花霞
七
光は息を切らしながら、夜の大路を走った。
急がなければ! オレを見張っている三谷に迷惑がかかる。
結局、佐為は内裏には居なかった。伊角さんに探してもらったけれど、見つからなかった。家に帰ったの・・かな?
逢いたかった、佐為。でも、もうダメだ。もう夜明けが近い。おまえんちに行ってる時間はもう残ってない・・・・・・・佐為。
どうしよう? この歌。どうやって渡そう? 誰かに頼むしかないのかな。直接、渡したかったのに・・・・・
そんな光の目に検非違使庁の土塀が見えてきた。
ああ、着いた! こんな霧の夜道にも、あの佐為の好きな枝垂桜の木がなんて幻想的なんだろう。月明かりに照らされてぼうっと浮かび上がった姿がなんて綺麗なんだ・・・・
ほんとに・・・・佐為みたいだ。
普段特別に花に興味があるわけではない光でも、さすがにその美に感じ入る。
・・・・・・・三谷か?
光は検非違使庁の門の脇にある枝垂れ桜の大木の元に誰かが隠れるように潜んでいるのを認めた。
あいつに悪いことをした。夜中中、見張っててくれたんだった。すまねぇ!
光はいよいよ加速して走った。
三谷? 違う!! あいつじゃない。
その人影が大きくなるにつれて、光は我が目を疑わざるを得なかった。
ああ・・・・・・・!
「佐為!」
忍んで外に出たことなど忘れ、大声で叫んだ。
光が捜し求めていた人物が、こちらを振り向いた。
光は、彼目掛けて全力で走り寄った。
「・・・・はぁはぁ・・・佐・・為っ。おまえ・・・、はぁはぁ・・・ど、どうして・・・!? どうして、ここに? ・・来て・・来てくれたのか・・・? 探したんだぜ! ってか、オレが探し回る訳にいかないから、伊角さんが探してくれたんだけど、見つからなかった」
光は歓びのあまり、目にうっすら涙が滲んだ。
しかし佐為の、光を見下ろすその顔は何故かいつもの様子とは違う。
「佐為?」
「随分、私を待たせましたね、光」
彼は低い声でそう言った。
「あぁ?」
自分を待っていたらしい彼の、眼差しと声は明らかに怒りを含んでいる。光にはまるで予想外のことだった。
「ごめん! ここに来ててくれたなんて知らなかったんだ! 待っててくれたなんて知らなかったんだよ、オレ。知ってたら、真っ直ぐここへ帰ってきたのに!」
「どのみち、出かけていたということですか? 明け方には都を発つというのに、女のところへ行くなんて・・・。一体、いつからそんなことを覚えました?」
「はぁ!? な・・・に言ってんだよ、おまえ?」
光は佐為がどうやら誤解をしているらしいことを悟った。そして、呆れたことに今ごろになって、先ほど皆がやんやとはやし立てて自分を送り出したことの意味が解った。
「・・・・・あかりの君のところへ行っていたのでしょう。そういう仲だとは私に言ってなかったはずだ」
「ち、違うよ! 佐為、オレ、あいつにどしても頼みたいことがあって行ったんだ。あいつとそんな仲の訳ねーじゃん。何言ってんだよ、佐為? みんな、誤解してんだ!!」
「頼み・・・? こんな夜中に忍んでいって、何を頼むというのです」
「だから・・・・!! その、オレはおまえになぁ・・・・・・・・」
光は、この数刻の間、佐為のことしか頭になかった自分の必死さを想うと、堪らなく腹立たしくなってきた。
「なんだよ、おまえ。一方的に決め付けやがって! 佐為の馬鹿っ!!」
「ば、馬鹿とは何です? 私がどれだけ、ここでじっとあなたを待っていたと思っているんです! 子どもだと思っていたのに・・・・。都落ちの前夜に逢引とは、随分良いご身分ですね」
「だから、いろいろあってさ・・・・オレは・・・オレは・・・」
おまえに会いたくて、会いたくて、会いたくて・・・そして気持ちを伝えたかったんだ! だから、どうなってるんだよ! ったく
