若葉の頃
若葉が目にまぶしい。春の到来を告げる新芽が陽気に誘われて一斉に茂り、もうすぐ夏がやってこようとしている。近衛隊にも新人の隊士が多く入隊する季節だ。仕官学校での訓練を終え、貴族の子弟たちが王宮警護の名目で毎年何人か入隊してくる。
今年はなかなか優秀な人材が揃っているともっぱらの噂だ。
新人隊士たちは、仕官学校での厳しい訓練から開放された一方で、実際に近衛隊に配属されてみると、下っ端の隊士たちのすることがあまりに少なく、退屈な日々を過ごしていた。しかも、彼らよりあとから仕官学校に入学したのに、卒業も待たずに王太子妃付きの仕官としていち早く入隊して、毎日忙しそうに王太子妃の警護についているオスカルの存在が、彼らは気に入らなかった。年下の、しかも女が自分達より目立つ職務についているのがどうにも癪に障っていた。そんな新人隊士の行き場のないうっぷんが、鬱積した形でオスカル向けられていく。
ある日、王太子妃の護衛の仕事を終えたオスカルはアンドレを伴って、近衛隊の詰所に顔を出し、帰宅の前にお茶を飲もうと休憩室にやってきた。二人は休憩室の窓際の席に座って、何やら談笑している。窓から刺しこむ光を受け、二人の周囲だけが美しい光景になっているのが、皮肉にも休憩室にいた新人隊士たちの嫉妬を買った。彼らのうちの一人が、少し離れたところから、オスカルに聞こえるように
「確かに近衛隊士には容姿が必要だが、最近の近衛隊士は美貌だけのやつがいると
もっぱらの評判だ。しかも、女並の美しさらしい。しかし、いかがなものか、容貌も女並なら、武術のほうも女並みの頼りにならん近衛隊と噂されてしまうぞ。」
と、大きな声で言った。オスカルは、一瞬視線をその声のほうに移したものの、何事もなかったようにまたアンドレと談笑を続けた。すると新人隊士たちの嫌味がさらにエスカレートしていく。
「いや、何やら本当に女がいるらしい。そういえば、我々のすぐ後に仕官学校に入学した貴族の子弟に混じって、ジャルジェ家の令嬢がいたが、彼女がそのまま近衛隊に入隊したなら、ますます近衛の面汚しになること間違いないだろう。」
新人隊士グルーブからはドッとした笑いがあがった。
オスカルは静かに黙って立ちあがり、彼らに近づいていった。
「君達、新入りか。ここは休憩室だということを忘れてもらっては困る。仕官学校の休み時間と勘違いするな。他の隊士も休憩時間を過ごしているのだ。もう少し静かにしてはもらえまいか。」
冷静なオスカルの態度は、彼女を煽りたくてたまらない新人隊士グループの怒りをさらに激しくした。
「おお、ここにいたではないか、女のように美しい近衛隊士が。」
「本当だ。これこそまさに女並みの美貌。」
「して、その腕前のほうもやはり女並みなのかな?」
オスカルは、小さな溜息をもらし、しかたないなという表情をした。
「どうしても私の腕を試したいと見えるな。」
「やっとわかったのかい?ジャルジェ君。仕官学校では君の同級生たちと下級生の間では君のことはとかく噂になっていたが、あいにく我々は子供のたわごとを信じない性質でね。」
アンドレは窓際に立って余裕の笑みを湛えながら、彼らとオスカルの遣り取りを聞いていた。
(また、はじまったか。まったく、どいつもこいつも身のほど知らずだ。ケンカを売る相手のことは、あらかじめ情報を集めておくのが勝つための鉄則だろう。そんな基本もわかっていないやつらに王宮警護がまかせていいのか?)
と思いながら、窓を背にしてガラスに体を預ける形で遠巻きに見ていた。すると、新人隊士の一人がオスカルの肩を押し、突き飛ばした。
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「あ〜あ、とうとう始めやがった。」
アンドレは溜息をついた。助けるまでもないだろう、と思った。入隊間もない隊士との取っ組み合いなどはオスカル一人でどうにでもできる。そう判断したアンドレは観戦を決め込んでいた。しかし、達観しているふうに見えながらもアンドレはオスカルの動きを目で追っていた。加えて、ケンカを売った新人隊士たちの動きも読み、心の中で「オスカル、次は右に回れ」などとケンカの流れをみていた。アンドレの読んだ方向に必ずオスカルは動いた。いや、オスカルの動く方向をいつもアンドレが読んでいるといったほうがいいのか。
そのうち、騒ぎを聞きつけた新人隊士の同期たちが加勢しはじめた。いくらオスカルでは多勢に無勢では多少なりともてこずっている。
アンドレは
「やれやれ、こっちもそろそろ加勢しなければ、屋敷に帰るのが遅くなっちまう。お
ばあちゃんのお小言はごめんだ。」
そうぶつぶつつぶやきながら、窓にもたれかかっていた体を起こし、袖口のカフスをはずし始めた。
「まったく懲りないやつらだぜ。」
そう言いながら、ゆっくりと諍いの渦の方向に近づいていく。近づけば近づくほど、ケンカをしかけた新人たちの息があがっているのがわかった。オスカルは見事なまでに呼吸一つ乱れていない。アンドレは冷静に彼らに近づいた。
「オスカル、はやく片付けて屋敷に戻ろう。加勢するぞ。」
そういうとオスカルと背中合わせで身構えた。
「何をこいつ!!平民のくせに、目障りなんだよ!」
「平民はパリで商売女とでもよろしくやっていろ!」
