2004/04/29
大分間が空いてしまいましたが、レヴューを再開したいと思います・・・。(こんなものでも読んで下さってる方有難うございます。) えっとこの後はいよいよ滅びの罅裂・・・・。 じゃなかった、サムがフロドを背負うの図ですね。この場面どうでしょう? 「両腕はゆるくかれの首の周りにめぐらされ、両足はサムの腕の下でしっかり組み合わされました。」 と原作にあるようにサムが背をかがめて、そこにぐったりとしたフロドがやっとへばりついてサムがそれを背負いあげる、という光景を私は想像していました。 しかし、映画のサムは米俵か何かを担ぐようにフロドを肩にどさんと乗っけてしまったのには、ちょっと唖然・・・。担ぎ上げる前の台詞もすごい力入ってるというか、妙な気合にどうしても少々引いてしまう私・・・。 「指輪を葬るのです!」と叫んで旦那を担ぎ上げるところで、BGMも感動させんぞ、とばかりに盛り上がるし・・・・。 サム、君はそんなに英雄になりたいのかい? とゆうわけで、この場面ものすごく思い入れのある場面なのです。フロドを背負って欲しかったのです。担ぐんじゃなくて。担ぐのは物でしょ、ひとじゃなくて。担ぐと背負うでは対象に対する「愛」に違いを感じます。フロドを担ぎ上げたサムは豪壮な感じだけど、原作でフロドを背負ったサムは子供をおんぶするように優しかったなぁ・・・・。 |
2004/04/09
しかしそれでも、感動した場面はありました。倒れても、這って進むフロドには、ああやっとこれが彼の姿だ、と思いました。そして、全てのサムの癒しシーンの代替のような愛に満ちた抱擁シーン。ここで全部纏めちゃったんですね。 欲を言えば、二人が寄り添うように眠るシーンとか、サムが体を暖めてあげるシーンとか、フロドが罅裂の直前でサムに「自分では止められない」とサムに助けを求めた時にサムが指輪と戦うそのフロドの手を優しく包んでキスするシーンとか、是非にもイライジャとショーンのビジュアルで見てみたかったシーンはたくさんあるのですが! でもまあ、やはり映像の力は強いです。 滅びの山の山肌で倒れたフロドを抱きかかえたサムの図はなかなか素敵・・・。ポスター、ちらしでいやというほど見てしまってるので、新鮮な感動というのは無いですが、こういうシーンを入れてくれて良かったです。 でも・・・!やっぱりちょっと違うぞ、映画サム。 フロドを抱きかかえたのは良かったけど、最後の「指輪を葬るのです」は無いと思いました。原作のサムなら言わないぞ〜。そんな説教くさい台詞。なんか、燃えてしまってるのですよね、映画サムは。指輪棄却の使命に。 そうじゃない。サムはもちろん指輪棄却の使命が達成されなければいけないことは知ってるけれど、それはフロドの使命。サムはまずフロドそのものがひたすら大事なのですよ。だから、「助けてくれ」と言われても叱咤なんてしない。ただ、手を取って接吻する。それがサムの優しさでしょう。言葉に出して「指輪を葬るのです。」なんていうのは全然サムらしくないのです。なんだか映画のサムはフロドが好きでフロドを助けてるのか、指輪を葬りたくてフロドを助けてるのかよく分からない・・・・。 それにサムは指輪とフロドの間に入ってきてはいけないのです。フロドはたった一人で指輪と最後まで戦うのですから。原作サムというのは、指輪所持者となるのも事実ですが、フロドと指輪の間に入ることはありません。フロドをもっと違った意味で支え助けます。しかし、PJ版サムはダイレクトに指輪との戦い上でフロドを助けてします。ここは大きな違いと言えるでしょう。 この点でも原作サムの愛は不思議な運命を誘います。サムは図らずもほんの一瞬指輪所持者となったが故に、フロドの元へ、西に渡る権利を手にするのですから。 |
