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When you want to use my drawings, please be sure to send mail to me.波音−シャイア編
寄せては返す波。
虚空にはかの星が輝いていた。
シルマリルを輝かせて天つ海原を飛翔しゆくエアレンディルのヴィンギロト。
あの星は旦那の玻璃瓶とおなじ光。
あの光で暗いトンネルを突き抜けた。キリス・ウンゴルの塔の恐ろしさよ。
別れの日も大海原の一点となるまで明滅する光は灰色港の岸辺に届いていた。
旦那もこの星を眺めているのだろうか。ヴァラールのまします西の国で。
サムは別れの数日前のあの夜のことを思い出していた。
フロドが中つ国で最後に迎えた誕生日の夜のことを。
「おら、大ばかですだ。今になってみて初めて判るだなんて。」
判る、何が?とサムは言いながら自問した。
「おらは行かれない。そうだ、家族が居る。どうしておらは結婚なんかしちまったんだろう。」
サムは声には出さずにそう叫んだ。
「そんなことを言うものではないよ、サム。」
聞こえたようにフロドは強い口調で言った。
「ローズとエラノールを愛しているだろう。そしてホビット庄も。」
サムも言ってはみたが、家族を愛しているのに酷い事を言ったと思った。フロドは自分を慕うあまりに動転しているサムの気持ちが痛々しかった。
「おら、旦那と離れたら哀しくてどうにかなっちまいますだ。」
「さっきも言ったろう、あまり悲しんではいけないよ、サム」
フロドの顔は穏やかだった。さきほど、全ての事情が飲み込めて絶叫して諭された時もそうだったが、今もフロドは光が透けて見えた。さっき会ったエルフの偉い殿様達の方がよっぽど旦那が一緒に居てしっくり来るような気がした。しかしサムは今でもフロドの魂の内奥からこぼれ出るその光の正体が何なのかわからなかった。
誰よりも愛していた主人が手の届かないところへ行ってしまう。突然突きつけられたシナリオの最後のページは残酷だった。
旦那はさっき言いなすった。
−わたしの受けた傷は深すぎたんだよ、サム−
知らなかった。何も判ってなかった。とんでもない大馬鹿だ。
「おら、おら・・・、」
サムは自分でもわからずにフロドを抱きしめて泣いていた。涙が止まらなかった。
自分はどうかしてる?と思ったが一生後悔するよりはましだ、と吐き捨てた。いや、違う、こんなことしたらその方が一生後悔するかもしれない。
だが止まらなかった。サムはフロドに触れたのだ。かつて夢の中だけに押し込めてしまった欲望だった。サムは我に課した禁を破り、フロドに自分の唇を押し当てた。頬を伝った涙でサムの唇は濡れ、彼は音が聞こえるほどがたがたと震えていた。
フロドはサムの涙の味を感じた。サムの震えもまたわが身に伝わった。なんという正直さだろう。恥ずかしげもなく自分をさらけ出すことのできる純朴な魂よ。サムにはとても拒絶することはできない何かがある。圧倒されたのだ。フロドはされるままになっていた。
初めは触れるだけの口付けだったが、サムは少し唇を離すと今度はフロドの唇を割って舌を押し入れた。
まったくどうにかしてる!サムは実際頭がどうにかなりそうだった。長い間、サムが自分の想像の中だけに封印し、密かに繰り返していた愛撫をまさか再び生身のフロドにするなんて。そうやって想像してフロドへの愛に肉欲を混ぜている自分がサムは許せなかった。酷い罪の意識を感じていたのだ。なのに止められないで苦しんでいた。
とっつあんが知ったら何て言うだろう。サムはぞっとした。
「おらはばかだ。」
「愛しているのです、フロド様。今になってすべてが判るなんて・・・。おらはばかだ。」
サムはフロドの上に倒れこみ、二人は草むらに一つの影を作った。
サムはぶざまに泣きつづけながら、搾り出すように言った。
「愛しています・・・・。」
フロドの頬にサムの涙が落ちつづけた。サムは尚もフロドを圧倒し続けた。
「おお・・・サム」
フロドは瞳を見開き眉間にしわを寄せて哀しい表情をした。サムをじっと見つめながら首を僅かに横に振った。そしてまぶたを深く閉じ、もう一度見開いた。
「・・・わたしもだよ。・・・・・・・・しかし、」
サムはまたどっと涙が溢れ出した。
「それはどういう意味ですだか!」
サムは絶叫した。