新人たちの間から、今度はアンドレを罵倒する言葉が上がる。しかし、当のアンドレはそんな兆発に乗る気配は一向にないばかりか、不適な笑いをもらした。
その場の光景を目撃したものは不思議なものでも見てしまったような感覚に陥っていた。それはケンカというより、まるで美しい絵でも見ているようだった。人間があのように美しく動けるものなのか・・・。アンドレが加勢したことで、二人はあらかじめ示し合わせたようにお互いの呼吸を読み取りながら鮮やかに無駄なく、襲いかかってくる新人隊士たちの体に急所をはずしながら拳をめり込ませていく。力量の差はあきらかなほどオスカルも強かったが、不思議なことにアンドレ一人が加勢したことで、1プラス1で2になるはずの力が、5にも10にもなっていた。
ケンカを売った新人隊士たちはみんなあっというまに床に伸びてしまった。
そこに、騒ぎを聞きつけた上官が駆けつけてきた。
「何事だ!!」
彼はオスカルに詰め寄った。
「いえ、なんでもありません、少佐殿。血気盛んな新人隊士たちが体が鈍って困るというものですから、私が運動の相手をしてやっただけでございます。」
オスカルににんまりと笑いながらそういわれた少佐は
「これが運動の後かどうかは見てわかるわ、ばか者!」
そうどなると、部屋の片隅で観戦していた古株の隊士たちのほうに詰め寄った。
「おい、お前たちは見てたのだろう、何があったか申してみろ。」
「はい、少佐殿。ジャルジェ大尉の申す通りでございます。彼らは昼下がりの運動をしていたのでございます。」
「さようです、少佐。もし、少佐のおっしゃられるように、彼ら新人とジャルジェ大尉が何かをしでかして、その結果がこれだとするならば、国王陛下が選ばれた王太子妃付き仕官どのをないがしろにする新人達の行為、許されるものではないのではないでしょうか。」
「しかも誇り高いフランス近衛隊士が一人にこのようにやられてしまうのが事実であるならば、彼らは今しばらく仕官学校での勉強を延長する必要があるでしょう。」
古株隊士の言葉に二の句がつけなくなった上官は
「ええい!!わかったわ、怪我だけはするでないぞ。」
と言い残してその場を去ってしまった。
部屋中から、くくくっという笑いが漏れ、やがて大笑いの渦が広がった。
「いやー、ジャルジェ大尉、いつものことだが、今回も楽しく観戦させてもらったよ。アンドレ、相変わらずお前の読みとジャルジェ大尉の動きを読む呼吸には脱帽だよ。」
そういって新人以外の隊士たちは二人を囲んだ。
やがて、気を失っていた新人隊士のうちの一人が立ちあがって、オスカルに握手を求めてきた。
「ジャルジェ大尉。申し訳ありませんでした。我々は貴方と貴方の護衛殿に完全降伏です。」
オスカルはその新人隊士の顔をみてにっこりと微笑んだ。さっきまでの鋭い表情から一転して、まぎれもなく美しい女性の顔に見えたため、新人隊士はどきまぎした。オスカルは手を差し伸べながら
「いや、我々こそ、少しばかり手荒な真似をしてすまなかった。君、名前は?」
「はい、ヴィクトール・クレマン・ド・ジェローデルと申します。」
二人は握手を交わした。すると、ほかの新人隊士たちもこの握手に加わった。
そして、彼らはアンドレに対しても握手を求めてきた。
「アンドレ・グランディエだったね。すまなかった。君の動きは見事なものだっ た。」
男社会の中にあって、女というハンデを、そして貴族社会の中にあって、平民というハンデを、二人は実力で乗り越えざるを得なかった。それは、二人が宮廷で生き残るために課せられた試練であったが、当の二人はそれを苦とも思っていないようで、そればかりか、時にはその状況を楽しんでいる風でもあった。そして、そんな彼らを一度認めてしまうと、ほとんどの者が二人を称えるのであった。
その日、帰宅の馬車の中で、オスカルはアンドレに詰め寄っていた。
「アンドレ、お前どうしてもっと早く加勢しなかった?」
「え?いやー、アントワネット様の護衛で体が鈍っていて、お前も久しぶりに運動がしたいだろうと思って・・・。」
「ふん。まあ、よい。あれがお前のやり方だとわかっている。お前は加勢したほうがいいときだけを読みとって、私に手を貸してくれる。おかげでわたしもいろいろな場数が踏めるよ。」
「なんだ、オスカル、俺に感謝しているのか、嫌味なのかよくわからない言い方だぞ。」
「わからないのか、両方だ。」
そういってオスカルはにんまり笑った。
「まあいい。だが、オスカル、おかけで、俺もいつもより腹が減った。今夜の晩飯はさぞやうまいだろうな。」
「まったく、アンドレ、お前は食事のことしか頭にないのか。」
「何をいう、食べること、これ人生最大の歓びなり、だ。」
「誰の言葉だ?」
「今思いついた。」
二人は顔を見合わせて大笑いした。馬車は二人を乗せてジャルジェ家の屋敷の門をすべるようにくぐっていった。
Fin
☆☆☆☆☆Geminiのひとりごと☆☆☆☆☆
これも、いろいろ設定に無理があるのですが(ごめんなさい)、目をつむってやってください。この頃のOAはまさに人生の「若葉のころ」・・・でしょうか。
私の中ではA君は根っからのラテン系なので、「食べること、これ人生最大の歓び」と言わせてしまいました。(フランス人とかイタリア人はそう思っているらしい)決して、食いしん坊ではないんですよ。