ベルばらO様VSオル窓ユリウス嬢
投稿者:百合香
話題に「オル窓」が出ると、なぜか熱くなる私!(笑)
確かに、「ベルサイユのばら」とは知名度は雲泥の差ですが、一番完成された作品だと(私は)思っています。なんたって、第3、4部には、池田先生がベルばら連載当時、24歳だった為描けなかった生粋の男の軍人・ユスーポフ侯爵が登場されるし!
講演会でも明らかになりましたが、先生の軍人好みの気配は、お祖父さまの影響大でしょうね。
投稿者:たまごオル窓は、ストーリー展開や人物像その他もろもろ、完成度が高いと思います。
とても好きな作品なんですが、ベルほどはまれないのは、きっとその完成度の高さなのでしょうね。ベルはツッコミがい&想像のしがいがあるのですが、オル窓はスキがないんですね。
で、オル窓の男性陣。
意外に(失礼・・・)イザークをお好きな方が多くて本当に驚きました(爆)。
私は、大のレオ様ファン。そう、ユスーポフ侯好きです〜(#^.^#)。
あの不器用な愛と人間的な大きさともろさに惚れてます。ハイ、もろタイプなのですわ(爆)。
黒髪好きとも言えますが。
投稿者:HANAMI
私は「オル窓」はずっと第一部しか読んだことがなく、「最後まで読まなきゃ」と思いつつもずっと読まずにいました。そこで去年の夏「よっこらしょ」と最後まで読んだのですが、読後は「どよ〜ん」と落ち込んで暫らく暗くなってしまって・・・。
「ベルばら」は読むにつれ、涙ボロボロ、本もボロボロになったのですが、「オル窓」その後はちらちらと見たくらいではまるところまで行きませんでした。
男性陣については普段の(?)私ならぜったいユスーポフ候に惹かれると思うのですがこれまたなんとイザークが好きだったりするのです。何故なんだろうと自分でも不思議です。
私には「オル窓」は重すぎたのかな〜と思うのですが・・・。
投稿者:Frau Z.
>ベルほどはまれないのは、きっとその完成度の高さなのでしょうね。ベルはツッコミがい&想像 のしがいがあるのですが、オル窓はスキがないんですね。
そうそう、そうなんです!
池田先生は「ベルばら」の頃に、それまでの「お子様向けの、少女趣味っぽい甘ったるいマンガ」
(当時の少女マンガは、そう書かされざるを得なかった。)というものから脱却して、「マンガで自分の思想や、物事に対する姿勢を描く」という当時としては画期的な試みを見事に成功され、ご自身「マンガを書くことで自己実現できるんだ。」と、仕事に対しての自信と誇りを強く持たれたのだと思います。ですから「ベルばら」以降、作品が以前にもまして俄然意欲的になったな、と感じました。
ただ彼女の、トコトンしっかり書き込む「完璧志向」が、ある意味「ベルばら」に見られたような物語の≪輝き≫を奪ってしまったかなー、と感じる私。
だって、「ベルばら」の人物達はホントに今見ても(絵が多少ぎこちなくても)、彼ら自身の内部から、溢れんばかりに魅力的な≪輝き≫を放ち続けていますわよ!他の物語のキャラ達は、池田先生が「語らせている」のだけれど、「ベルばら」のキャラは、池田先生の手を介して、登場人物自身が「語っている」・・・、という印象なんです。
池田先生がベルを書いていた当時のことを、「20代の、まさに人生での星のように輝ける瞬間」という形容をなさっていた覚えがありますが(違ってたらゴメン)、そこ(20代)を通り過ぎた私は、この言葉に結構共感を覚えます。自分にはただ無我夢中なだけの20代だとしても、その時って、まるで「魔物」が取り付いたかのように、自分では信じられないような「エネルギー」を持つことってあるんです。「ベル」の時の先生は、事実「何か特別なもの」が取り付いていたんじゃないかしら・・・。そして「週刊」だったから(オル窓第1部もそうですが)、「じっくり」考えながら書くというより、≪直感≫で書き進められた所も多かったのかも。≪直感≫の正体は「魔物」ですわよ、きっと。
長くなりましたが、即ち簡潔に申せば、ベルばら」は≪余白≫のおかげでかえって「生き生きとした躍動感を生み」、オル窓以降は≪隈なく書き込んだ≫為に「重い」作品になった、という私の認識です。理代子さんってやっぱり「学究肌」なんだと思う、生来的に。
投稿者:Gemini
ユリウス=永遠の少女・・・。そうかもしれませんね・・・。なんだか、財産のために男の子として育てられたのが原因かどうか、ユリウスって、幼いままガラスに閉じ込められている印象があります。あのまま子供を産んでも彼女は果たして育てられたのでしょうか・・・。
確かに、わたし1部を読んでいたときはわくわくもしたし、「ドラマだなぁ〜」と思ってました。でもそれが2部以降になると・・・。
O様はいやおうなく男としての人生を強いられましたが、彼女はその人生に真っ向から対峙していっていますよね。武人として自分を磨くことに勤しみ、祖国のことを見つめようとしていた。
突然ですが、人間の中には男女が共存していると思うのです。女性の中にも男性脳があるし、男性の中にも女性脳が存在すると。推察するにO様は男性脳が非常に発達した方で、そしてデリケートな女性脳の部分は、ゆっくりと成熟されていったような印象を受けるのです。そしてそのバランスのよさが何よりもより人間的な魅力を彼女に加味し、彼女自身を輝かせていると思います。
