花霞 二
御所から下がった佐為と光は、大内裏の直ぐ傍にある検非違使庁へと牛車を回した。
「ほお、ここの枝垂れ桜もつぼみをつけていますね、光。花を観るのが愉しみです」
佐為は検非違使庁の門前脇にある枝垂桜の大木を眺めて感嘆の声を漏らした。
「ごめんな、寄って貰って。帰んの遅くなっちゃうな」
光は桜の大木を眺める佐為に言った。
「いいのですよ。それより、光。満開になったら、また見に来ましょう」
佐為はにっこり笑って答えた。本当に桜が楽しみでならない様子だ。
「お前、桜好きなのな」
枝垂桜の大木の下に立つ麗人は、なんて眩しい・・・・。木はまだつぼみだけだけど、お前が立つと花がもう咲いてるみたいだ。
「・・・ええ、好きですよ。桜は、大好きです」
佐為は、至極率直に答えた。
「ふーん。そういえばさ、去年も思ったけど。佐為ってさぁ、なんか、桜みたいだな」
何を狙ったのでもない。ただ、するりと光の口から出た言葉である。
「私が?どうして」
「だって綺麗じゃん」
光はただ無心に答えた。見るからにくったくのない様子で、頭に両手を回して佐為を見上げている。
「おや、光。それは褒め言葉ですか?」
佐為はにっこりと笑みを浮かべた。
「え? あ、・・・・・あぁ?」
しまった。・・・そう言われて、光は初めて、自分の言葉に恥ずかしさを覚えた。
「いや、だから、その・・・別に。・・・・・・そうだよ! 褒めてやったんだ。有難く聞いとけよ! へん」
少年は少し顔を紅くして、ぶっきらぼうに答える。
「ねぇ、光。満開になったら、また絶対この枝垂桜を見に来ましょう、ね?」
「そりゃいいけど。どうせ、ここには定期的に来ないといけないしな。次かその次くらいかな、花、咲いてるといいな、佐為」
「そうですね。では戻りましょうか」
二人は再び牛車に乗り込むと、今度は家路についた。牛車の中で、光は思い出したように言った。
「なぁ、佐為。そういえば、今度宮廷で花見あんだろ?」
「・・・・ええ」
「お前、行くんだろ?」
「行かねば・・・ならないでしょうね」
「なんだよ。また行きたくねーの? 好きな桜の花見でも?」
「花なら・・・・・。先程のあの、検非違使庁の見事な枝垂れ桜を見に行けばいい。・・・他にもいっぱいある。家にもあんな大木ではないが、ありますし・・・。嵐山の麓など、何百という桜の木で実に見事ですよ。光、今度行きましょう」
「嵐山までぇ!? 遠いじゃん。オレ一人なら、馬で行ける距離だけど・・・。お前と一緒じゃな。どうやって行くんだよ?」
「そうですね、どこかに宿らせて貰わねばなりませんね。あの辺には名のある家の別邸がいくつかあるはずです」
「ふーん」
名のある家・・・・か。名のある家・・・? 名のある家ねぇ・・・・・。そう言えば、お前・・・・・・、その辺のただの藤原とは違うんだったよな? 藤原北家本流の血筋だろ? 信じられないけど関白様のご子息なんだ。ああ、今の今まですっかり忘れてた・・・・、そのこと。
「なんか他人事みたいに言うんだな?」
光が言った。
「何が?」
「名のある家。・・・だって、お前が名のある家の息子だろ?」
「ああ、なるほど・・・・」
佐為は、少し意外だという顔をして光をみた。
「光がそんなこと言うなんてね・・・・。でも、みんなそんなこと覚えちゃいないですよ。きっと」
「なんだ、そりゃ」
「私が誰の息子か、覚えてるのなんて、帝くらいだと思ってました。光が知ってるなんて実に驚きです。ふふ」
佐為は可笑しげに笑っていた。
しかし、それよりも光は、今佐為の口から出た「帝」という言葉の方にこそ、胸がズキンと疼くのを覚えた。それでも少年は極力動揺を抑えて言った。
「・・・賀茂も覚えてるよ」
「ああ、彼から聞いたのですか?もしかして」
「・・・うん、まあ」
「そう、明殿に聞いたのなら、さぞ、丁寧に教えてくれたでしょう。では、私がどうして、花見に行きたくないかも分って良さそうなものですが・・・・」
佐為は少し、複雑な表情をしてそう言った。
「・・・」
しかし、光には佐為がどういう意味で言ってるのか判じかねていた。そんな折、光は掌ににわかに温もりを感じた。佐為が自分の手を握ってきたのだ。いつもこんな風にふいに触れてくる。その度に、胸の鼓動を抑えているのに・・・・。
お構いなし・・・・。てんでお構いなしなんだ・・・いつも、こいつは。オレの気持ちなんて、オレの気持ちなんて、全然わかっちゃいない。いっつもそうだ。
「光、私、花見になど行きたくありません・・・・・」
佐為・・・・?
