アンケート結果その2

設問>★「遠きえにしに」の「蘭香一、二、三」(54話〜56話にかけて、帝と佐為が密会し、一線を越えてしまう)のエピソードについて教えてください。

 若めの世代に多く見られるご意見、比較的高めの世代に見られるご意見にうっすらと違う傾向があるのが面白いなと思いました。若い世代の方には、「石を投げたい」「可哀相」など感情に訴えるご意見が、高めの世代の方には「…は理解できる」といったご意見が…目立ちました。


設問>★上記以外のご意見があれば願いします

●佐為ヒカが王道と思うからこそ、もう殿堂入りです。帝佐為はえにしならではの萌え。 

●帝が佐為を追っかけるのはいいんですが、帝が代わりに(代わりじゃなければいいんですが)側室とやっちゃってたり(下品ですみません)、佐為と関係があったのではないかという入内したばかりの姫を襲っていたりするのがむかつきます!帝め〜!!! 

●佐為〜〜〜〜、この後は光一筋でガンバってぇ〜〜〜〜

●帝がとりあえず報われたことは良かったが結局、佐為と光の深い絆には敵わず佐為の心まで完全に手に入れることはできないので可哀相。最高権力者であっても人の心ばかりはままならない帝、苦悩する帝の存在が、作品にリアリティと深みを与えていると思います。

●それぞれの気持ちの内側を垣間見るようで、なんだか涙が出ました。 

●帝と佐為の関係も、大人な二人が辿りついた結論の一つで。そこで、光が、かわいそーとかは、全然ならないのです。
光も佐為もお互い別の人間で、惹かれあい思いあってはいますけれど、ここまで生きて来る間に、もうさまざまな人間との因縁が出来上がっているわけで。
さらに帝というのは当時の社会では特別な意味があったと思うのです。
外戚が力をのさばらせようと、帝にたてつく人が出ようと、取り入る人が出ようと、そんなこととは関わりなく、帝の仕事は神と現在を繋げる神聖な神事をとぎらせることなく、執り行う孤独な地位です。
その孤独に耐えうるように、幼少より、帝王教育がなされるのだと思います。支えるべく貴族社会があるのだと思うのです。
それが時と共に変質しても、帝が孤独で人であるのに人以上のことを求められるものであるというのは変わらないのだと思います。
蘭香のような、こういうことがあったからといって、私には、光と佐為の純愛関係が崩れるとは思えないのです。
ままかさんは、序を付け足された時から、このエピソードの先の意味を考えられているのではないかと思っておりますが。
むしろ帝と佐為のこのことが、この後どういう意味を持って、光と佐為、二人の結びつきを強める結果となるのかを興味深く見届けたく思っています。

●そういった事もありだと思います。
佐為が自分の帝への気持ちを、こうした形でしか帝に伝えることが出来ないと思ったからそれを許したんだと思うので…。

●帝が可愛想なのでしょうがないかとも思ったけど、「一度きり」でなく約束を破って何度も佐為に迫ってるのが嫌です。 



 ご意見くださった皆様、大変有り難うございました。楽しく、興味深く、時には感銘を受けつつ拝見致しました。
 帝に関してですが。キャラの好きや嫌い・・・に関する設問のご回答は、中には「大好き」と言ってくださる方もいらっしゃるものの、「大嫌い」「可哀相だとは思うが嫌い」等厳しいご意見も少なくありませんでした。今回、回答の詳細は私の胸に収めさせて頂くことにします。帝については今回のアンケートでもそうですが、また今回に限らずともですが、厳しいご意見を多く頂戴しています…しています…が。
 このお話「遠きえにしに」は、そもそも私の中にあった帝と佐為の物語から萌芽して書き始めたものでもあり、なので帝の人物造形については、かなりこだわりも思い入れもあります。

 皆さんから頂いたアンケートのご意見に何かコメントさせていただくという形を選ぶことも出来るのですが、やはり、何か訴えるのなら物語の中で語るべきであって、それが基本なんだろうなと思っています。
 ので、ここで何か言うことは控えるべきかともと思ったのですが、設問で問わせて頂いた「蘭香」のエピソードと帝に関して、ある方からメールでご意見を頂く機会がありました。そして、思わず唸ってしまいました。私よりも帝をよく理解してくださってるのではないかというほど、私が物語の中に映し出そうとしている人物の姿がそこにはありました。

