陰陽師の忠告

 

「近衛!おい、近衛」
 光を清涼殿の廊下で引き止めたのは切れ長の目元も涼しく、整った顔立ちの非常に美しい少年だった。年の頃は光と同じくらいである。だが背丈は心持ち光よりもこの凛とした少年の方が高かった。不思議と少年の周りには冷厳な空気が漂っている。
 そんな張り詰めた空気とは対照的に、声を掛けられた方の光は今日も思いっきり無防備な親しみを込めていつものように気安い調子で振り向いた。
「なんだ、賀茂じゃないか。どーしたんだよ」
 賀茂明は光の腕をぐいっと掴んだかと思うと、押し殺した声で早口に言った。
「いいから、こっちへ来るんだ」
 光は虚を突かれて唖然とした。
「なんだよ、いきなり!」
 だが明は有無を言わさない。
「いいから来い」

 人気の無い、目立たぬところへ光を引っ張ってきた彼は声を低めて、だが強い語調で言った。
「近衛。いいか、宮中では佐為殿と馴れ馴れしい口をきくな」
「なんだよ?突然!どうしてだよ」
「いいから従え。陰陽師のボクが言うんだ。黙って言うことを聞け」
「言うことを聞け、だって。やだね! 大体いつもなんでそうおまえってえらそうに話すんだよ、同じ年のくせに。なんかよくわかんねーけど、おまえやっぱ変だよ、その性格!」
 明は頭に血が上るのを感じたが、必死に憤りを制し、自分を抑えた。

「今はキミとくだらない喧嘩をする時間はない。ボクは忙しいんだ」
「それで・・・?」
 光は少し辟易した色を見せながら尋ねる。

「今日、水盤を見た。何か禍々しいことのしるしが見えたんだ・・・」
「また妖しか!?」
「いや、違う・・。今度はたぶん人がおこす禍だ。・・キミはよく解ってないみたいだから言うけど。キミは佐為殿をただの碁打ちと思ってるようだが、それは間違いだぞ」
「そんなの分かってるよ!あいつの右に出たら敵う者なし。妖怪のお頭をやっつけちゃったくらいの碁の名人!」
「ばかっ!違う!」
「ば、馬鹿とはなんだ!おまえーっ」
「いいか、聞け。近衛。
 佐為殿はいかに風変わりで質素を好まれるとはいえ、関白様のご子息。それがどういう地位を意味するか分かるか。あの方は昔から、いろいろと複雑ないきさつがあって、宮中から遠ざかっていたのだ。キミは佐為殿の護衛役だろ。もっと細心の気を配ったらどうだ。見てていらいらする」
「なっ!・・・」
 光は明の言葉に怒りが込み上げたが、しかし、気迫に押された。言葉がそれ以上出てこなかった。それに何より、明の言葉に驚きを隠せなかった。
「関白様の・・・?」
「そうだよ。まさか知らなかったのか!?」
「・・し、しらなかった」
「・・・キミには本当に呆れるな」
「こないだ、佐為のお母上の話なら聞いたけど。お父上の話は聞かなかったんだ・・。だって・・・。まさか、そんな」
「佐為殿は関白様のご子息だ。お母上は当代随一の美人と謳われた女人だったが、早くに亡くなられた」
「早くに亡くなった、・・のは知ってるよ・・・」
「では。遊行の女人だったことも?」
「誰が?」
「佐為殿の母君だ!」
「・・・・・・。それは・・・知らない・・」
 光は目の前の高飛車な少年に悔しさを覚えるよりも自分が情けなくなった。
 自分は佐為の前であんなにも威張っていた。『オレはおまえの護衛役なんだぞ』。自負もしていた。しかし、明にこう言われて、何も言い返せない。自分は佐為のことを何も知らないではないか。

「いいか、一介の遊行の女が、関白殿の深いお情けを受け、立派な屋敷が与えられた。師匠から聞いた話だが、関白殿の妻たちから呪詛を頼まれた陰陽師が当時、たくさん居たらしい」
「ひどい、そんな・・・」
「佐為殿の母君が早く亡くなったのがその呪詛のせいかどうかは分からないが、嫉妬したのは女達だけではなかったそうだよ。母君をめぐって公達たちの間でも争いが起きていたというから、関白殿に稀代の美人が召されて、密かに恨んだ者は多かったかもしれないな。それだけの佳人だったのだろう。さすがは佐為殿の母上だな・・。相当美しかったのだろう」

光は何かを思い出した。
こないだ聞いた、どろどろ話のあらすじだ。
そうだ、身分の低い女性が帝の寵愛を受けて嫉妬されたんだ。

「・・・それって。まるで桐壺の更衣だ」
「は?」
「『源氏の物語』だよ。おまえ知らないのか?」
光は青ざめた顔で言った。
「何を言ってるんだ。こんな話をしてる時に。女房たちの読む本の話なんか」
「・・・・」
しかし、明も思い当たったように言った。
「・・・ああ、そうだな。キミが源氏の物語を読んでるとは物凄く意外だが。
 ボクはこの陰陽道というお役目柄、世俗のあらゆることに通じている必要がある。むろん、流行の書ならほとんど読んでるよ。桐壺の更衣は他の女御たちに妬まれて病死したんだったな。それで思い出したのか?これで、佐為殿の母君に不義でもあったら、藤壺の宮にもかぶるが・・」
そこで明ははっとして口をつぐんだ。

「あ、すまない。近衛。ボクとしたことが言い過ぎた」
明は心からすまなそうに言った。こういう時の明は素直で誠実である。彼は佐為を尊敬している。だから、最後の下卑た勘ぐりは佐為への侮辱となってしまったことに気付き、後悔したのだ。

 

 


「・・・・・」
光は言葉が見つからなかった。

「とにかく佐為殿は小さい頃に母君の後ろ盾を失った、関白様の末の方のご子息。家督争いの圏外だが、複雑な環境に置かれてきたことに変わりはない。母君を失った後、関白家の中で佐為殿はどうも冷遇されてきたらしい・・・」

 「・・・そう・・・だったんだ」
「この宮中には権力を求める人々がたくさん居る。抜きん出る者は必ず妬まれる。いいか、そんな常識くらい分かっておけ。佐為殿は今、注目を浴びている。都を揺るがした妖怪騒ぎをおさめた立役者だからな。そればかりでなくその棋力を買われて帝の侍棋という役目を賜った。そしてそうでなくてもあの容姿だ。黙ってても目立つ。近衛、くれぐれも佐為殿を頼むぞ」
「ああ、分かったよ。・・・・賀茂」
 光はぐっと拳を握り締めた。

 そして真摯な瞳で明を見つめた。
「有難う。忠告を。オレこれからは気を付けるよ。おまえでなきゃ、こういうことは言ってくれないもんな」
 先ほどの明への子どもじみた怒りはすっかり消えていた。厳しいことを言う明を、光は今不思議と一番近くに感じた。
「礼など・・いいよ。それより、無様な真似だけはするな、近衛」
 明は素直に礼を言う光に内心少したじろいだのだが、顔には努めて出さずにそう言った。
「分かった。賀茂」


光はがっくりと肩を落とした。
自分は佐為のことを何も知らなかった。・・・・ただの変わり者の碁ばかと思っていたんだ。




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