落ちてしまったのよ。いいえ、オスカル様にではないわ。
パーティーが始まって少ししてからかしら。オスカル様が到着されたわ。令嬢方やご夫人方がオスカル様を取り囲んでしまったのよ。子供の私は近づいて噂のオスカル様を一目見ようとしたけれど、小さな子供の力ではお姉様やお友達の勢いにかなわず、輪の外に弾き飛ばされてしまったの。一人の人間にあんなに人が群がる様子も初めてだし、そこに近づくことさえできなくて、床に触りこんでしまったのよ、私。そんな私に手を差し伸べてくださる方がいたの。私の目の前に差し出された手の持ち主を探して視線を上げると、そこには見たこともないようなきらきらと美しい黒い瞳をした男性が優しげに微笑んで私の顔を覗きこんでおられた。とても背の高い方だったわ。わたしを助け起こすために低く身をかがめていらっしゃった。わたしは美しい瞳に見とれてしまって、しばらく動くことができなかった。そうすると、その男性が優しく抱き起こしてくださったの。
「大丈夫ですか」そうおっしゃる声がまた素敵だったわ。家の中では子供扱い、パーティーでもおまけのように出席させてもらっていた私を、その方は一人前のレディーのように扱ってくださったの。その方はそのあと、何事もなかったようにその場を立ち去られて・・。私は一目で恋してしまったわ。ポーッとしてしまって、その方にきちんとお礼も言えなかったし、ましてやお名前も伺えなかった。
オスカル様がジャルジェ夫人の名代としてお父様とお母様、そしてお姉様にお祝いの言葉を告げられた後、私はやっとご紹介していただけたの。ええ、間近で見るオスカル様のあまりの美しさに圧倒されたわ。まだ近衛連隊長になっていらっしゃらなかったので、普通の近衛隊士の軍服を着ておいでだったけれど、黄金色に輝く髪を軍服の肩に落として、そこだけ光が当たっているようだった。あまりに美しすぎて、私は天使様にしか見えず、お姉様たちのように騒ぎながらオスカル様のまわりに群がることなどできないと思ったの。遠くでひそかにお姿を拝見するだけで幸せになれそうな気がしたわ。それに私は、私に手を差し伸べてくださった黒い瞳の君がいたしね・・・。ふふふ。その時はそれっきり。オスカル様もお祝いの言葉を述べられた後、軍務があるのでとおっしゃられて早々にお帰りになられた。私はパーティーの間中、黒い瞳の君を探していたのだけれど、とうとう再びそのパーティーでお目にかかることができなかった。
でも、それから何年かして、私がお友達のお宅のパーテイーに招かれていたとき、そこにオスカル様がいらっしやったの。近衛連隊長の緋色の軍服が黄金の髪を一層引き立てて以前よりも一層現実離れして輝いていらっしゃった。そして・・・、私は見つけたの。私の初恋の黒い瞳の君を。オスカル様にぴったりと寄り添われているあの方を見つけたときは、言葉も出なかったわ。だって9つのあの時からずっと思い続けた方だったのだもの。私は急いでお友達に
「オスカル様のお隣のあの黒髪の方は誰?」
と尋ねたわ。
「彼はアンドレ。オスカル様の護衛兼従者よ。平民だけれど、オスカル様の従者ということで特別に宮廷にも出入りしているわ。素敵でしょう。彼のことを噂する貴族の令嬢やご夫人方も多いのよ。実は私もちょっと気になっているの。あら、いやだ。もちろん本気なわけないじゃない。彼は平民よ。」
お友達はそう言ったの。私は驚いた。黒い瞳の君が平民だったなんて。だってそこらの貴族よりずっと美しく、立ち居振舞いも無駄がなく、洗練されていたんですもの。静かに笑みを湛えてオスカル様の横にぴたりと寄り添う様は、嫌味がなくて自然で、そしてどこか謎めいていた。彼がオスカル様のまわりにまで柔らかな空気を張り巡らせて、何物からもオスカル様を守っているようにも見えたわ。ええ、私にはそう見えたの。けっして挑戦的ではなく、けれど何者もオスカル様を傷つけるのは許さないとでもいわんばかりの気迫を纏っていらした。静かで穏やかな緊張感・・・とでもいうのかしら・・・、そんなものを持っていたのは私が出会った中でも後にも先にもアンドレという男性ただ一人だったように思うわ。
それからしばらくして、駐フランスオーストリア大使であられたお父様に帰国命令が出て、私達家族は故国オーストリアに戻ったの。子供の淡い初恋は、その方とお話することさえなく終わったけれど、人生の中でたった2回しかお見受けしなかった男性の面影を、あの黒い瞳に映った9歳の自分の姿とともに心の片隅にしっかり焼き付けてきたのよ。今、思い返すとあの黒い瞳の君はオスカル様を愛しておいでだったのではないかと思うのよ。あら?そんなに驚いた顔をなさって、どうなさったの?
「だって、オスカルはいつも男の格好をしていたのですよ。もちろん、私達姉弟には優しかったわ。特に弟なんかは大好きだったみたいだけれど。でも、私は小さい頃はずっと『オスカルお兄ちゃま』と呼んで遊んで頂いていたわ。アンドレもいつもオスカルと一緒で、二人にそんな雰囲気なんて感じられなかったわ。」
マリー・テレーズ様、私がオスカル様のお姿を拝見したのもたった2回で、豪華な美しさに圧倒されるばかりでしたけれど、今、この年になって思うことですが、彼女は彼女なりに苦しいこともあったのではないかしら。私も女としていろいろなことを経験してきたからこそ、そう思えるのです。私のまったくの想像ですけれどね。あら、そんな不可解そうなお顔をなさらないで。ところでオスカル様とアンドレはその後どうなさっているのかしら。革命を生き延びられたのかしら・・・。え?そんな・・・あのバスティーユ陥落のあの日、市民側を指揮なさったのがオスカル様ですって。そしてお亡くなりになったと・・・。ではアンドレも・・・。そうですか・・・。今の私は年を取りすぎて、初恋の方のために涙することも出来ないけれど・・・。
マリー・テレーズ様。あなた様のお誕生日にこんな話をしてしまってごめんなさいね。でも、革命から逃れられたただ一人のフランス王室の生き残りのあなたと、こうしてオーストリアの地で、あの華やかだったベルサイユでの日々を懐かしんでいると、まるで時を取り戻すように生きる希望が湧いてくるのよ。フランス革命はあなたの家族を奪い、あなたの生活を、祖国を奪った。そして革命は、ナポレオンによってすっかり意味を変えられてしまった。でもこうしていると、ヨーロッパはいったいどうなっていくのかという不安を少しの間でも忘れることができる。あの頃は、いい時代だったわ、私達貴族にとっては。輝かしい、懐かしいベルサイユでの日々は、私の初恋の思い出とともに永遠に私の記憶に刻まれていることでしょう。そう?あなたも懐かしんで、暖かい気持ちになってくださったのね。よかったわ。また、来て下さるかしら。最近ではすっかり出歩かなくなってしまったので、あなた様がまた尋ねてくださればうれしいですわ。ええ、また、あの輝かしい日々に思いを馳せましょうね。では、今日はこれで・・・、ごきげんよう、マリー・テレーズ様。
Fin
*****Gemniのひとりごと*****
革命後、オーストリアに亡命したマリー・テレーズ王女を相手に、貴族のおばさまに
昔語りをさせてみました。貴族とは、どこまでものんきな生き物ですな・・・。