夢から夢へ
(指輪棄却後、フロド達がホビット庄へ戻ってからのお話です)
フロドは一足先に袋小路屋敷へ戻り、一人で住んでいました。
屋敷の片付けが終わり、サムがそうするように熱心にすすめてくれたからです。
サムにしてみれば、あんなにつらかった旅を終えてきた主人に、一日でも早く元の暮らしに
戻って欲しいと思ったのです。それは当然でしょう。何をも優先して屋敷の修復につとめて
くれたのです。
サムの気持ちがわかるので、フロドはそのすすめを断りませんでした。
もともと、旅に出る前は一人暮らしでした。
フロドは一人で住むことには慣れているはずでした。自分でもそう思っていました。
でも、旅の間、常に誰かと一緒だったことが、いつの間にか当たり前になっていました。
そして、いざ一人になってみると、フロドは自分でも驚くほど戸惑ったのです。
そばに誰もいないのがこんなに不安なものかと。
一番長く一緒にいたのはサムでした。
そう、彼はずっとフロドのそばにいました。
朝起きる時も、食事をする時も、歩く時も、休む時も。
森の中、荒涼とした沼地の中、ロスロリアン、モリア、滅びの亀裂、ゴンドール。
サムはいつでもフロドの隣にいたのです。
袋小路屋敷で、サムが整えてくれたベッドに身を横たえ、フロドは何故自分が一人でいるの
か不思議に思うのでした。
そのうちサムを呼ぼう。今はまだ忙しいけれど、折を見て言おう。
サムと一緒に住むのは簡単なことだとフロドは考えていました。
ある夜、フロドは夢を見ました。
それは夜でした。フロドが帰宅すると、暗い家の中にぽつりと灯りが浮かび、
ろうそくに照らされてビルボがテーブルについていました。
ビルボはこちらを向いて、フロドがよく知っているなつかしい笑顔で言うのです。
「やあ、おかえり、フロド」
フロドは胸がつまりました。あたたかく、けれどそれはさみしそうな光景でした。
いえ、ビルボがさみしそうなのではありません。
それはフロドのほうでした。フロドは誰かにそばにいてほしかったのです。
こんなふうに、誰かに迎えてほしいのです。
フロドはビルボの手元をのぞきこみました。何か書き物をしていたらしく、ノートがありま
す。そこにはビルボが箇条書きで単語を書きとめていました。
なにか時刻が書いてありましたが、よくは読めませんでした。
ふとフロドは気配を感じ、振り返りました。
戸口に、小さな女の子が立っていて、フロドを見ていました。
3,4才くらいでしょうか。長い金色の巻き毛にふっくらした頬。
はずかしそうに笑っています。かわいい女の子です。
フロドもつられて笑いました。
自分の子供ではない。フロドは直感でわかりました。
女の子の優しい瞳、あたたかい雰囲気は、誰かに似ています。
それは、フロドにとって身近で大切な友人、サムでした。
女の子は確かにホビットの子供ですが、どこかエルフのような清涼な佇まいです。
フロドは不思議な既視感におそわれました。
女の子の瞳には安らぎが見えます。それは、一度も訪れたことはないのに、遠くなつかしい
場所が自分を呼んでいるかのようでした。
そこでフロドは目が覚めました。
まだ夜です。窓の外は真っ暗で、風が小さくガラスをたたいています。
喉のかわきをおぼえ、フロドは起き上がって台所へ行きました。
暗い部屋の中、夢でビルボが座っていた椅子とテーブルがありました。
今そこにはもちろん、誰の姿もありません。
フロドはテーブルを撫で、立ちつくしました。
さきほど見た夢がまざまざとよみがえってきたのです。
なつかしさ。さみしさ。なにかに急きたてられるような感覚。
夢の余韻に浸り、すぐには眠れそうにありませんでした。
いつ引っ越してくるかい?との問いに、サムは遠まわしにローズのことを伝えてきました。
サムは結婚したかったのです。それでいて庭師として主人のことも気にかかっていたのでし
た。
ローズの名前が出ることを、フロドは驚かずに聞いていました。
どこかでわかっていたのです。予感でした。
パズルがぴたりとあてはまるように。あの夢の女の子の母親は彼女になるだろうと。
サムとローズはめでたく結婚し、袋小路屋敷で一緒に住むことになりました。
フロドはもう一人暮らしではなくなったのです。
けれど。
そして。
やがて季節はめぐり、
フロドとビルボが愛した庭では、金色の巻き毛の女の子が駆け回って遊びます。
のちにエルフのようだと称賛されるほど、かわいい女の子でした。
サムとローズの子供です。
庭には花が咲き乱れます。
でもそこに、かつての屋敷の主人たちはいないのです。
フロドはビルボとともに、エルフのふるさとへ行ってしまいました。
二度とホビット庄に戻ることはないのです。
でも、フロドは予感したとおり、その地へ「帰っていった」のかもしれません。
灰色港でフロドが乗船したのは
いつか夢の中で、ビルボが書きとめていた時刻だったのでした。
(おわり)