どうしても対比してしまいますが、ユリウスはもともと女性脳が発達した女性だったのではと。そこに、無理矢理「性をいつわる」というストレスを加えられたところが彼女の悲劇のはじまりだと思いますわ。なんて・・・「オル窓」をろくに記憶してもいないのに偉そうに語ってしまいました。
>たまご様
わたし、レオニード好きでしたよ。オル窓の男性キャラでは、ダーヴィド(しつこい?)とともに「泣ける」存在でした。わたし、どうも「自分の感情を押し殺し、それでも時にその激情がほとばしる」という男性に弱いようです(爆)。あ、ダーヴィトは激情がほとばしるタイプではないですね・・・。
>HANAMI様
わたしは「オル窓」全巻揃えた(はず)のに、ほとんどページをめくることなく、美しいまま実家の本棚に並んでおります。「ベルばら」はもう・・・。多分皆様と同じ状態でございますわ(しかも7巻8巻が特に・・・)。
>FrauZ.様
いや〜、書きこみに感動しました。
>他の物語のキャラ達は、池田先生が「語らせている」のだけれど、「ベルばら」のキャラは、池田先生の手を介して、登場人物自身が「語っている」・・・、という印象なんです。
>≪直感≫の正体は「魔物」ですわよ、きっと。
ほんと、おっしゃる通りの印象です。「ベルばら」は作者である理代子先生がお若かったことも幸いして、実に伸びやかに独自の世界が広がっていますもの。細かいことにとらわれず、理代子先生ご自身の情熱の赴くままの作風を感じられるのです。(実際はいろいろご苦労もあったとは思いますが)
投稿者:百合香
「20代の、まさに人生での星のように輝ける瞬間」の傑作がベルばらでしょうか。
チト世間を知って、多少は成長したと思い、そういう時期にあらためて自分のことを見つめなおし、多少の知恵もついた時にこそ描けるものもあると思うのです。そこかな?私が「オル窓」と「ベルばら」の甲乙をつけ難いのは。
あと、登場人物云々の話題が出ましたが、これは、私個人の意見ですので、お聞き流してくださいネ。私自身は、「ベルばら」のオスカル、(後半、アンドレにも・・・)先生の思い入れを痛いほど感じました。これは、オスカルが、当時の先生の代弁者的存在だったからで、あたり前のことですが。しかし、なぜ、この役をアントワネット、もしくは同じ主役の一人であった(筈 笑)のフェルゼンではなかったのか?答えは、二人が実在の人物だったからです。先生は、講演会でも、はっきり、「史実は曲げれませんから!」と断言されました。つまり、制限がありすぎたのですね。
で、その分、オスカル、アンドレが生き生きと描かれたのだと思います。
前置きが長くなりましたが、私は、この、登場人物の躍動感は、「オル窓」にこそ感じました。
ユリウスが多少、もの足りないのは、ある意味、ベルばらではオスカルが演じた「革命の闘士」の役を、ユスーポフ候とアレクセイが演じているからだと思います。(プラス他の方がたも!)
昨日も、大先輩とメールで、「オスカルの部下はいったい何人・・・それこそ
中隊とはどのくらいに規模で編成されていたのか?」との疑問をやり取りしており、池田先生は、当時、それこそ、インターネット等ない時代に、あれだけ正確に描かれ、本当に頭が下がる思いだと話しておりました。それに比べ、アニメにスタッフの調査不足は腹が立つ前に、情けないばかり
だと・・・
確かに、背景、ヴェルサイユ宮殿の描写は・・・・ですが、これも講演会で語られましたが、「欧州諸国の石の建造物にど胆を抜かれた・・・やはり、できるだけ、実物を見て描かなければ」と。
それ以後の作品は、どれも素晴らしいです。私は、こういう、スクリーントーンが売ってあるのだろう(爆)と信じておりましたので!
そういう意味で、もう一度、「オル窓」を敬遠されていた方にも読んでいただきたいです。
いえ、決して、まわし者ではありませぬ!(笑)
最後に、アランを主役にしていれば、「エロイカ」にも、もっとファンがついたかも・・・(笑)
私は好きですが・・・
投稿者:花ちゃん
やはり、「ベルばら」「オル窓」は池田先生の2大傑作なのでしょうか?
ところで、
私は「オル窓」最終回を読んだ時にこんな事を考えました。
『なんでここまで救いが無い?』と。
「オル窓」は大河ドラマで多くが登場しますが、幸せな人っていたのかしら?
皆、壮絶な人生を必死に生きて、あっけなく死ぬ。ここが読んでいて1番辛い点でした。
人生なんてそんな物かもと思いながらも、ベルばらにあった『それでも生きる事は素晴らしい』的な思いが感じられず、落ち込んだ記憶があります。
小学生時代にアンネの日記を読んだ時と似た気分だったような・・・。
「ベルばら」も主要人物は皆(雑に言えば)ろくな死に方はしていないですよね。
(OもAも蜂の巣になるし、アントワネットはギロチン、F伯はなぶり殺し・・・)。
でも、何か爽快な気分がしませんか?
O的に言えば「悔いなく生きた」というか。
私は「オル窓」にはこれが無くて辛いのです。
完結感が無いと言ってもいいかもしれませんね。
投稿者:Frau Z.