すると佐為は、右手の人差し指と中指を狩衣の袖から少し出したかと思うと、その指を軽く光の唇に押し付けながら這わせていった。
「なっ・・・・」
光は自分の唇に押し当てられた佐為の指に心臓がどくりと言うのを覚えた。何か声を発しようとする光を制するかのように、佐為は少し指に力を入れて、唇をなぞりきった。そして彼は、その指先をいかにも厭わしげにちらりと見ると、静かに言った。
「夜目にもはっきり分かるような紅の色だ・・・・・」
「あーーーーー!!!!」
光はこの瞬間、背筋が凍りつくのを覚えた。いくら否定しても冷たかった佐為の瞳
。
なんだよ!! 伊角さん、教えてくれたっていいだろう!? くそ、やられた。
「違うんだ! これは・・・・ オレがしたんじゃなくて、あいつがその。オレは何にもしてないよ!」
光は慌ててごしごしと唇を拳でぬぐった。額からは汗が溢れた。佐為はそんな光の「言い訳」を、堪りかねるといった風にくるりと背を向けてしまった。光は、彼の前に回りこんで腕を捉えた。
「ねぇ聞いてよ、佐為! 説明するから」
光は必死だった。
「あいつ、オレのこと好きだったみたいでさ」
「そんなこと言われなくても知っています。知らなかったのはあなただけでしょう。本当に呆れる!鈍感にも程がありますよ、あなたは」
佐為はますます怒った顔をしてそう言った。
「そっ・・・・でも! オレは全然知らなかったんだ。あいつ、もう北の方のいる地方の国守との縁談があって、それで・・・さ」
「抱いてくれ・・・・・とでも言われましたか?」
佐為は光の言葉を先回りして補った。
「う・・・うん。・・・・でもオレ、すっごい薄情だけど、あいつを受け止めてやれなかった」
「・・・・・・・・・・・」
「だってオレ、あいつのことそういう風に好きなわけじゃないし・・・・。それに・・・それに、早くおまえに会わなきゃって・・それが気になって、あいつの願いに応えてやることが出来なかったんだ・・・・・だけど、伊角さんに頼んでおまえを探してもらったら、清涼殿にはもう居ないっていうし」
「そう・・・・ですか」
佐為は、少し拍子抜けしたような、ほっとしたような顔をして光を見下ろした。
「だから言っただろ! 別に逢引なんかしに行ったんじゃないって。誤解解けたか!?」
「・・・・・・ほんとに何もしてない?」
「だから、してないっ!! オレは何にも! 疑い深けーな! おまえは」
「分かりました・・・。光を誤解して悪かった。許してください」
「・・・・謝るのはオレの方だよ。佐為、ごめんな。オレ、おまえに迷惑かけた。ごめん。ほんと酷い目にあわせて・・・・。なさけねーな、ほんとオレって。おまえには本当に何もお咎め無しだったのか?」
「・・・・・ええ」
「良かった。ほんとごめん、こんなことになっちゃって。オレが全部悪いんだ」
「いいえ・・・・・、光。私は嬉しかった。光がああ言ってくれてとても嬉しかった。なのに・・・・・・・、叩いてすみませんでした」
そう言うと佐為は、狩衣の袖を抑えながら、手を伸ばして光の頬を撫でた。
「さぞや・・・・・痛かったでしょう。可哀相に」
「平気だよ、あのくらい。えへへ。でもおまえ、意外と力あんのな。あんとき星がチカチカ飛んだんだぜ。オレびっくりした、あはは」
光はいつものようにくったくなく笑った。
「光、ごめんね。私の手が痺れたくらいだから、叩かれたあなたはもっと痛かったはずだ」
しかし、光はそれには答えず、佐為の仕草を真似るかのように、腕を伸ばして彼の傷の残る頬を撫でた。
「あの時から、ずっとこうしたいって思ってた。オレ、押さえつけられてなかったら、あの人のこと殴ってたかもしれない・・・・な」
佐為は少しの間言葉を失い、とても複雑な表情をした。そして、自分の頬を撫でる光の手に自分の手を重ね、口を開いた。
