「イシリエンにて」            はかりさん作   (挿絵Alatariel)


 おらは旦那が好きだ。
 旦那はこうなんだ。
 それに時々、どういうわけでか光が透けるみたいだ。
 だがどっちだろうと、おらは旦那が好きだよ。


 イシリエンの森の中。
 フロドは羊歯の間に深々と身を沈めて眠っていた。サムはそのかたわらに座り、フォークを手に兎肉
のシチューを火にかけて鍋の様子を見守っている。ゴクリの姿は無く、不思議と静かな時間が流れてい
た。正午にさしかかろうとする森の空気は暖かく、サムは火の世話をしながら何度ももう少しで眠って
しまいそうになった。

 サムは無事を確かめるように主人に目を遣り、安らかな寝息を聞いて安心した。だが、ホビット庄に
いた頃よりも痩せてしまっている手と頬に心を痛めた。フォークを置き、そっとフロドに近寄った。

「すっかりやつれてしまわれて…。」
 毎日顔を見ているのに、あらためて気づいたことに少なからず愕然とする。それだけ緊迫した旅をし
ているということなのだ。
「いつもおそばにいるのに、気づかなかっただなあ。」
 だが、いつもフロドのそばに―――いられなかったかもしれないのだ。もともとホビット庄からも、
フロドは一人で旅に出るつもりだった。それから何度となく死線をくぐり抜け、パルス・ガレンではサ
ムさえも置いていきそうになったフロドだった。あの時、フロドから離れることは自分を死なせるよう
なものだ、と必死に追いすがって説き伏せ、今はこうして一緒にいる。
 サムはそっと身を屈めてフロドに顔を近づけた。規則正しく上下する胸元と、品よく閉じられた形の
よい口元。心の奥から熱い衝動がこみ上げてくるのを我慢できず、彼のおとがいに手をかけると―――
それはフロドをつかまえておきたいという気持ちからだったかもしれない―――唇を重ね合わせた。

フロドは軽く身じろぎをしたが、目は開かなかった。だが、あるいは起きていたのかもしれない。反
射作用からか両腕がぎこちなく動き、サムのほうへ差し伸べられ―――やがてそっと降ろされた。
 サムはフロドの口唇のなめらかさを味わうと、名残惜しげに顔を離した。表情をうかがい、変わらぬ
寝息に安心する。


 シチューが出来上がると、サムはそっとフロドを起こした。フロドはあくびをしてうーんと伸びをし
、にっこり微笑んだ。まるで何もかもを許しているような、言葉にしなくてもサムのすべてを受け入れ
ている、静かな慈愛の笑顔だった。

「やあ、サム!休まないのかね?どうかしたのかい?」
「おら旦那にシチューをお作りしましただ、お体にいいと思いますだ。召し上がってくださいまし。」

 フロドは本当に眠っていたのだろうか?サムにはわからなかったが、尋ねることはしなかった。
 ただサムが覚えているのは、フロドのやわらかい唇の感触だった。

 おわり
 

back  home  はかりさんへメール