 でも、私が小説中にそれを表現できているかどうかは別であって、やはり本来はきちんと物語の中で伝えなくてはならないことだと思います。しかし、私の筆力不足を補ってくださるかのように、もともと私が頭の中に抱いている帝という人物の人格について、また佐為への想いと、その感情に付随する葛藤について、ほぼ的確に表現してくださっていますし、私が書くよりもずっと論理的に分かり易い文章で書いてくださっています。なので、掲載許可を頂いて、ここに紹介させていただくことに致しました。
 
内容に関しましては、途中略させて頂いてる部分もありますが、それでもかなり長い部分を引用させていただくことになりました。それというのも私としては、何処も言い当てられて妙であり、削れない心境となりましたからです。これは「えにし」を読んでくださっている方…とりわけ物語の中の帝の内面や人格・行動について、理解し難いと思われる方に読んで頂ければ、私としてはとても幸いかなと思います。

      以下、某様より頂いたご意見です。

「この帝、基本的には分別のある人物で人柄も温厚なんだと思います。内面的には結構激情家な部分もある感じもしますけど。
人には男女を問わずだと思いますが、特に信念の強い人物には大抵、絶対に譲れないものがあるもので、この帝の場合、佐為に強烈に恋してしまったためにそれが佐為になってしまったということなのでは、と思います。
だから佐為の周囲から彼を慕う、また彼が慕う人間を排除してそれに対して後ろめたく思ったり、夕星姫に対してしたことを真相を知って後悔したり(だからってあれの動機はちょいと許しちゃイカンですが・・・)しているのだと思います。
彼が光に対して抱く感情にしても、彼の中では結構葛藤があるように思います。現在のところは葛藤しながらもかなり突っ走ってしまってますが・・・。
そんなわけで、帝の気持ち、彼の立場に立ってみると割と解る気がします。」

「いえ、帝の努力はよく分かりますし、佐為に対する接し方も特権持ちのすることとしては破格の行動と言うこともよく分かります。なので、帝が佐為を特別大切に思っていることは大変によく分かります。 ただですねぇ・・・。
この辺り、個人によって感じ方が違うと思うんですが。
私は(あくまで、私は、です)、帝は「本当の意味で」佐為を「愛して」いるか、というと、何か違う、と言うか、「愛」と表現するのにはまだ表面的と言うか、その、一番肝心なものが抜けているように思うんですけど・・・。
陳腐な例で申し訳ないのですが、例えば、佐為がその優美な外観を失って突然醜男に変わったとしたら、それでも帝はまだ佐為を以前と変わらずに大切に思えるか、ということを考えた場合、55話までではまだそうには出来ないような気がします。でも、光ならちょっとはたまげるでしょうが、おそらく以前と変わらずに接すると思います。
この辺のところが、どうも、帝の佐為に対する感情は、確かに愛といえば愛なのかもしれませんが、でもまだ何か表面的なもののような感じがしております。
大変クサイ言い方になってしまうのですが、帝の佐為に対する感情の基本的な部分は、まだ「恋」の段階なのではないかと思うのです。
勿論、帝の佐為に対する心の全てがそうだとは思いません。でも、彼の佐為に対する振る舞いを決定している動機の大きな部分は、55話の段階まででは、愛より恋の方が大きい感じがします。
あくまで、私は、ですけど・・・。」

「帝が幼い佐為を傍に置こうとした気持ちは、おそらく愛(多分親としての愛)の方が大きいと思います。 接し方はちょっとまずかったですが・・・。
このとき帝にとって不運だったのは、佐為を手元に置こうとした目的を、男色を主にしたものだと周囲に思われてしまったことだと思います。
それで行洋に佐為救出作戦を実行されてしまった訳ですから・・・。」

「あの文は帝にとっては相当に強烈だったでしょうねえ・・・。それは私にも良く分かりますよ。…あれを読んだとき、こりゃ帝、点火しちゃうな・・・、と思いましたから。
確かに今回のことは佐為の方にも一因があるわけで、帝だけで云々出来ることではないとは思います。」

「帝は佐為を大切に扱っていると思います。
これはそうに思います。思うんですが・・・。その、何と言いますか、佐為を大切に扱う動機の一番基本的な部分が、佐為を「本当に」愛する気持ち、もしくは佐為の本質に対する愛かというと、何だかちょっと違うような気がしまして・・・。 つまりですね・・・。
私には(あくまで、私には、です)、55話の時点では、帝が「愛して」いるのは佐為の心(人格)というよりは、その周辺部分(容姿、物腰、仕草、雰囲気、等々)に惹かれている割合が大きいように感じられるんです。
勿論、それだけでは無いとも思いますが。」