先程までとは打って変わって重苦しい声音だ。佐為の横顔を見ると、あの時折見せる物憂げな瞳をしていた。
「そんなに嫌なら・・・・、今度こそ仮病使っちゃえよ」
オレは務めて明るく言う。
「おや、光も物分りが少し良くなってきたようですね、ふふ」
佐為は微かに笑むと言葉を続けた。
「光、私はね、何故か昔から好かれる人にはとことん好かれ、嫌われる人にはとことん嫌われるのです。長いこと、どうしてだか自分でも解りませんでした。しかし、碁を通じた勝負の世界でのことなら、なんとも思わないでしょう。勝負の前後に伴う感情なら、むしろあって当然。ですが・・・、どうもそれだけではない。私にはまるで、生まれながらに自らの意志とは関係なく、人の怨恨を招く忌み星が付いて回ってるようだ。そんな風に・・・、感じられてならないのです」
「そ、・・・そんな。なんだよ、忌み星って。佐為にそんなのある訳無いじゃん! 何言ってんだよ。お前の思い過ごしだよ。絶対」
「そうでしょうか・・・・・。でもね、光。身に覚えのないところで、突然、人に憎まれるのは辛いものです。光にはそんなこと解らないでしょう? だって、あなたにはそういう影がまるで無いもの」
「陰が無い・・?」
「そう陰が無い。光はいつもお日様の匂いしかしない」
そう言うと佐為は相変わらず、光の手に自分の掌を重ねたまま、少年の頭に自らの頬を寄せた。
「なぁ・・・、それってさ、菅原様たちのこと・・・・言ってるのか?」
「ああ、顕忠殿・・・。確かに彼は苦手ですが・・・・。私を嫌うのは彼らだけではありません。もっと強く私を疎んでいる人だって居ます。碁の対局であれば、何処へでも行くし、どんな厳しい勝負でも喜んで受けて立ちます。しかし、碁以前に何かある・・・・。そんなものには関わりたくなどないのに。関わりあってる暇だってありません。私には時間が惜しい」
光はにわかに半年も前に賀茂明から聞かされた、佐為の血縁関係の話を思い起こした。・・・・冷遇された・・・って言ってたな、あいつ。そういえば・・・・。
光の頭の中でおぼろげに、点と線が交錯していた。
ああ、佐為。どうして? こんなに自分を魅了してやまない人がどうして? どうして、この人を憎む人が居るのだろう? 解らない。まるで解らない。
解るのは、横に居る人の温もりと、そして・・・。この人を護りたい。この人と一緒にありたい。・・・そうオレの心が叫んでること。いや、心が、ってなんか違うかも。どう言ったらいいんだろう。
魂・・・?とでも言うのかな。よくわかんねーや。・・・でも、でも佐為、オレ。
光は、溢れる想いに耐えられなくて、佐為に弄ばれていた自分の掌で、彼の手を握り返した。言葉にならない想いは、温もりで伝えるくらいしか、少年には思いつかなかったから。
「光は・・・・・。さっき、私のことを綺麗だと言ってくれたけど・・・・」
光はドキンとした。
「え、あ、ああ」
「でも、この私のね。・・・この顔かたちに因して、悩まされることが昔から絶えません」
「・・・・・・」
「この身を撰んで生まれて来た訳ではないけれど。でもね、光。私のこの顔は母に貰い受けたもの。だから私は幸せに思っているのに・・・・ね。皮肉なものです」
薄ら微笑んだ彼は、まだ少年と手を繋いでいた。
「佐為・・・」
光は、目から鱗が落ちるような気がした。顔かたちのせい・・・・だって? さっき確かにオレもそう言った。お前のその・・・・、端整な顔立ち。長身で優雅な姿態。
「でも・・・・・さ。誤解すんなよ! 佐為が綺麗なのは外見のことだけを言ったんじゃねーぞ!オレは。だって、それだけじゃねーだろ? オレ、別に佐為の顔がその・・・普通よりちょっといいっていうか、いや、大分いいかもしれないけど・・・・。それだけで好きな訳じゃないよ。当たり前のことだけど。そうだろ?」
「そう・・・・、では光は私の何処が好きですか?」
「・・・・何処がって・・・・。何処がって聞かれても・・・・」
そんなの・・・・そんなの・・・・・? いっぱいあって、何処から言えばいい?