「光の気持ちは嬉しい・・・・けれど、やはり、よく考えて行動しなければいけません。それでも、あの人は私の親です・・・・」
「ごめん・・・・・」
光は俯いた。佐為は微笑み、しばらくして尋ねた。
「・・・・・ところで。光は一体、あかりの君に何を頼みに行ったのですか?」
「あ、・・・・ああ。あのな・・・・。その」
光は決まり悪そうに口ごもった。
「何です。早く答えなさい」
「あの、だからさ。コレ!!」
光は懐中から、文を取り出して、叩きつけるように、佐為の胸元に差し出した。
佐為は、その文を受け取ると怪訝そうな顔をした。
「これは・・・・・?」
「受け取れよ! もう二度と無いからな! オレが歌を詠むなんてさ。てか、かなりあいつに手伝ってもらったんだ・・・けど・・さ。それに、字もすっげー下手くそだし・・・・! 恥ずかしいのは山々なんだけど・・・・・でもどうしても・・・・どうしても、その、おまえに・・・・・オレの・・気持ちを・・、・・・伝え・・・たかったん・・・だ」
最後の方は消え入るような声だった。見る見るうちに光の頬が赤く染まった。
佐為は、どうやら、ことが飲み込めたらしい。だが、それはあまりにも意外な贈り物だった。
「私に?」
「他に誰が居るんだよ?」
「光が? 光が歌を?」
「そっ! オレがだよ! 悪いか!? ってか、あかりに凄い手伝って貰わなくちゃ、出来なかったけど」
「光が・・・? 歌を・・・・本当に??」
「だったら、何だってんだよ!? オレが歌作っちゃそんなに変か? ・・・ま、そりゃ可笑しくて笑っちゃうかもしれないけど・・・・さ。でも・・・・もう夜明けには出発だし、会えないかもって思ったんだ。
オレ、だから・・・。その・・・、あいつ、初めは怒ってたみたいだけど、結局手伝ってくれてさ。でも字だってマジ下手くそだし。後で見ろよ! おまえ。くれぐれも家に帰ってからな。目の前で笑われんのは癪だからな! へん」
佐為はこれに対して、ただただ瞳を見開いたまま、しばらく黙りこんでいた。しかし・・・・
「笑う・・・? 私が? それに光の字が下手くそなことくらい、もうよく知っています。今更恥ずかしがることでもないでしょう? ダメですよ、光。家に帰ってからなんて、とても待てません。私は今見たい。開けて良いでしょう? ね」
「もう、なんだよ! 相変わらず強引なやつだな」
「私が・・・・・どれだけ、ここであなたを待っていたと思っているんです!? もう待てません。だから、開けても良いでしょう? ね、お願いです、光」
「えぇ〜っ・・・・」
・・・・・いつも、贈られた歌をつんどく佐為。帝の歌もいつも直には見なかった佐為・・・・・・
その佐為が直に見たいと言っている? 我慢できないって・・・。オレの歌は早く見たくて我慢できないって・・・。オレからの歌は ? オレからの歌だから?
「・・・・わかったよ。いいよ。・・・・でもいいか! 絶対笑うなよ! 絶対」
「笑う・・ものですか」
佐為は光の瞳を真っ直ぐに見つめて、諭すように言った。
そして佐為は、文を丁寧に開いた。すると中から、花びらがはらはらと舞い散った。彼は感じ入ったように、小さく「ほう・・」と感嘆の声を上げた。光は恥ずかしさのあまり、佐為に背中を向け、真っ赤になってドキドキしながら彼が中身を見てしまうのを待っていた。
花霞 たちて行く身の 遠くとも 心だにこそ 君とありなめ 。
都に咲き誇る桜の花
立ち上る春霞
枝垂れ桜の花が佐為に似てるのか
それとも佐為が枝垂れ桜の化身なのか
この美しい人の傍にずっと居たいのに
都を発って行かなくてはいけない
どうしてこんなことになってしまったんだろう
どうして、ずっと傍に居れないのかな
おまえの居ない処に行くなんて
其処はどんなところだろう?
おまえの顔が見えないところに行くなんて
其処には色があるのかな?
