縁し


 ある年の冬のこと。
 羅城門を行き過ぎる奇妙な二人連れとすれ違った牛車があった。女車だった。車はそれほど上等ではなく、御簾から出された衣も平凡な代物だった。どうやらこの車はここで立ち往生しているらしい。
 男が一人、ぬかるんだ溝にはまって動かない車輪を持ち上げようと苦心している姿が人々の目に映った。
 というのも、前日の天候は最悪で冬には珍しい大雨が降ったのだった。
 この日はといえば、荒天の名残を残し幾分空は暗かったものの、雨が降ることは免れていた。だから、足止めを食ったと思しき旅人のせいなのか、羅城門の辺りはいつもよりも人通りが多かった。

 さて、奇妙な二人連れの方だが、一人はなんのことは無いただの青年僧だった。だが、もう一人は、ただならぬ佇まいをしていた。
 そのただならぬ方の所化の顔がふと立ち往生している牛車の中に居た女の目に留まった。女は目を見張った。
「まぁ、なんてお美しいご僧侶なのでしょう。随分お若い方のようだわ。でも小僧さんというには背がすらりと高いような・・・」
 そして思わず、胸に抱いていた赤子にも話し掛けた。
「ほら、見て御覧なさいませ、お美しいお方がいらっしゃいますよ」
 こう言った女はこの赤子の乳母らしかった。赤子を高く抱き上げると、御簾の外に顔を向けさせた。
 すると、この子は泣き出してしまった。
「まぁ、泣かれますな! ほれ、見なされ。あんなにお美しいお方が! 私はあんなにお綺麗な方を初めて見ました。だから若にもお見せしたかっただけなのですよ」
 それでも、赤子は泣き止まない。泣き声は大きくなるばかりだった。
 乳母は慌てて、乳を含ませようとした。だが、赤子はいやいやをして暴れた。
「まぁ、乳でもないらしい。困ったこと」



「あれ、また赤子が泣いています」
 奇妙な二人連れのところにも泣き声は届いた。
「おお、そうだな。何処で泣いてるんだ?」
「見たところ、辺りに赤子は居ないようですが? それにしても随分元気な泣き声ですね」
「いや、まったく。道行く連中が皆振り返ってるぜ。あの車の中じゃないか?」
「ああ、そう言えばあちらの方から聞こえます。あの車、車輪がぬかるみにはまってしまったようですね。お気の毒に・・・。赤子も飽きてしまったのでしょう」
「ああ、牛飼い童の男が苦労してるのになかなか持ち上がらないらしいな。車がはまった上に赤子が大泣きでは確かに気の毒な・・・。そういえば、おまえは赤子をあやすのが上手かったな」
「はぁ、そうでしょうか?」
「じゃぁ、どうだ、また笛を吹いてみちゃ?」
「笛を?」
「そうだ、子守唄代わりにさ」
「ああ、そうでしたね。では試しに吹いてみましょうか?」
 美しい少年は竜笛を懐中から取り出すと、奏で始めた。
 するとどうだろう。先ほどまで聞こえていた赤子の泣き声はぴたりと止んだ。代わりにケタケタという愛くるしい声が聞こえてくるではないか。
「おお、笑ったじゃないか、おまえ、凄いな。こちらの腕前もなかなかだ」
「はは、では子守りでも身を立てられましょうか」
「子守りだと?何言ってるんだ、藤原家の子息が。オレは竜笛の腕前を言ったんだぞ」
「ああ、竜笛ですか。でもこれは単なる嗜みです」
「嗜みか。雅なもんだぜ。琵琶や琴を上手く弾く連中も居るが、オレはおまえのその笛の方がいいぞ」
 二人が話しているうちにまた何時の間にか、赤子の泣き声が大路に響いた。
「また、泣いたぞ! おい、吹いてみろ!」
「はぁ」
 美しい音色と共に、またぴたりと泣き声は止んだ。
「面白いように泣き止むな。ほんとにおまえの笛のせいらしいぞ。なんていう赤子だ。もう竜笛の音が解るのか?」
「ほんとですね。まるで、入れ替わるように泣き止みました。面白い赤子です」
「おい!また泣いたぞ! ダメだ、止めちゃ」
「は、はい」
 美しい少年はまた笛を吹いた。しかし、彼は上目遣いに青年を見やった。
 ・・・・これでは、いつまで私たちはここに留まっていればいいのです。道を急がなければ・・・・。
 そう目は訴えていた。
「ふむ、それもそうだ。だがあの車は気の毒だな。
 それにしても、この国の牛車に乗れるような女たちははなはだ不可解だ。なんで、あんなに男が苦労してるのに、牛車から降りて車を軽くしないんだ!? そんなにまでして、顔を見られるのが嫌なのか!?」
 青年は半ば怒って言った。
「おや、女君が二人、被衣(かつぎ)をかぶって降りられましたよ。お一人は赤子を抱いておいでです。やはり、あの牛車だったんですね」
「よし、それでいい! これでオレも手伝う気になったぞ! おまえは笛を吹いてろよ」
 女が降りるのを見届けると、青年僧はそう言って、牛車の車輪を泥濘から外すのを手伝いに走った。男は青年僧の加勢を大層有り難がった。
「あ、私も手伝いますよ!」
 少年はそう言ったが、青年はかぶりを振った。
「いい!、おまえにこういうことは似合わん。いいから、赤子の為に笛を吹け! ほら、また泣いてるじゃないか!」
「は、はい」
 仕方なく、少年はまた竜笛を吹いた。