いよいよ「影の国」です。モルドールです。 ここからが真に二人の最後の旅の始まりです。 最も苦しい試練がフロドを襲います。何度も何度も指輪に伸びていく手を彼は精神の力を振り絞って押し戻します。疲れきって無言になっていくフロド。彼の心の内側は見えなくなってしまいます。最後には歩くことさえ出来なくなってしまう・・・。しかし、彼は這ってでも前に進もうとします。 そんな彼を助け支え続けるサムがいました。最悪の状況の中、たった二人のホビットが試練の道を行きます。 私が原作で最も心を震わされ、涙した場面の一つでもあります。私は原作では、アラゴルンルートのダイナミックな指輪戦争の物語より、フロドルートのこうした地味な道行の方を面白く感じ、また惹きつけられました。しかし、PJ映画では逆にフロドルートの方がつまらなく感じたのは不思議な点です。なんてったって陽動作戦をしている皆さんの話の方が面白い!PJ版とはつまりそうしたものなのでしょう。フロドルート を描くにはちょっとアプローチの方向が違っていた、そういことなのです。 本来、二人のルートにも地味ではあってもドラマがあり、魅力がありました。しかし、PJ流とは原作に漂う独特の間合い、「静」のドラマを殺し、安っぽい「動」的エピソードを付加することだったのですね。 PJ流の感覚でいけば、二人のモルドール行は盛り上がりに欠け、映画にするにはドラマ性が足りない、ということになるのでしょう。 この為か、あっという間に二人は罅裂についてしまいます。 フロドは滅びの山に近づけば近づくほど指輪の呼び声に押しつぶされそうになります。限界が近づきます。指輪を嵌めたくなります。しかし無い力を振り絞って戦います。最後のあの瞬間までは・・・。 しかし、映画のフロドは既に限界点を試されていました。TTTラストのオスギリアスです。順序が逆になっているため、だんだん強くなっていく指輪の魔力は感じ取ることが出来ません。罅裂の場面とオスギリアスの差はどこに?罅裂ではサムが止められなかっただけでしょう。 全体的にフロドの戦いがかすんでしまったモルドール行ですが、ひとえにTTTでのやられ過ぎがイケナかったとしか思えません。 |
さて、塔のてっぺんの部屋で目覚めるフロドですが、ちょっとイライジャのなまっちょろいぷよんとしたお腹とかが気になりますが、持ち前の肌の綺麗さなのでまあ良いでしょう。あ、でもこの場面、絶対下半身は穿いたままだろうなぁと思っていましたが、やっぱりそうでございました。いえ、これも本当に全裸だったら見る方が恥ずかしいので良いのです。ところで、原作のこの場面のフロドは私は全裸にされたものと確信しているのですが、本当のところどうなんでしょう?全裸で鞭で打たれて横たわってるフロドは痛々しいなぁ・・・・。 映画では鞭で拷問されてはいなかった様です。傷もありません。 原作ではすご〜く好きでたまらない場面なのですが、映画ではあの優しさと癒しの時間は微塵もありません。ものすご〜くあっという間の展開。映画を見る前に知っていたので良かったです。この場面期待していたら、撃沈していたでしょう。ここでも優しいサムの抱擁とでこちゅーはカットです(号泣)。 単に、サムから指輪を取り戻す時のフロドの怖さが強調されたシーンとなっていました。「盗人」呼ばわりしなかったのは不幸中の幸いでしょうか。PJ版のフロドは既に充分指輪の亡者と化しているので、ここで原作のあのインパクトある「この盗人め」という、サムを思いっきり泣かせる台詞はよもや必要なかったのかもしれません。 でも映画のサムはちょっと可哀相だな・・・。だってすごい大変な思いして、フロドを救いにやって来たっていうのに、あっさりした詫びの言葉しか無いんですもの。ここはフロドもサムを抱きしめるとか、あるいは原作通りにサムに身を任せてあげる(笑)とかして、‘再会’出来たからこそ溢れ出る愛と思いやりを感じさせて欲しかったところ。サムにしてみればフロドを見つけることが出来たのはおそらく彼にとったら探索行の成功より嬉しかったはずだし(断言!)、フロドにしてみれば「全て」を救って貰ったようなものなのですから。 |