>推察するにO様は男性脳が非常に発達した方で・・・
>そのバランスのよさが人間的な魅力を彼女に加味し、彼女自身を輝かせていると思います。
「男性脳、女性脳」の解釈、なかなか説得力ありますねー!最近の女性達もその「男性脳」の方が勝っている人、多いのでは。でもО様のように「バランス」のいい人は少ないかしら。
ユリウス(この人の名前、多分本来は≪ユーリウス≫と発音するのだと思います)は、ある意味「典型的女性」ですよね。ガラスのように繊細で、なんだかいつもイジイジしてて、でも「好きな男」を追いかけるためなら命がけ!(この点、АのО様に対する態度と合い通ずるもの有り。)そしてちゃっかり≪か弱い、可愛らしい女性≫として、無意識のうちにユスーポフ侯に甘えたりする・・・。1部では「シャキッ!」としてたこともあるけど、あれは「強がり」という感じでもあったし。何であれ、彼女は運命に弄ばれた(ままか様の言)「可哀想な」キャラでした。
О様も確かに「悲劇のヒロイン」であるけれど、決して「可哀想な」人じゃないものね!反対に
「充実した、幸せな人生を送れた」ヒロインですわ。
でもでも、ОА応援団の私は、ユリウスが身篭った時「あ〜、なんでユリとアレクは子供を授かったのに、ОАはその前に殺されちゃったんだー!」と、比較してもしょうがない事で、当時憤慨したものでした。(?)
百合香様、皆さま>
私も「エロイカ」はアランを主役に据えていれば、「ストーリー」がもっと自由に展開できて、読者のハートも惹きつけたのでは・・・、と思ってました。でも先生はずっと長年「ナポレオン」を描きたい、と思われていたようですし、あくまで主眼は「ナポレオン」に置く、というお考えだったのでしょう。
でも「史実を歪曲できない」という制限つき。同じ歴史物でも「ベルばら」や「オル窓」には≪フィクション≫としての面白さがあったけれど(そして読者の多くは、そのフィクションにうっとりした)、「エロイカ」の場合、大変興味深い歴史上の人物ではあっても、池田先生の「史実は一つたりと、おろそかにしてはならない」という生真面目さが前面に出て、ともすると「イラスト付き、歴史解説書」でも読んでいる錯覚に陥ってしまうことも・・・。
(絵がまた凝りに凝っていて、かなり写実的)
単純な私は、アランやロザリーが登場する場面では「О様のお友達だわ!」と喜べたんですが・・・。
まぁ、理代子女史としてもナポレオンの話を「ベルばら」のように「少女にも受けるキャラを作って、小説のように物語の展開を楽しませる」おつもりはなく、ドキュメンタリー半分、自分が捉えたナポレオンの人物像を描き出し、それを如何に評価するか、という目的が半分だった気が致します。もうその為には、何も「読者の人気を得る」ということは二の次だと。理代子女史の「学術論文」なんだと思います、「エロイカ」は。 本当に立派な作品ですわ。
(気が付いたんですが、私「ベルばら」以外の先生の作品は、割と客観的・理性的に読めるのですね。でも「ベルばら」だけは理性も吹っ飛んで、思わずのめり込んでしまうんです!)
投稿者:Micia
脳の働きの特性を、男性的特徴と女性的特徴の混在具合から見て行くって、
面白そうですね。(元心理学フリークな私…)
人間の精神の特徴を固定したものではなくて、様々な特徴が、時と場合に応じて、
異なる割合で発現するものとして捉える見方は、15年くらい前のアメリカで、
すでになされていたみたいです。
ほぼ同じ頃読んだ日本の心理学の本では、「女子青年」っていう項目があって、
息子のいない家庭で、特に父親から過剰な期待をかけられて育った娘について、
書かれていました。
執筆されたのが20年以上も前で、書いているのが男性の研究者だから、当時としてはそれが普通の見方だったのだろうとは思うのですけれども、そんなふうに育った娘は、ノーマルではない(ゆえに心理的障害も起こしやすい)という価値観に満ちていて、とってもいやな感じでしたわ。 かつ、一人娘だと、女の子として、大事にされ、
甘やかされながら、伝統的に息子に求められてきたような、自立心や精神的な強さや
競争心なんかを身につけなければならないので、問題が、さらに複雑なんだそうですの。
(いまどきは、こんな一人娘って、いっぱいいそうなのに…)
投稿者:Gemini
男性脳と女性脳の支配って、結構以前から漠然と思っていたことなんです。もともとの素養もあるでしょうけれど、成長の過程での体験などが大きくその発達に左右するように思います。
例えばO様は父親に男として育てられましたよね。男性から男性の思考、行動を教えられたO様は自然と男性脳を発達させられた。そして、男の子の友達A君とともに育った。男性脳を発達させる環境は十分だったわけです。
対するユリウスは母親に男として育てられました。子供のときから身近に「男性」がいなかったユリウスは、お手本の対象が母親しかいなかったのではないかと想像するのです。だから、彼女の男性脳は発達しなかった。脳は女性で、けれど男性の生活を強いられている彼女は無意識のうちにものすごいストレスを抱え込んでいたのではないかと思うのですよ。同じ「男装した女性」でも、育つ環境で随分違ってくるのですよね。
話がまた飛びますが(すみません)手塚治さんの「リボンの騎士」って大好きなんですが、サファイアが凛々しいリボンの騎士として登場するときと、フランツ王子の前の純粋お姫さまのあの風情の違いが子供の頃からちょっと気持ち悪かったんです。「これじゃあ、二重人格じゃない〜」と思ったものでした(かわいくない子供でした)。つまり、男性脳と女性脳ってときと場合によって使い分けられるけれど、それが極端な形として出てくるとちょっと理解できなくなる。そういう意味でもO様は男性脳が彼女の行動をひっぱり、女性脳が彼女の情緒を育てた。心はしっかり女性ですが、男性的な「自ら掴み取りに行く」という行動を貫徹するO様のバランスはいいなぁ〜、としみじみ思うのです。