「おら言いましただ。旦那が好きだって。そういうといつも旦那は「わたしもだよ」と言われる。覚えておいでだか?イシリアンでのことです。キリス・ウンゴルでも、モルドールでも、ミナス・ティリスでも!そしてホビット庄に帰ってからも。」
「けど旦那は言いましただ。−サム、おまえそろそろ身を固めてはどうだい?そしたらうちに越しておいで。−」
「おら悲しかったですだ。これが旦那の答えだと思いましただ。だから、おらはもう旦那に触れないと誓ったのです。けれど、お側でいつまでもお世話はできるんだと、それだけで幸せだと思いましただ。いや、そう思うように努力したのです。」
「だが、旦那は行ってしまわれるという。酷い話だ!」
サムは尚もフロドを強く抱きながら言った。そう言ってフロドの耳にやさしくキスをした。
「・・・嬉しいよ、サム。」
フロドも泣いていた。
「だが、わたしはどのみち行かねばならなかったんだよ。それが判っていたんだ。初めの発作に苦しんだ時にね。・・・・だがおまえは違う。おまえはもともととても健康な心の持ち主なんだ。今は辛いかもしれないが万事上手くやって行くだろう。そして赤表紙本を仕上げてお前の子供達に伝えていくんだよ。いいね。」
「不死の国はね、渡っていくことが許されたとしても、行くべき「時」というのがあるんだ。おまえはまだその「時」じゃない。わかるね、サム。」
フロドの言うことは正しかった。実際サムは自分がホビット庄以外で生きることは考えられなかった。自分は間違いなくホビット庄に属していた。世話をしなければならない苗木がたくさんあった。荒れた土地はようやく豊かさを取り戻したばかりだ。
サムは観念したようにただ涙を浮かべ、フロドを見据えた。そして額にキスをした。
「・・では、今は今だけは旦那のお時間をおらに下さい。お願いしますだ。」
「わかったよ、サム。そうしよう・・・・。」
フロドはそう言ってサムの背中に腕をまわした。
サムは深くフロドに口付けた。
そして、-----サムはもっとフロドの体に触れたのだった。
ずっと心の中でしてきたように。フロドと共に肉の悦びを貪ったのである。夜が明けるまで何度もフロドを抱き、二人は分かち合った。
二人だけで過ごした最後の夜はよく晴れわたり、天空にはヴァルダに愛でられし無数の星々が輝いていた。
庭先で夜風に当りながら、サムはふと思い至った。
そうだ、一度旦那の様子がおかしかったことがある。書斎でぐったりされていた。ああ、考えて見ればあの日、あの日は10月6日だったのだ。こんな後になって気付くだなんて。おらはとんだ阿呆よ。
ナズグルに刺された肩の傷はうっすらと痕が残っていた。あの夜、おらは旦那の肌を見た。肩の傷に口付けした時旦那は身をよじらせた。首筋に舌を這わせた時にも旦那は一瞬苦しい息をした。毒針の痕を突いてしまったからだ。
そして、胸に、腹に、腰に、脚に口付けして、愛撫を繰り返した。右手の、欠けてしまった中指の痕にも。旦那の傷に触れたかった。
だが、肌に現れているしるしなんかではない。違う。もっと深いところにだんなを苛む傷があるのだ。おらの手が届かないところに。
おらが癒せるような傷ではなかった。まるでそれを確認するように全身を愛撫した。−あの夜。
「わたしのサム。お前は優しいね。」
だんなはそう言っておらの髪に指を滑らせた。まるで子供を慈しむように。
−時−。抗い難い壁だ。旦那は行くより他ないのだ。夜を込めてそれを知りつくした。愛するひとを抱いたのに、切な過ぎる逢瀬だった。だが苦しみは清められた悲しみへと変わった。
旦那は言った。
"しかし、わたしの為にではないよ。愛する者が危険に瀕している場合、しばしばこうならざるを得ないものなのだよ、サム。つまり誰かがそのものを放棄し、失わなければならないのだ。他の誰かが持っておられるように。"
今は旦那のことを口にする者はめったに居ない。この屋敷の主だった一人のホビットの面影はひとびとの記憶から薄れていく。
だんなはなんていうおひとだったのだろう。サムはフロドのもの静かなたたずまいを想って泣いた。
家の中に入り、フロドの書斎へ行くと、椅子に腰をおろした。窓からはまだ星明りが射していた。机の上には赤い装丁の本が一冊と書きかけのメモが散乱していた。
"おまえの時も来るだろう"
フロドの言葉どおり自分もいつか港へ行くのだろうとサムは思った。
波の音が聞こえる。海の呼び声が。
おらを呼ぶ声だ。フロド様の声がこだまする。そしてサムは再び覚書の整理に取り掛かったのである。
終わり