ゴラムの裏切りに気付き、そしてそれが指輪への執着からだと悟ったフロドはやっと、原作の彼が持つ賢さの片鱗を覗かせます。「お前のためにも指輪は滅ぼさねば」。 ゴラムの裏切りもフロドの膝をさすって良心と葛藤するシーンがカットだった為に単なる悪党にしか見えないのが残念です。ゴラムの葛藤は、フロドの度量ともリンクする部分なので、これが無いから余計にフロドの憐れみの意味が伝わりません。 力を振り絞って進もうとするフロドですが、憔悴は激しく遂に倒れてしまいます。しかし、そこは美しい光の射すロリアンの木立の下でした。前を見上げると神々しい姿で奥方が立っています。「あなたにしかこの使命は果たせない。」 力強く励まされたフロドはまた立ち上がります。このシーン、実はRotKで1、2を争うくらい好きなシーンだったりします。フロドのシーンでこうした心象風景とも言える内面描写はほとんど無かったように思うのですが、このシーンはFotRのラストでガンダルフの声を心に聞くフロドの姿と非常に重なりました。指輪のささやきも良いのですが、賢者たちのささやき、ならぬ呼びかけが入ることで、彼の「負ける」姿ではなく、「戦う」姿が強調されます。 話はそれますが、娘さえ無事なら良いという、映画では著しく器の小さい人になってしまったエルロンドに比べて、ガラドリエルは最後まで、中つ国の人々の希望と力を信じて彼らに味方するところが好きです。 しかし、なんとか前に進もうとするフロドがシュロブに刺されたところにサムワイズ殿がカッコ良〜く登場(笑)。姫を助けに来たナイトさながらです^^;。 ああ、しかしこの後が実にイケマセン。 マトリョーシカフロドは滑稽で泣けないし、なんといってもあの「サムワイズ殿の決断」が激しく割愛!!時間が無いの分かります。ええ。でも。でも〜〜!!もうちょっと何とかならなかたんですか。戦闘シーンをほんの5分削れば、5分こっちに割けたでしょう(大泣)!?だってエオウィンとセオデンの別れのシーンはあんなに情感たっぷりに(しかも原作に無いのに)ある程度時間を割いていたじゃないですか。 フロドが死んでしまったと思い込んだサムが暴れ回って悶え苦しむ様子とか、フロドの傍に留まって探索行を放棄するか、フロドを置き去りしにして探索行を続けるかという彼にとっては究極の選択に苦しむ様子とか、一旦探索行の遺志を継ぐ決断をしながら、いつまでも離れがたくフロドの亡骸(と思ってる)をこれ以上無い程優しく愛撫する様子とか、そして究極はフロドの首から鎖を外して額にキスした後の、この台詞でしょう! 「旦那のサムをお許しください。仕事が終わったときには、−もしやり遂げられたらのこってすが、この場所にまた戻ってきますだ。そしたらもう二度とお傍を離れません。おらが戻ってくるまで静かに休んでてください。願わくば忌まわしい者たちがお傍に近寄りませんように!もし奥方におらの声が聞こえ、一つの願いをかなえさせてくださるなら、おらがここに戻って再び旦那を見つけられますようにとお願いしますだ。さようなら。」 一つの願いですよ、一つの願いは死んでしまった主人の元に戻ってくることだなんて。これ以上の究極の「愛」ってありますか?。だって遺体の、しかも死後何日も過ぎた遺体の元に戻ってどうしようっていうのでしょう。もう(遺体の)傍を離れない、ってこれ、自分もフロドの後を追って逝こうということですよね!?。違いますか? しかし映画のサムは一人でも使命が達成できたら、さっさと自分だけ助かって、モルドールの山中のフロドの亡骸なんて忘れ去り、ロージーと幸せに暮らしていそう・・・、と思ってしまったのは私だけでしょうか?。ああ、腹立ってきた・・・・・・。 |