投稿者:百合香
う〜ん・・・今、思わず、PCの前で唸りましたわ!(笑)
オスカルは父から、ユリウスは母から、ましてお手本の対象が母しか・・・そうか!簡単なことなのに、盲点、まさに目から鱗・・・(笑)
「オスカルとユリウスの間には・・・」これは、私と相方のテーマでして・・・(笑)
某所の話を企画し、執筆に至るまでも、かなりのメールの応酬にてこの議論を繰り返しました。
いかにユリウス化しないオスカル像を作るか、ということで・・・
やはり、アンドレの存在がかなり大きかったのではとの結論に至りました。
彼女らのように、本来の性を抑制され続けた人は、多少なりとも精神障害があると思います。
(ユリウスもかなり情緒不安定でしたし・・・)
オスカルがそうならなかったのは、ひとえにアンドレの存在ゆえでしょうね。私が今更言う必要は全くありませんが(笑)
ユリウスにはそういう存在がいなかった。クラウスはロシアに帰ってしまうし、イザ−クでは無理だったし。
投稿者:麻里子
>F.rauzさま
「ベルばら」に関するご意見に 全く共感しています。理代子先生の作品は 「オル窓」の一部終了あたりから がらりと変わったように思うんです。絵の描きこみも見事だし 物語も面白いけれど なにか のめりこめない感じがして・・・おっしゃる通り「ベルばら」のように理性もふっとぶくらい(なんて上手い表現なんだろ)のめり込めないですねぇ。
「ベルばら」の映画のときに 発行された本のなかで 先生自身が オスカルやアンドレは 天翔ける馬の如くに自由に飛びまわってくれた、と書いていらっしゃるのを読むと 心底納得してしまいます。O様のように魅力的なヒロインには お目にかかれません。
>花ちゃんさま
そうなんです。全く同感です。「オル窓」の物語を最期まで読むと 救いのなさに 辛いです。
3部の終わりあたりから 4部にかけては 特にそうですよね‐。ユリウスはもちろん みんな誰もが 不幸を背負っていて・・・「死」が辛くて 悲しいものでは なくてそこに 至るまでの「生」をどう悔いなく 充実して生きたかで 輝きが違うのかも知れません。
ちなみに このサイトの私たち(勝手に仲間になっていいのかしら?図々しいかなー)って充実してますよねー、こんなに夢中になれるものがあって・・・
大好きなレオさまも アレクセイも志半ばでの 無念の死だからか・・・なんか悲しい。
ひとつ連載中から 今までずーっと気になってたまらない事が、有るんです。アナスタシアは シベリアに送られたあと 結局助けてもらえたのかな。
>Geminiさま
素晴らしいご意見です。
謎が 解けた気分です。そうなんですね。私は ユリウスの苦悩は 性を偽ることを隠さなくては
ならないのが 出発点と考えてたんですが・・すごい深さですね。
>百合香さま
いつも 興味深く拝見しています。
ユリウスに アンドレのような存在がいれば 本当に物語は全然ちがっていたでしょうね。
O様は アンドレによって 精神的な安定感を得ていた事が 大きいですよね。何があってもありのままの自分のすべてを受け入れてくれる絶対的な存在・・いいなぁ。(笑)
「オル窓」私はリアルタイム 連載中に読んでいたんです。毎月楽しみで レオさまとユリウスの行方をわくわくしながら・・・懐かしいです。
理代子先生の原作って 本当に史実に忠実で 正確ですよね。あの当時 あれだけ調査や資料を集めて描かれたという事に感動を覚えずには いられません。
アニメで B中隊50人と言う事になっていましたが アレって いくらなんでも少なくありませんか?なにかあの部分が 不自然で気になります。
投稿者:花ちゃん
池田先生は一部終了あたりから円熟期に入られたのでしょうか。
作品と掲載誌のターゲット層のズレが大きくなっていたように思っています。
週マって、小学生〜中学生位が読者層の中心だったかも。
幼かった私達は円熟より未熟さの持つパワーに共感したんですね。
>アナスタシアさん、どうなちゃったのかしら?
辛いけど、シベリアで亡くなった・・・と思っています。
外伝も無と思ったのですが・・?
>百合香様、
まったく同感です。
ユリウスに感じる「不健康さ」の最大の原因は友達がいなかった事にあると思います。
きっとレナーテお母さんと「母子カプセル」の中で息を詰めて生活していたんですね。
ユリウスが学園に入学したのって何歳?
10代半ば〜後半でしょうか?
イザークらの友人はできたけど、少し遅すぎたと思います。
>彼女らのように、本来の性を抑制され続けた人は、多少なりとも精神障害があると思います。
そうですね。
Oが体を壊すほど働き、飲んだのも、抑圧から逃れるためだったのでしょうか?
彼女の毎日って、女性として育った女性以上に「女性」を意識する事が多かったのかな?
それも肯定的に考える事は少なかったのでしょうね。
ユリウスにいたっては「生まれそこなった」的な感覚さえあったのではないでしょうか。
投稿者:Gemini
>百合香様、麻里子(はじめまして)様、花ちゃん様
ありがとうございます。理代子先生がオスカルとユリウスの生い立ちまでを考慮してキャラクターを書きこんだかどうかは不明ですが、奇遇にもあまりに両極端な生い立ちをした、同じ「男装の女性」として比較してしまうと、一番の違いは育ち方にあると思ったのです。
某所で書きこんだのですが、O様もけっこう(余裕かましているように見えて)精神状態は「ぎりぎり」だったように思えるのです。ちゃらんぽらんに生きれば、もっと楽な生き方もできたでしょうに、彼女のあの生真面目さが自分で自分を追いこむことになった。そしてその追いこまれた場所でも、O様が彼女らしく生きられたのは、まさしくA君がいたからですわ。「近く、近く、魂を寄せ合って・・・。」このフレーズが最近の私のテーマですのよ!!
素晴らしい着眼点! 投稿者:Frau Z.