「ふふ、光、からかって聞いただけです。そんな難しい顔をしないで。こういうのを愚問というのですよ」
「待てよ! でもさ、オレこれだけは確信あるよ」
「ん、何ですか」
「少なくともさ、お前が今のように碁が強くなかったらさ、オレ、お前のこと・・・・、そうだな。こんなに面白ぇやつって思わなかったかもしれない。お前から碁が無くなったらさ・・・・。オレ、お前のこと、今と同じ風に見れるか、よくわかんねーや。だってオレ、お前とずっと碁を打って行きたいんだ。これだけははっきり言えるよ」
佐為は光の言葉を瞳を見開きながら聞いていたが、何も言わなかった。ただえもいわれぬ輝きを瞳に宿すと、とても嬉しそうに微笑んだ。瞳で語るとはこういうことを言うのだろう。
「光、でも私って性格が歪んでますよ」
佐為は悪戯っぽく言った。
「歪んでる?お前が。はは」
「だって私、変わってるでしょ? 光も、そう思ってるのでしょう。分ってますよ」
「うん、まぁ・・・、確かに・・・ちょっとな」
「ふふふふ。光は正直でいい」
そう言いながら、彼は光の手をまた弄んでいた。少年の掌に自分のそれを重ねて、指の間に指を滑らせたり、手の甲を撫でたりしている。そんなことをされると、話の内容より、どうしたって手のひらに神経が傾いてしまう。でも離せない。もっと触れて欲しい。佐為に。もっと、もっと。
「だからね、優しい人に敏感になるのですよ」
そう言って、佐為は弄んでいた光の手を握った。
「優しい人・・・・?」
「ふふ、光にはばかばかしいことに聞こえるかもしれませんが・・」
「そんなことねーよ。じゃ、じゃぁさ、佐為。お前にとって優しい人ってたとえば・・・誰?・・・」
「そうですね、それは難しい質問だ・・・」
「じゃあ・・・・。たとえば・・・・さ。・・・・帝は?」
やべ、つい言ってしまった。でも、お前一体、帝をどう思ってるんだよ・・・・・? やっぱり気になって仕方ないんだ、オレ。
「帝・・・ですか。そうですね。あの方は・・・・・、とてもお優しい方です」
・・・・・。優しい・・・・。優しい・・・・・だって? 優しいの・・・かよ・・・。あの男が?