さて、かくしてシュロブの棲家にまんまと誘い入れられてしまったフロド。 原作ではサムと二人で歩いたシュロブの棲家。ここで初めて後悔のかけらが見え隠れし始めます。心細く呟く「・・サム。」 彼がいかにサムに支えられていたか分かる台詞です。なので、まあこれは良しとしましょう。ところで、映画のゴラムはどうしてサムを引き離したんでしょうね?二人一緒でもなんら損傷はないのに・・・。サムが居たら、フロドを助けてしまうかも、とか考えてしまったんでしょうか?映画のフロドは頼りないですからねぇ。それとも単純に嫉妬でしょうか。本来ゴラムは自分に優しく接したフロドを慕う気持ちが芽生えています。自分を快く思わないサムを排除してとりあえずフロドを独占したかったとか・・・。そういう気持ちが少しはあったとしても自然かななどと真面目に思ってしまいます。 しかし、悪党の、そして裏切り者の、魂が勝ってしまったゴラム。フロドを袋のねずみに・・・。 ああここでやっと言ってくれました。エルフ語。そうよ、フロドあなたはしゃべれた筈。「アイヤ エアレンディル エレニオン アンカリマ」。呪文っぽいので、よもや流暢に話せるなどと、ここで悟る観客は居ないでありましょうが。 さて、全てを−誰が本当に自分に忠実で誰が裏切り者だったかを悟ったフロドはさらに後悔に暮れ、もはや傍に居ないサムに詫びます。なんだか、いろいろあったけど最後には決まった場所に戻ってくる浮気男みたいと思ってしまったのは私だけでしょうか。TTTからなにやらゴラムがらみでは詫びてばかりいるフロドですが、「殺し文句」で元のさやに収まる遊び人のようです。サムも弱いのでしょうか(笑)?「お前が居てくれ嬉しいよ」とか「すまない、サム。」に。 あー、やはりどこからどう考えてもこの挿話は要らない!余計!安っぽい!!サムもゴラムもフロドも3人とも原作の彼らから逸脱しています。矮小化しています!これで物語がドラマチックになったんでしょうか!?未読の方にとったらこのほうが良いのでしょうか?ま、裏切りと忠誠ということで、確かによりストーリーに山は作れたのかもしれません。しかし!ここまでこの3人を酷く描いていいものでしょうか。この3人てものすごく重要な3人なのですよ!。 |
安っぽい・・・。安っぽいのですが、しかし敢えて言うのなら、サムの愛は強調される形になっていますね。いかにもな3画関係上で不遇の立場を強いられる者は、報われぬ恋の相手への想いをより一層募らせることになる。これはラブストーリーの定石。そう、愛は障害があると強まるもの。 ここらへんのサムはこんなに愛を捧げているというのに受け入れて貰えず、片思いの苦悩に焼かれる試練の男、という感じで愉しめます(笑)。サムの涙目はツボだったかも。 |
さて、この後に続くのはゴラムの陰謀です。 サムはゴラムの悪巧みに気付きますが、フロドには信じてもらえない。ゴラムの手をつないでいくフロドの姿が印象的。 3人はミナス・モルグルに差し掛かります。もう慣れっこになりましたが、またしても闇の呼び声にいとも簡単に負けて吸い寄せられていくフロド。どうもTTTのオスギリアスの場面の韻踏みのようで少々うざったく感じてしまいます。「もう分かったよ」と言いたくなるしつこさ・・・・。 続いてくねくね階段のぼりですが、ここで、ゴラムは点数稼ぎに余念がありません。ここで映画独自に挿入された話が続きます。まんまとゴラムに騙されたフロドに「帰れ」と言われて山を下ってしまうサムですが、この挿話非常にもさもありなんといった安っぽさを感じてしまいます。見る側には展開が見え見えですし、一番悪いのはこれによってフロドもサムも共倒れになってしまっている点。ここまでの展開、フロドはいささか、ゴラム贔屓に偏った感は否めません。二人の言葉を聞いてもいつも信じるのはゴラムの方。公平に判断できないフロドの不甲斐なさが目立ちます。それでも必死にフロドの為に付いていくサムですが、ついに「帰れ」と言われてしまう。 原作のフロドなら、ゴラムの小細工に騙されることは有り得ないでしょう。