Liebe Geminiさま〜!>
Gemini様の男性脳・女性脳の側面から見た、О様とJuliusの人格形成における相違点の考察、百合香様ではないけれど「目から鱗」の大ヒットですわ〜!もう私なぞ「ヒェ〜!!」と思わず唸ってしまいました。
私もこの2人は「男として育てられた事情が、まるっきり違う」という点が、≪顔は似てても、
(笑)全く非なる≫キャラクターたるゆえん、とは思っておりましたが、子供にとっての「お手本」なる人物のことまでは、ちょっと考え及ばなかったです。
これもGemini様・特許用語:≪アヒル≫で、総括できそうですわ〜!
(子供の最も身近にいる人間が、その子供の人格形成に大いなる影響を及ぼす、という意味で。А君もその一大要素ですね。こう考えると、О様があんなに素敵なのは、やはりА君がいつも側に
いてくれたからなのよね・・・、と非常に納得。お二人相互に良い影響を及ぼしあって、成長できたのよね ♪)
でも考えてみると「ベルばら」っていろんな状況で、「アヒル」現象を(?)引き起こしているんです。
宝塚の昭和花組での「安奈オスカル」もそうだけど、そもそも原作の「ベルばら」自体が私などの
「リアルタイム読者」にとっては、「アヒル」そのものなんですよ。
もう、小学生の時にあの「たまらなく麗し〜いお話し」に遭遇してしまった経験は、まさに「アヒルさん」にとっての「その後を追わずにはいられない」《親》に出会ってしまったのと、同じ現象だった気がします。
小学生だった私の脳みそに「ベルばら」は、殆ど「洗脳状態」といっても過言で無いほど、しっかりと奥深〜く植え付けられちゃったんですよ。
だから「ベルばら」を《親》と認識した私の「脳」には、いくら同じ作者の手になる作品といえど、「ベルばら」以外は(たとえそれらがより完成度が高く、質的にも高レベルであったとしても)、もはや「アヒル」である私の《親》にはなれないのだ・・・、とGemini様のご発言を読みながら、私は「悟って」しまいました。「ベルばら」に特別な思い入れがあるのは(ОАのことになると、自制心が働かなくなるのは)きっとそのせいもあるんですね、私の場合。
それにしてもGemini様は、とても情緒的かと思えば、今回のように客観的・冷静に物事を分析する眼も持っていらっしゃる。いゃスゴイですねー。脱帽です!
投稿者:Gemini
>FrauZ.様
「Liebe」とまで表現されたからには、出てこずにはいられません(笑)!!なんだか、わたしの「アヒル」発言をこんなところにまで引用していただいてありがとうございます。でも、たしかにそうです。私にとってもやはり「ベルばら」そのものが「アヒル」体験になっているのですよ。実は、「ベル・・」を知る前にも後にも、私を変える衝撃的な体験をしているのですが、何がこようと「ベルばら」に太刀打ちできるものはなかったのです。やっぱり私にとってOA&「ベルばら」は"不可侵な"ものになってしまっております。
投稿者:ままか
「ユリウス=永遠の少女」ってその通りだと思います。彼女成長が止まっちゃってるんですよね。ひとを殺して、身内が死んで、クラウスまで去って、そこで成長が止まっちゃった・・・、そんな感じです。彼女イザークとくっついてればもうちょっと、どうにかなったかもしれませんね。ロシアに行って、記憶喪失になってレオさんとよく分からない関係を続けていたのも結局は、彼女にとっては全くの空白な時間ですしね。そうなんです!Oさまは常に前進、成長していくけど、ユリウスにはそれが無いんですよね。ほんと不健康です。
putao様はイザーク×ユリウス派だったのですね・・。イザークとくっついても、悲恋に終わるはずだけど、それにしても、クラウスinロシアを選ぶよりはまだ救われてたかも知れませんね。
オル窓はベルばらに比べたら、非常に完成度が高いですよね。読んでいてそりゃぁ面白いですもん! 私は読み始めるといつもはまってしまいますわ。でもベルの方に魅力を感じるのは、一つには完璧過ぎるという点、ありますよね〜!まずストーリーありきで登場人物達は先生に動かされているにとどまっているような・・・。
そうオルは暗いですよね・・。ほんと最後は救いがない・・・。ユリウスの最後ってあんまりにも悲惨で、彼女の人生なんだったんでしょう・・・?自分の人生称えて亡くなるO様の崇高な生涯とはあまりに対称的ですよね。
>「ベルばら」の人物達はホントに今見ても(絵が多少ぎこちなくても)、
>彼ら自身の内部から、溢れんばかりに魅力的な≪輝き≫を放ち続けていますわよ!