「・・・・・・・でも、寂しがりやでおられる。意外と私と似てるかもしれません。帝に向かって不遜な物言いですが」
・・・・・・・・・似てる? 似てるだって!? なんだよ、それ。どーゆー意味だよ。・・・・一体。
「じゃ、オレ・・・は? オレはどーだよ。どーせお前、オレのことなんか自分勝手で馬鹿で、頭悪くて・・・ガキでって思ってんだろ!?」
「答える前に言ってどうします? それにしてもやけに自虐的ですね、光は?」
「はん、どうせ、オレは優しくないからな!」
「私は何も言ってませんよ。光。でも、光は・・・。ふふ、どうでしょうね?」
「ずるいよ、ちゃんと答えろよ!」
「そうですね、でもとりあえず光は、自分で思ってるよりとっても頭が良い子ですよ。全然気が付いてないんですね」
「オレが!? オレの何処が頭いいんだよ!? 漢籍は苦手だし、字も下手くそだし、歌だってまともに詠んだことないんだぜ」
「私だって、漢籍は得意とは言えません。だから官吏には成れません」
「苦手? おまえが? いつもいろいろ教えてくれるじゃないか」
「私の知識など、一般常識程度です。決して大したことはないのです」
「ふーん」
・・・では自分などお話にならない・・・ってことか。と光は思った。
「でもお前には碁がある! あんだけ一芸に秀でりゃ、他は許されんだろ」
「じゃあ、光も同じだ。それでよいでしょう?」
碁・・・だって、漢籍と同じだ! お前に比べりゃ、まだ全然弱いじゃん。何言ってんだ、こいつ。
「まぁ、いっか」
もう面倒臭い・・・。こいつと話しててもなんだか、いつも上手くかわされて、肝心のところを答えて貰えないのはもうよく知ってる。
光は牛車の中で伸びをした。そうして二人は互いを見つめて笑った。結局家に帰り着くまでずっと手を繋いでいた。
次の日、佐為は珍しく朝からそわそわしていた。彼は朝餉を取りながらも、落ちつかなげに時々堪え切れないといった風に笑みを浮かべている。
「ちっとは、落ちつけったら。佐為」
「落ち着いてますよ、私は」
「ま、気持ちは分るけどさ。お客が来るのは昼頃だろ? まだ一刻はあるよ」
「そーなんですよね、光。ああでも、今から胸が高鳴ってなりません」
「そんなに強ぇ人なの? 今日来る人」
「そのようですよ。なんたって、わざわざ、御嶽山から都の私を訪ねてみえるのです。どんな碁を打たれる方なのか、楽しみです」
「へぇー」
二人が食事を取っていると、ふいに佐為の女房が南側の廂から入って来て、言葉を掛けた。
「佐為様、帝からお文が届きました」
そう言って差し出された文には今度は桜のつぼみを付けた小枝が添えられていた。
ちぇ、まただぜ・・・。今度は桜かよ。まめな男だな。・・・・ったく!! 光は女房が持ってきた文を一瞬睨むと、次には椀をかき込んだ。
「ああ・・・・。こちらに寄越しなさい」
彼はそっけなくそう言うと、こないだと同じようにその場では開けず、封書を狩衣の懐に仕舞ってしまった。
「お返事は・・・?遣いの方がお待ちです」
「良いです。お帰りになって頂きなさい」
女房は下がった。
「・・・・」
光は椀の下から、上目遣いに佐為を見た。
「・・・すぐ返事しなくていいのか? 帝だろ」
「良いのです。帝は私の筆不精をよくご存知ですから」
「・・・ふーん」
・・・随分、横柄なんだな、佐為。帝に対して。そうして、また光は椀をかき込んだ。
「光、また噛まないで飲み込んでる! 何度言えば分るんです」
「わーったよ。うるさいな!佐為は。いちいち」
「こらっ。ちゃんと言う事を聴きなさい!」
二人のいつもの朝餉が終わると、佐為が心待ちにしている客人が来るまで、二人は碁を打った。
そして、昼になると、とうとう佐為が待ちかねていた、御嶽山にある某寺の、その道では名のある法師がやって来た。
「佐為殿、お目に掛かれて光栄でございます。あなたの事は霧深い御嶽山でもこの道に於いては都一の腕前と聞き及んでおります。どうか、まだまだ拙き修行の途上にある私めにいささかでも、ご指導賜りたく、はるばる出向いた所存でございます」
「ご指導賜りたく・・」だって。・・なんだ、道場破りの常套文句じゃねーか。
光は慇懃な法師の挨拶を聞いて思った。
大体、「都一」だって。佐為の力は都に留まるくらいの小さいもんじゃねぇ。厭味ってもんだ。わざとか? 佐為の実力を知らねーんだな。
それでも佐為は気分を害するどころか、ますます高揚して上気した顔をしている。くっくっく。佐為のやつ・・。逆に挑戦状叩きつけてくるくらいのやつの方が燃えるんだよな。ああ、わくわくするな、この対局!