フロドはサムの人柄を心底理解しているし、なんてたってサムはmy dearest hobbitなのですから。そもそもゴラムがフロドを裏切ったのも、フロドを愛し始めたゴラムが二人の強い絆に嫉妬したという側面もあったと・・。ましてや聡明なフロドがいかに指輪がからんだとしても、こんな単純なトリックに騙されて自分の為にここまで尽くしているサムを追い返すほど愚かな真似はしないでしょう。 そして原作のサムもやはり、どんなことがあってもフロドから離れ一人引き返すなど有り得ません。 やはりどうもこの挿話は一見3人の関係を分かりやすくしたようでいて、その実矛盾と、安っぽさ、フロドという人格の明らかな矮小化が目だってならないと感じるのですよね。うむむむ。 |
あ、いけない。このレヴューはこんなに硬く書くつもりではなかったのに、ついつい・・・。 で、ROTKの冒頭の場面です。 ゴラムに起こされて目覚めたサムと眠れていなさそうなフロド。暗い空に寝すごしたと焦るサムは原作「二つの塔」と同じです。 そして、これもまた原作の滅びの山への道程でのように自分は我慢してフロドに食べさせようとするのも、配分を計算するのもサムらしくて良いでしょう。ここで、サムは「帰りの旅」があること、つまり使命を達成して尚生きて帰る、というポジティブなビジョンを示します。原作ではこれを即座に否定するのはフロドですが、映画のフロドはただ黙り込むだけです。映画のサムは自分で提示した命題に自分で答えてしまいます。モルドールに入った後の水筒の水を飲むシーンで、サムは「帰りの旅はないでしょう」と言います。生きては帰れない、つまり命は失うだろうというフロドの静かな覚悟がサムのものとして語られるのはまたしても二人の立場の逆転と言えるでしょう。 帰りの分の心配はいらないというある種、サムよりも冷静で静かな悟りのような境地さえ感じさせるフロドの内面性がここではサムに横取りされた感じです。やはり、頼りないご主人のフロド。 しかし、それなのにいざ使命を達成できた直後にはフロドの横で未練たらしく女の話をするなよ、サム!というものです。あんたさっき、帰りの旅はないでしょう、って旦那に言ってたくせに、おいっ。思わずつっこみたくなる、あの唐突さはやはりこう考えてもどうもしっくりこないのです。あそこでたくましく生への執着を語るなら、ってこれは本来サムらしい前向きで健康な心の表れに他ならないのですが、しかし、だったら、やはり死の覚悟はフロドに語らせて欲しかったというもの。 |
そもそも、私はFOTRの時点から映画のサムがフロドにMr.の敬称をつけないで呼び捨てにすることが多いのが気になっていました。原書ではよっぽどの窮地でないかぎり、サムはフロドのことを呼び捨てにしません。どうもよく分からない二人の関係・・・・。 この二人、友達なのか?主人と召使なのか?どっちが賢くて偉いのか? 原作はあくまで二人の関係は主従だと私は思っています。英国社会風に言えばフロドは中産階級の紳士。サムは労働者階級の庭師。といったところでしょうか?フロドは年上で学があり人格者でもある、サムには主人への盲目的心酔と尊敬と愛がある・・・。 しかし、映画の彼らはどうでしょう? PJは彼らに「友情」を連発していましたが、やっぱり主従の要素は原作より薄く、人格的な差異も原作ほど無いのが特徴と言えます。そして演じた俳優の年齢差が原作と逆転していることもあり、ビジュアル的にもフロドは年長の紳士というより、年若い坊っちゃん。サムは召使というより、頼りない坊っちゃんに付いた年上の後見人っぽい感じでしょうか。 この結果、映画のサムがフロドに尽くしまくるのって、何故?という疑問が生まれます。どうも理由は頼りないご主人の「美貌」にあるのでは?という邪な憶測をどうしても誘ってしまうのです(?)。だって、あのへたれなフロドにどうしてサムがあんなに尽くすか他の理由が見あたりますか? |