そうそうその通りです。作品の魅力は完成度よりもこの輝きの方が勝るんですね〜!「魔物がとりついたように」というの、その通りです。「直感」っていうのもまさしくその通りだと思います私はこれを「ひらめき」とも言いたいです。
>即ち簡潔に申せば、ベルばら」は≪余白≫のおかげでかえって「生き生きとした躍動感を生み」、
>オル窓以降は≪隈なく書き込んだ≫為に「重い」作品になった、
ほんとにすばらしい簡潔な表現です。ベルばらはそう言う意味では作者の技量云々を越え時の魔物!、もはや「怪物」ですわ!こんなすごい作品は、21世紀になってもめったに出ないでしょうね。
>あのまま子供を産んでも彼女は果たして育てられたのでしょうか・・・。
ユリウスが子供を育てられたか−!考えたことありませんでした。たしかに少女のままのこころであやうい彼女に見事な子育ては望めないでしょうね・・・。彼女の育ってきた道が不健全すぎますもん! でもあそこまでの不幸は回避できたかも・・・とは思います。子供がいれば、子供への愛で彼女が救われるでしょうし、育児は育自になりますから。
ユリウス=女性脳がもともと発達していた、というの、そうかもしれないと思います。そうそうもともと彼女は女性的なのに、性を偽るストレスは大きな負担ですよね。あれだけ精神を抑圧されたら、記憶喪失になったり、最後はあんな風に人格が崩壊してしまう・・・、出発点がもう不幸の始まりだったんですね。
投稿者:しまりん
私は、オル窓は第一部はMCで全巻揃えたのですが、どうもベルばらのように熱中できなくて…。引越しの時に、惜しげもなくわりと綺麗なまま(あまり読まなかった証拠)全部捨ててしまいました。ベルばらは、その後の何回もの引越しの時も捨てなかったのにね。ボロボロになってもまだ大事にしてます。そんなわけでオル窓は、続きが描かれているのは知っていたのだけどあまり読む気にならず今に至っています。たまたま、近所の本屋で漫画文庫のフェアをやってて、その時に第二部以降を少しとばしながらですが立ち読みしました。で、やっぱり昔に受けた印象がいまだに影響しているのか、う〜ん、ベルばらと同じようには夢中になれないですねぇ。でも、この掲示板を読んでて、そういうのは私だけではないということを知ってちょっと安心しました。きちんと全部読んでないのにこんなこと言うのはナンなのですが、どうしてだめなんだろ?
おそらくまずは皆様が指摘しておられるOとユリウスの決定的なキャラの違いって大きいと思います。それと、これもやはりご指摘の通り、オル窓という作品の完成度の高さかなあと。ベルばらは、最近漫画を貸した友人が言っていたのですが、「先生の若さあふれるって感じの漫画だね」という言葉がぴったりかなあ、と思うのです。確かに、先生がまだ20代半ばで描かれた作品ですから、そういう意味では、絵柄や背景の描き方などに、後の作品に比べればまだまだ未熟な部分や、不完全な部分などありますが、ストーリー全体に若さゆえの未来とか、希望とか、情熱とか、そんなものが感じられるんですよね。ヒーローやヒロインが悲劇的な最期を遂げているにも関わらず。そして登場人物も躍動感にあふれてる。未熟な部分も含めて、そんなところが魅力なんです。でもそういうものがオル窓にはあまり感じられなくて、なんだか自分が作品に感情移入できないんです。ベルばらでは自分がOの気持ちになったり、Aの気持ちになったり、ある意味で、いつのまにか自分も一緒に二人のことを追体験していっているんですけど、オル窓ではユリにもアレクにもなれなくて…。主観的に楽しめないんです。もちろん、ストーリーは素晴らしいと思うし、読み始めれば一気に読み進めてしまうんだけど(それで立ち読みがやめられなくなってしまったのですが)なんか登場人物と一緒に泣いたり笑ったり出来ないんです。そこんところが私にとってのオルとベルの違いかなあ。オルのストーリーは大河ドラマ風でどっちかっていうと漫画を読んでいるというよりは、大河小説を読んでいるという感覚に近いですね。そして完成度はとても高い作品ですから、先生にとってはおそらくベルばらより満足のいく仕上がりになっているかもしれませんね。
でも、ベルばらよりオル窓のファンという方もいらっしゃるでしょうし、ベルにはハマれなかったけど、オルにはどっぷりハマったという方ももちろんいらっしゃるでしょうから、どちらも優れた作品であることには間違いないですわ。でも、どうしても私はベルばら的な視点でオルを読んでしまうので、それが自分の中で何か納得できない原因になってるような気がしますわ。オルをベルから切り離した一個の作品として楽しめるようになれればまた違う感想が生まれるのかもしれないですね、でも、私にとってベルばらは、脳みそのかな〜り奥深いところまで刷り込まれてしまっているので、なかなかそれが出来ないのですよ!!
投稿者:Gemini
>しまりん様
私も、「ベルばら」を見ずに「オル窓」読んだら、結構ハマっていたのかもしれませんねぇ。とにかく私にとって「オル窓」は「ベルばらと同じ作者の作品だ〜」というのが出発点だったもので・・・。そういう意味でも「オル窓」って不利といえば不利ですわよ。
投稿者:ままか
オルにははまれないという方が多いようですが、私も百合香様同様、オルにもはまれる人間です。百合香さまのベルばらとオル窓論、洞察が深いですね。さすがです。
オルではオスカルの役どころがいろんな人物に分散しているということ、わたしもその通りだと思います。
>『それでも生きる事は素晴らしい』的な思いが感じられず
あの前向きかつ理想に満ちた世界はベルばらだけのうりですよね・・・。
私はオルはああいう救いのない世界ですが、アレはあれでそいう暗さを楽しむ作品(?)と考えています。ベルの人物達の死はほんと爽快とも言えるくらい、独特の輝きがありますよね。
>そしてちゃっかり≪か弱い、可愛らしい女性≫として、無意識のうちにユスーポフ侯に甘えたりする
なんか受けちゃいました。このご意見。そうそうああいうところがとっても女!っぽい人なんですよね。ユリウスって。
>О様も確かに「悲劇のヒロイン」であるけれど、決して「可哀想な」人じゃないものね!
