誓い

 闇の中、オスカルの白い体が浮かび上がる。この目はもうはっきりとその姿を見る

ことができないが、奇跡のように白い体のシルエットだけが俺の目に焼き付く。お前

は東洋から伝わる金糸の束のような髪をその白い背中に惜しげもなく散らして、安ら

かな寝息を立てている。きっと、子供のころと変わらぬあの寝顔で。俺はお前の背中

を手でそっとなぞってみる。

 裸のお前の肩に初めて触れたときは、あまりの細さに俺は驚いた。シャツの上から

抱きしめたときでさえ分からなかったお前のこの肩の細さ。それが俺の心を苛む。

 こんなにも細い肩で、お前は何もかもを背負ってきたのか。オスカルの苦しみを、

俺はどれほど肩代わりしてやったというのだろう。

 お前が初めて涙を見せたあの時を思い出す。仕官学校に入って間もない頃、「女は

ここに来るな」といわれて同級生たちと取っ組み合いのケンカをし、勝ったものの、

お前は初めて俺の胸で涙を流して泣いた。あの時からずっと、お前はどんなに多くの

苦しみを味わってきたことか。女というだけでお前のことを認めようとしない者の信

頼を勝ち取るため、また興味本位な人々の視線を跳ね返すために、お前が一つ一つ、

丁寧に重ねた努力を、いったい何人の人間が知っているだろう。男でも重責に潰され

そうな任務の中で、お前が耐えた重圧をいったい誰が理解していたというのか。お前

がひそかに苦しみや哀しみを自分の中にしまい込んだから、人々はお前の輝かしい表

情しか見えなかった。

 同世代の、或いは年下の女たちが、女としての幸せを求める姿を、お前はどんな目

で見ていたのだ。ただ、自分自身の幸せだけに身を投じる女たちの姿を見ながら、お

前は何人もの部下たちの身の安全を守るという責任を一身に背負ってきた。男以上の

責任感と統率力。それを唯一人で、この細い肩に担ってきたのか。

 俺はもう一度、お前の肩に触れてみる。俺の手に吸い付くような、滑らかな絹を思

わせるしっとりとした肌の中、左肩にはっきりと残る刀傷。

 さっき、抱き合ったとき、お前はこの傷に触れられるのを嫌がった。

「刀傷のある女など・・・。」

そう言って、傷を隠すように身をよじろうとした。俺はそれを許さなかった。お前の

体をしっかりと腕の中に抱きとり、その傷跡に優しくくちづけた。

 

 

「お前の生きた証だ。俺には全てが愛おしい。」

俺がそういうと、お前は俺にしがみついて俺の肩に涙を落とした。俺はお前の美しさ

だけに惹かれたのではない。お前の輝かしさだけにのめりこんだのではない。完全無

欠のお前を愛したのではない。お前の流した涙も、お前の怒りも、お前が生きてきた

中で受けた数々の傷も、全てが俺には愛おしいものなのだ。

 オスカル、俺は今まで、お前の苦しみの半分でも一緒に背負っているつもりだっ

た。お前を守っているつもりだった。お前の悲しみを誰よりも知っていると思ってい

た。だが、それが俺の自惚れだったことに、お前のこの細い肩に触れて初めて気付い

た。俺はお前の本当の苦しみを一緒に背負ってやってなかったのかもしれない・・

・。俺を・・・・・許してくれるか。

 お前、胸を患っているのだろう・・・?俺には一言も言わなかったが。絵を見てい

たときの激しい咳き込み、俺のシャツについた血・・・。お前の体の変調を俺に伝え

るにはそれで十分だ。お前は、また自分一人で苦しみを背負い込もうとしているの

か。

 やがて朝が来て、お前と俺は現実に引き戻され、そしてパリに行く。二人の未来に

何が待ちうけているか分からない。いや・・・、分かっている。お前も、俺も・・

・。俺たちがどうなるか、口に出さぬともうすうす感づいているのだ・・・。だが、

オスカル、お前だけは何物にも傷つけさせない。俺がどうなろうとも、お前は生き

ろ。この命の全てをかけてお前を守る。今度こそ、お前の苦しみを俺が引き受けてや

る。今まで、守りきれていなかった分、俺の体を、心を、魂の全てをお前にやろう。

 俺は、誓うようにオスカルの左肩の傷跡に再びそっとくちづけた。

「・・ん・・・アン・・ドレ・・・。」

無防備な声で俺の名前を呼ぶお前があまりに可愛く、愛おしくなって、俺は腕をお前

の首にまわして抱き起こし、まるで子供を抱きかかえるように自分の膝の上でお前を

横抱きにした。目を覚ましたお前が手を伸ばし、細い指先で俺のくちびるをなぞる。

なんというしぐさで俺を愛撫するんだ、オスカル。お前はこんなにも女なのだ。お前

の中に涌き出る女としてのお前を知れば知るほど、それを押し殺してこなければなら

なかったお前の人生が切ない。

「アンドレ・・・。このまま時が止まればいいのに。時が凍りつき、永遠に朝などこ

なければいいのに。」

お前がそっとつぶやく。

「ああ、永遠にこのままだ、オスカル。」

俺はオスカルを抱く腕に力を込めた。オスカルも俺の背中に腕を回してしっかりと俺

を抱いた。このまま二人溶け合って、永遠という時間の中に堕ちていくことができれ

ば・・・。そんな思いが頭をよぎる。

「アンドレ・・・。ずっといいたくて、そしてずっと言えなかったことを言ってもい

いか。」

裸で抱き合っているときのオスカルの声は、いつもの張りのあるものと違っていた。

吐息のような声が俺の官能をくすぐる。

「何だ、オスカル。」

俺はお前の顔にかかる黄金の髪を手で梳きながら答える。

「アンドレ、ずっと私の側にいてくれてありがとう。」

「どうした、突然に。」

「お前がいてくれたから、私は生きてこれたんだ。子供のときから、ずっと・・。」

「オスカル」

「お前がいなければ、私はきっとひねくれた人間になって、自分の人生を呪い、もし

かしたら父上を恨んでいたかもしれない。私が苦しかったとき、悲しかったとき、お

前が変わらず側にいてくれたから、私は怖くなかった、勇気が持てた、自信を奮い立

たせることができたんだ。お前が私の悩みや苦しさを理解して、そしてそれを半分背

負ってくれたから、私は自分を信じて歩いてこれた。アンドレ、私の側にいてくれて

本当にありがとう。」

オスカルの言葉に俺は何も言えなくなった。俺は何もしてやれていなかったのに・

・。

「アンドレ、私はお前にしてもらうばかりで、これまでお前に何もしてやっていな

い。」

「何をいうんだ、オスカル。お前は俺に計り知れない大きなものをくれたよ。お前を

愛したことで、俺の人生は大きな意味を持った。こんな・・・俺の・・・」

オスカルの指が俺の唇を征した。

「私の愛する男は、優しく、強く、そして激しい。誰よりも私を理解し、何よりも私

を支えてくれる。」

オスカルのその言葉は、俺に感動を与えた。お前が俺を語る。お前が俺を認める。お

前が愛してくれることで、俺は自分の存在価値をみつけた。お前は俺が少しでも支え

になっていたといってくれるのか。オスカルの頬を一筋の涙が伝い、そして自分から

俺に唇を求めてきた。

俺たちの官能の焔が再び燃え上がった。「永遠」という名の世界に堕ちていきながら

―。

Fin

BACK            HOME