法師が光を一瞥して佐為に訊ねた。
「これなる方は貴方のお弟子様ですかな?」
「ああこの子は、検非違使で私の護衛をしてくれていますが、私の弟子でもあります。勉強の為に、ここで対局を見せたいのですが?」
「それは一向に構いませぬ。ではよろしくお願い致します」
そうして、始まった中年の法師と佐為の対局は、佐為の圧倒的棋力の前にまるで歯の立たなかった法師の負けで終わった。
法師は「負けました」の言葉と共に、深く感銘を受けたように盤面をじっと見つめていた。
「いや、恐れ入りました。見事でございます。貴方様のことを「都一」と申しましたが、どうやら、私の見当違いだったようでございます。あなたはおそらくこの日本の国一番の実力の持ち主のようだ」
法師は佐為の力を見極めると、完全に佐為の並々ならぬ力に参ってしまったようだった。なぜなら、挑発的だったそれが、すっかり尊敬の眼差しに取って代わっている。
光はそんな法師の様子を見て、とても誇らしい気分になった。
佐為、やっぱすげぇや・・・。
夕刻には、法師を交えて酒宴になり、すっかり打ち解けた佐為と法師はいつまでも碁の話で盛り上がっていた。二人の間に入るには光は少々若すぎ、会話から外れ気味になると、眠気が襲ってきた。
「佐為、オレ先に寝てるね。法師様、あのごめんなさい。先に失礼します」
こう言って、光は一人、奥に引っ込んでいった。
あーあ、対局と、その後の対局の検討話を聞いてるのは面白かったけど・・・。さすがに世代のギャップを感じるよな・・・。佐為・・、あいつ変なやつ。オレみたいなのとも、あのお坊さんみたいな年寄りとも仲良く出来ちゃってさ。
光は、奥の間でふと佐為の文机に無造作に置いてある紙に目が留まった。脇には桜の小枝。
あ・・・・・。
光の心臓は音を立て始めた。
しかし、迷っている時間は無い。畳んであるそれを急いで広げると、品のある、しかししっかりとした流麗な草書体でわざと斜めに傾けて書かれた一篇の歌だけが現れた。
雲居にて うちけぶりたる かたちびとの 花の姿を 留めてしがな
・・・・・・。
なんだよ。コレ・・・・・・。気取りやがって・・・・!! 歯の浮くような文句を並べて・・・・・!
光は胸がかーっと熱くなるのを覚えた。
そして、急いでまた、紙を畳むと机の上に置いた。そして、足早に御帳の中に入ると、脱いだ衣を頭から被った。
心臓がばくばく言っている。
あ・・・あ!! なんだ、あの熱い文句は。くそ!
光は褥に顔を擦り付けると、瞼に佐為の姿が浮かんだ。
花の姿。かたちびと。 桜の花の化身。美しい人。
ああ、そうだ。まるで佐為にぴったりの言葉じゃないか!
くそ、なんなんだよ。なんであの男の気持ちがこんなに分るんだ!?
あんな男になんで共感なんかするんだ。
ちくしょーっ!!
そうだ、その通りだよ。悔しいけど、あんたの気持ち・・・・・、痛いほど分るよ。
だって、オレだっていつも思ってる。佐為のこと、綺麗だって思ってる。すごく綺麗だって。いつもいつもいつも思ってるんだ。そして見惚れてるんだ!
あの白い顔に触れたい。あのさらさらした髪に触れたい。あの桜の花びらのような唇に触れたい! そう思ってるんだ。ああ・・・・。
光は慟哭した。そしていつも堪えていた衝動に身を任せた。彼は佐為のことを思って自分で自分を慰めたのだった。
そしてこの日は、人知れない少年の苦悶を他所に、屋敷には佐為と法師との語らいが深夜まで賑やかに響いてたのである。
時同じくして、清涼殿の夜の御殿には帝が御身を横たえていた。御帳台の上座には剣璽が置かれている。今宵はお傍に女御の一人を召していた。天子は昨日御殿に昇った愛しい人のことを考えながら女御を抱いていた。
「雲居にて うちけぶりたる かたちびとの 花の姿を 留めてしがな」
昨日、御所(雲居)に昇ったそなたは、まるで桜花のように美しい姿を余に見せてくれた。
そう、雲がけむるかのように美しい桜の花のような姿を。
ああ、なんという麗人 。
出来るものなら、そなたのその桜の化身のような姿を此処に、余の傍に留め置けはしないものだろうか。あ・・・あ、留めてしまいたい・・・・!
彼は、愛しい人にそう書き贈ったのである。
つづく
back next
|