「「欲」と書いたのは、別に「情欲」のことではないんです。私もこの帝がそんな人間だとは思ってませんよ。むしろ基本的には分別のある立派な人物なのだろうと思っております。
あの「欲」ですが、どちらかというと、「恋」と書いた方が良かったかも知れません。
で、なんで私があんな風に感じたかと申しますと・・・。帝の佐為に関する行動の動機が、つまるところ、「〜して欲しい、〜したい」というところに集約できるように思うのです。
つまり、もっと頻繁に昇殿して欲しい、もっと傍にいて欲しい、愛を返して欲しい、父としてでも良いから慕って欲しい、心が欲しい、振り向いて欲しい、佐為の心の中のあの女の位置を占めたい、あの兄弟子の位置を占 めたい、あの少年の位置を奪いたい、佐為の想いを受けるのは余だけにしたい、佐為が受ける想いは余のものだけにしたい、等々。
確かに帝は佐為に対してその特権を行使せず、佐為が自分を見てくれるように、素直な弟子となるよう努力し、慈父を演じ、強い対局相手を佐為のために招き、という風にあれこれ努力して佐為の心を捉えようとします。
でも、その行動の背後には、純粋に佐為(の人格)を慈しむ気持ちよりも、「佐為の外的要素だけでなくその心も欲しい、その為には無理強いをして佐為に嫌われる訳にはいかない」、という意識(悪い言い方をするなら下心)の存在の方が強いように感じられるのです。」

「佐為が光の恩赦を願い出たとき、帝はこの人物らしくない感情的な反応で佐為に怒りをぶつけますが、これは、未だ自分が佐為の心の第一席を占めることが出来ていないことに対する怒りや、未だ佐為が光のことを第一に想っていることに対する怒りが、理性的抑制力を超えたからだと思うのです。
つまり、このとき帝は、端的に言ってしまえば、自分の要求が満たされないことへの怒りを佐為にぶつけているわけで、佐為を慈しむ気持ちから叱りつけているわけではないですよね。
確かに光は帝の恋敵ですから、それを排除しようとはすると思いますが、もし佐為を純粋に慈しむ気持ちがうんと強いなら、扇を投げつけるような怒り方はせず、もっと穏やかな方法で佐為を説得しようとするように思います。
この辺りも、帝の気持ちが佐為を慈しむ気持ちより、佐為を求める気持ちの方が強いことを表しているように思うのです。」

「以上のようなわけで、あくまで私が55話までの時点で感じたことですが、帝の佐為に対する気持ちは、基本的な部分では、佐為の心が欲しいという欲の成分の多い「恋」の傾向が大きいように感じたわけであります。
勿論、帝の気持ちがこれだけであるとは思いません。
純粋に佐為を慈しむ気持ちも勿論持っていると思います。
例えば、慈父を演じていることに対しては後ろめたく思い、それを信じる佐為を哀れに思う気持ちを持っていましたが、これは佐為を純粋に慈しむ部分があるからこそこういう気持ちを持つのだと思います。
それから、最初に佐為を傍に置こうとした父としての気持ちもちゃんと持ち続けていると思います。
これらの気持ちは、「愛」と呼べるものだと思います。
でも、55話までの時点では、これらの気持ちより、上に書いたような「恋」の気持ちの方が相当に先行しているように感じられるのです。」

「「愛」って何でしょうね。この辺は難しいですし人それぞれで、こうだと具体的に定義できるものではないとは思います。作中でも、佐為と楊海さんがその辺りついて話してましたし、帝とも話してましたけど。
ままかさんも以前お書きになっていたと思うのですが、よく、「恋」とは求めることで、「愛」とは与えることだ、と言われますよね。
私は、人同士の「愛」というのは、互いの人格を尊重し、相手の立場で考えることだと思うのです。
でも、帝の佐為に対する「愛」は、どうもこの辺が何か違っているように思うのです。愛と言うよりは、相手の全てを欲しいと思う「恋」、それも結構危ない感情を孕む恋のように感じるのです。
確かに人間の感情は複雑で様々な要素が絡みますので、そんなきれい事だけでは済まないでしょうけど、でも、帝の佐為に対する感情の基本的な部分は、あくまで私個人には、ですが、こんな風に感じられます。」

 以上、頂いたご意見です。某様、転載をお許しいただき本当にありがとうございました。
 
私自身は、お話が完結した時に帝についての思いのたけを全部書き綴れたらな、と思っています。頑張って完結目指します。


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