>反対に「充実した、幸せな人生を送れた」ヒロインですわ。
その通りです!O様は悔いなく生きた幸せなヒロインですよね!あくまで。たとえ、銃弾に倒れ、A君とのラブラブは短かったかもしれないけど、彼女には後悔と言うものがないのです。それはすべて自分の理想、信念の為に、逃げることなくすべてを前向きに、戦いきった人生だったからでしょう。(A君とのこと含めて)
そんな価値ある人生を生きれたO様は幸福だと思います。あの輝きこそがベルばらの魅力!と私は信じたい。だから、Frau様同様、やっぱり私もO様が好きなんです・・。
Micia様>
心理学的探求、面白いですね。さすが!学術的オタクな探求、コレからも期待しています。わたし、ほんとにこういうの(読むのが)大好きなんです。(笑)
Gemini様、百合香様、女性脳、男性脳のお話、すばらしいです。もうなにも言うことがありませんわ。すばらしい!!のひとことです。
>オスカルがそうならなかったのは、ひとえにアンドレの存在ゆえでしょうね。
百合香様、そうですわ!思わず、大納得です。PCの前でうなりました。
>アナスタシアは シベリアに送られたあと 結局助けてもらえたのかな。
すいません。こんなところから引用ですが、わたしもこれ気になってました。オルは登場人物が多くて、その後が書かれて無いひとも多いですよね。あと私はヴェーラはいったいどうなってしまったのかすごくきになります。(笑)
>レオさまとユリウスの行方をわくわくしながら・・・懐かしいです。
おお、やはりそう言う方多いですね。(笑) あの二人は思わせぶりで・・・、でも結局寸止め(爆)
期待を裏切られましたね。
>未熟な部分も含めて、そんなところが魅力なんです。
ええ、そうですよね。もうすべてがいとおしいですわ。
投稿者:杏のあんこ○オスカル・・・「まとも」でいられるのは、「周囲が彼女を女と知っている」という点で彼女はまとも」な精神状態で活動できるのでしょう。隠すものが何もありません。精神を抑制はしているが「抑圧」してはいない。
オスカルにとって「愛」は側にいた手を当然のように取った。「愛」は「空気」とも言える。抑制された精神を開放して広い海に放り出された赤子のように頼り所「寄り木」を必要としていた。
○ユリウス・・・「まとも」でなかったのは何故か?一言、「周囲が女ということを知らないから」でしょう。「抑圧された精神」は歪みを生じ、心を狂わすことで「逃げ場」を作るしか無かった彼女。更に「抑圧された精神」は「殺人」という大罪を犯させ一層、逃げ場を求めていった。「まとも」が少しずつ歪み始め、自分でそれを修正としようと「クラウス」という新たな「逃げ場」を求めるのです。でもその「逃げ場」は彼女の場所ではなかった。
ユリウスにとって恋愛は「恋」。お互いを深め共に歩んで行く事を求めたオスカルの「愛」とは違って「恋」なのです。傷つけあい、求めることだけしかしない「恋」。だから彼女はクラウスに何度も傷つけられ、彼に精神の安らぎの場として求めた「逃げ場」を失ってしまう。「愛」を逃げ場所にしているから彼に愛し愛されても殺人の罪科への恐怖は消えていない。彼女が犯した最初の殺人への罪科。二度目の殺人への罪科をこれっぽっちも思っていない。ここに後の報復への伏線があるんですね。
「逃げ場所」になってくれる人ならクラウスでなくてもいいので、ユスーポフ候にも惹かれる。それもやはり違っていた、自分の場所ではかった。
結局、逃げても逃げ切れず最後に崩壊した精神は彼女が憧れた故郷という原点へ戻るわけです。憧れた故郷には犯した罪、罪科を全く感じていなかった第2の殺人への報復が待っていた。その報復の瞬間、初めて崩壊した精神は戻ってくる。それは彼女の真実の逃げ場所が見つかったことなのでしょうか。
オスカルとユリウスの決定的な違いってなんでしょうか?運命にどう対処したかでしょうか?流されていっただけのユリウスと切り開いていったオスカル。両極端だからこそ、惹かれますし魅力的なヒロイン達です。そしてどちも私たちには心に持っているもの。こんなにドラマチックでなくても「あの時、ああしていたら・・・」「なにもしなかった」運命ってありますものね。だからユリウスにも自分を見てしまって「いや」な人もいるのでは?オスカルには「出来なかった自分」のかわりに行動してくれる彼女に憧れるのでしょう。
あらためて思うのですが、幾多の紆余曲折を得て来た池田理代子先生が、今、この2作品を描いたのなら分かりますが、あの20代の若さでこんなに素晴らしい作品を書き上げたことは驚異に値します。彼女は作品に全てを投影してしまう人でしょうから、ベルもオルも当時の彼女の心の全てなのでしょう。いつか漫画が「文学」として評価される日が来たら間違いなく、この2作品は「純文学」として高い評価を得られるのではないでしょうか?
オル窓好きなんで、もう一つ。少女漫画で「殺人」を2度も犯すヒロインなんてユリウスだけじゃないですか??滅茶、大胆な発想!よく編集部が許したな・・・
投稿者:花ちゃん
>人間、泣けなくなったら終わりのような気がするので、『泣ける場所』のあるO様が羨ましいですね。私もそんな『場所』が欲しいです。
そーです!
泣きたい時は泣かなくちゃ。
Oの心の健全さを保ったAに感謝です。
でも!
OもAの泣き場所であった・・と私は思っているのです。
原作ではあまり(というか全然)出てこない、AがOに甘える(?)縋る(?)場面。
あったと思うのですよね。
AがOの外に出せない心を汲んで彼女を心身共にサポートした様に、OもAを支えていたと思っています。
あのね、AはOにほとんど求めないですよね(まぁ、主従だから。でも彼は身分には拘ったけど、主従関係にはさほど拘っていないような気が・・)
でも、彼がOに求めた数少ない事って日頃のガス抜きがされていない為か、かなり強烈です。
MC5巻では失恋に泣く彼女に「自分を愛してくれ」。
MC6巻では「一緒に死んで」
MC8巻では「心と共に体もほしい」←まぁ、これは、両思いだしOKか。
これらに対してOは(Aを愛していると自覚するまでは)一生結婚しないという形で答えています。一生独身=ジャルジェ家の直系の子孫は作らない。という事ですよね。
つまりOは家(親?)よりAの自分への片思いを取ったのですね。
これって、MC6巻のAへの愛の自覚の無いOの状況を踏まえるとかなりな自己犠牲だと思います。
以前も書きましたが、OAの二人って共に「自分より相手が大切」っていうスタンスで生きています。
この関係って、親子を除いたら世界中で何人が手にできるのかしら?