「まぁ。奥様、あのご僧侶が私たちの車を起そうと助けてくださってます」
「そして、有り難い事。あなたのお気に入りのあの綺麗な小僧さまがまた笛を・・・。この子は何故、あの方の笛の音で泣き止むのでしょう? 本当に不思議だこと」
「まぁ、奥様、お気に入りだなんて! あの方は仏門の方ですのに」
 そう言ったものの、内心乳母は浮き足だっていた。
 ああ、でもなんて嬉しいこと! 牛車を軽くする為とはいえ、こうして、外に出て、近くからあの美しい方が見られるなんて! 
 赤子をあやしながらも被衣の陰から、ちらりちらりと笛を吹く少年の方を垣間見た。
 そうして、しばらくすると、車はぬかるみを外れた。男たちの歓声が上がる。

 青年僧は男から丁重に礼を言われた。そして、赤子を抱いた乳母と、女主人らしき二人が青年僧に声をかけた。
「もし、そこのお方。本当にお世話になりました。少ないですが、これをご供養しとうございます」
そう言うと、きんすの入った袋を差し出した。
「いいや、とんでもない。困った者を見たら助けるのは、たとえ仏道になくても常の道です」
 青年は、頑として受けとろうとはしなかった。
「それでは気がおさまりません。我らはこの子を連れて都の外れの寺院にお参りに行ったのですが、その帰りにこんな目に・・・。こうしてお助けいただいて、車も元に戻りました。そして、そればかりか、この子もそこの若いお方の笛の音でこんなに機嫌を良くしてすやすやと眠ってしまいました。どうかご供養をお受け取りください」
 そう女君は言ったが、結局青年は受け取らなかった。

 しかし、そんなやり取りを女君と、青年がしている間、乳母は、一人真っ赤になっていた。なぜかと言えば、あの美しい法衣を着た少年が自分の抱いている赤子をじっと覗き込んでいたからだ。自分を見ている訳では無い。それに自分より背が高いといっても、どう見てもこの少年はまだまだ本当に若い。そしてどんなに美しくとも、俗世の男子ではなかった。
 だが、間近に少年を見ると、あまりの美しさに胸が高鳴らずにはいられない。

 このお方は、一体どういう素性の方なのだろう? こんなことを言っては申し訳ないが、奉公している家には、このように高貴な空気に包まれたお方などいらっしゃらない。こんなにも美しく若い方が法衣をお召しだなんて・・・・。その素性が気になって仕方がない。夫を持つ身でこんなことを考えるのは不謹慎かしら。
 女はひたすら、そんな風に想いを巡らせていた。
 そして、少年はそんな女の胸のうちになど、一向に気を掛ける様子もなく、すやすやと眠る赤子を見て微笑んでいた。

 「さぁ、行きますよ。寝てしまったなら、今度は私が抱きましょう」
 女主人の声に乳母ははっとした。そして女達は何度も礼を言い、二人連れと別れた。
 赤子を母君に渡し、乳母の女は被衣の下から、名残惜しげに最後に今一度少年をちらりと見ると、観念したように、牛車に乗り込んだ。


 羅城門を後にしてから、しばらくして、少年が訊ねた。
「どうして、お布施を受け取らなかったのですか?」
「あの車はどう見ても、上流貴族のそれには見えなかったもんでな。裕福なのはほんの一握りさ。下級の官吏の家などは暮らしもそう楽じゃないと聞いている。別に衣食住に困っちゃ居ないだろう? 必要なものはオレには今足りているし、お山の資財だって、あの女達が参詣した末寺から上がるものだからな。既にご供養なら受け取っているのも同然。ことさら受け取る理由が無かったのさ」
「そうですか。なるほど・・・。それにしても、とても元気な子でしたね。気持ちのいいくらい豪快に泣いていました」
「はっは、そうだったな」
「それに・・・・・母君もしっかり抱いておいででした」
「・・・・・そう・・・・だったな。じゃ、先を急ごう」
「はい」
 二人連れは、遅れを取り戻すように少し足早に都を去っていった。


 一方、女達も安堵して、牛車に揺られながら家路を急いでいた。
「それにしても、この子のこの髪の変な色は治るかしら? このおかしな髪以外は、とても健やかで元気な子なのに」
「大丈夫ですよ、奥様。お参りしたのですもの。きっと良い子にお育ちになりますとも! 顔の相を見てくださった和尚様も言っておいででした。大物の器だと」
「『多少、うかつなところが多いかもしれぬが、末は大物』とね。ふふ。それなら良いのだけど。ああ、本当に。この変な色の髪があのお美しい小僧さまのように綺麗な黒い髪になりますように・・・・・」


つづく


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