家は・・どうかなぁ。?
うらやましいです。
>杏のあんこ様
ユリウスは恋でオスカルは愛・・・納得です。
愛は代償を求めない。でも恋は求めるのですね。
そして、恋は自分の救済で心が一杯になってしまう。
だから、ユリウスはヤーコプの心に思い至らなかった
そして、やはり恋に囚われ続けた彼に報復された。
恋って怖いですね。
>オスカルとユリウスの決定的な違いってなんでしょうか
私は「自己肯定のされた者とされなかった者」だと思っています。
この差はやはりAの存在ゆえです。
「男の子として生きるという条件付きで、その子を愛した」という点では、ユリママもジャルパパも大した違いはありません。
だとしたら、ユリウスとオスカルの違いは「ありのままを受け入れ肯定してくれる人がいたか、いないか」になると思います。
私達も誰かから認められると心が健康になりますよね。
(とすると、1番すごいのはAをOに着けたジャルパパか?)
長くなってしまいましたが、最後に1つ。
私は池田先生がなぜ「オル窓」の終わりをああしたか・・・とっても知りたいです。
投稿者:Frau Z.
皆さま、本当に読みが深い・・・。殆どの方々、文学部ご出身ですか?「ベルばら」や「オル窓」の作品の本質を、皆さま方がここまで鋭く、深く捉えていらっしゃる事に、唯々感嘆致すばかりです。皆様がここまで深く掘り下げ、熱く語らずにはいられないこと自体、この2作品が時代を超えた名作である証左でしょう!割と何事も≪感覚≫から入る私は、皆様の解釈から、今更ながら作品が持つ「本質的な意味」を考えさせられています。「あぁ、こんなにも奥の深い作品だったのね」と・・・。
どちらの作品も、テーマは「人間の精神の有り様をとは?」ということでしょうか。それが激動の時代を舞台としたことで、物語がよりドラマティックで厚みのある物になったんだと。
>杏のあんこ様
昨日の杏様のカキコ、思わずファイルしてしまいました!私のJulius対するモヤモヤを解き明かして下さった感じです。杏様の「精神的な人生経験の積み重ね」を感じてしまいました!私は実年齢はいってますが、ホントに乏しい(貧しい)人生経験でして。
Juliに自分を重ね合わせたことは無いけれど(重ね合わせるほど深く読んでいなかったのかも)彼女の救いの無い運命、連載開始時には感じられた「生気」が時と共に失われていくのを見ていると、「マンガでここまで辛い話をあえて読まなくても・・・。」みたいな気分になったのも事実です。世の中、現実にいくらでも「辛い話」はあるから・・・。私がマンガに求めていたのは「人生って素晴らしいかも!」と思わせてくれる≪ファンタジー≫だったんだと思います。
それにオル窓は、文庫本で一気に読めればスゴクのめり込めると思うのですが、何しろリアルタイマーは、途中何度も連載が中断されて(4部編成)、興味を持続させるのが困難だった・・・という事情もあります。「ベルばら」は1年半の間、毎週掲載でしたから、読者をググィっと引っ張って行きましたものね。
でもあんこ様の御指摘を拝見して、もう一度「オル窓」をじっくり読み返してみようか、と思いましたわ。池田先生が20代でこれほどの作品を物したということ、それはやっぱり彼女が「天才」だからでしょう!
>OAの二人って共に「自分より相手が大切」っていうスタンスで生きています。
本当に、これがОАの関係をこの上なく素敵にしているものですよね〜。そして時に堰を切った様に溢れ出すА君のО様への想い!これがたまらないのよねー、女には。
>それでいえばO様はアランのなかでずっと生きているのですね。
アランが7月14日後、あれだけ孤独な境遇にありながら生きることが出来たのは、ひとえに「生き残った者の使命」を自覚したからでしょう。それは何より、「愛するО様から継いだ遺志」であったから・・・。彼に自分の存在意義を自覚させてくれたО様は、ずっと彼には唯一と言って良いほどの≪精神的支柱≫だったと思います。彼に本当の意味での「人生」を送らせてあげたのも、やはりО様の存在だったかと。
私はサイドでも、アランがО様の事を回想する場面では、いつも泣けてしまうんです・・・。
投稿者:若紫池田氏の作品のなかでは矢張りべるばらは別格、オル窓は一部は好きでした。段段女っぽくなるユリウスはちょっと・・でしたけれど。
オスカルとユリウスの比較は大変興味深く拝読致しました。男装していても己の性は周知であるのと、その反対では、精神的プレッシャーも全然違いますものね。
投稿者:Nappaユラン氏を見事に話の中に生かした池田理代子様は凄いですね。
ユラン氏ばかりでなく、たくさんの実在の人物がいますし。
O様はアランばかりでなく、私にとっても永遠の憬れです!
>Frau.Z様
「生き残った者の使命」それがアランを生かせた「もの」であり、
殺した「もの」でもあるのですね。
彼が革命を見届けて、そしてその精神が失われたときにナポレオン暗殺を・・・
結局、O様に殉じたのかもしれません。
投稿者:杏のあんこ>花ちゃんさま、「恋」と「愛」の違いは重要と思いまして、書きました。又、その違いがオスカルとユリウスの精神的な成長度の違いでもあると思います。オスカルは大人なんですわ。
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