おまえの声が聞けないところに行くなんて
其処には果たして音ってあるんだろうか?
だから、オレは想うんだ
たとえこの身がおまえの傍から遠く離れてしまったとしても
それがどんなに遠くても
たとえそれが、どんなにどんなに遠かったとしても
オレの心だけは、このオレの心だけは、ずっとおまえの傍に居るんだ って
いや、おまえと共に在りたいんだ、佐為
心は一緒にいるよ。おまえの元に心だけは一緒に!
だって他にオレの心が行く場所なんか無いんだよ、佐為
何処にも、何処にもね。たとえ地の果てを探してもね
佐為以外に、オレの帰れる場所なんて、何処にも在りはしないんだ!
光は佐為に背を向けて泣いていた。止め処無く頬に涙が伝っていた。それは後ろ姿でも充分に分かった。佐為はこれ以上無い程、今、光の想いを受けとった気がした。
お世辞にも上手とは言えない、しかも楷書でたどたどしく書かれた筆跡を、彼は一字一字、指でいとおしげになぞり、最後には紙面に接吻した。そして、まるでこの世に一つしかない宝玉を抱くように恭しく丁寧にたたみ、胸にしまった。
こうしている間も光はずっと佐為に背を向けて小さい子どものように泣いていた。
佐為は背後からそっと腕を回し、小刻みに震えている光の肩を包み込むように抱きしめた。すると光の細い肩は今までよりももっと嗚咽に震える。
少年は佐為の腕の中でぐるりと体をひねると、彼にしがみ付いてその胸に顔を埋めた。そして堪えること無く泣いた。顔をくしゃくしゃにして、時々しゃくりあげながら・・・・・・
佐為は自分にしがみ付く光を、こんなに強く抱きしめたことは無いくらいに強く抱きしめてやった。そして髪の毛を撫で、震える背中をさすってやった。
「うっうっ。ううう。佐・・・・為、オレ・・・やだよ。行きたくないよ。おまえと別れるなんて嫌だ。やだよ、やなんだよ、佐為! ああっうっう・・・・」
光は佐為の腕の中で、強がりもしなければ何も隠しもしなかった。そのまま、在るがままに、気持ちをさらけ出して泣いた。
こんな風に泣かれては、堪らない。どうしてこれ以上気持ちを抑える必要があるだろう。
彼は泣き崩れている光の顎を取って少し上を向かせると、少年に口付けた。
ふいに降ってきた愛しい人の柔らかい唇と濡れた舌の感触とに、嗚咽していた光は、全身の力が抜け、意識が遠のいていくような気がした。初めは驚きが光を包み、次に陶酔が少年を支配した。口付けを受けながら、自らの腕を背の高い彼の首にしっかりと回して、彼の髪が乱れるのも意に介さずに強く抱きしめた。二人の胸と胸はぴたりと合い、互いの鼓動が響きあった。
そして佐為は何度も光に口付けた。そのうち、光も想い余って自ら、佐為の舌に応えた。
二人は今初めて溢れる想いのままに求めあった。まるで、今まで歯止めをかけていた心の堰を切ったかのように。そして、それは自然だった。今まで、そうしなかったのが不思議なくらいに。
どのくらいそうしていたのか。ふと光の耳に口付けると佐為は囁いた。
「あかりの君と、こんな風に・・・、しましたか?」
そう言いながら、彼は光の髪に指を滑らせ、首筋に口付けた。
「・・・違う・・・・・・こんな風には・・・してないよ」
光は目眩がして、もう倒れそうだった。
「・・・ではこう?」
佐為は、へなへなと崩れてしまいそうな光をしっかりと抱きとめながら、まるで羽毛で撫でるように軽く触れるだけの優しい口付けを落とした。
「・・・・・・うん、このくらい・・か・・・な・・・・ていうか、だからオレがしたんじゃない。されたんだよ。だってオレ、佐為とが・・・・いい・・・こうするの・・・」
「・・・・そう」
「・・・・・おまえ、ずるい。いつもそうだ。オレのことは根ほり葉ほり・・・・・・。自分のことは言わないくせに」
責められると、佐為は光の口を塞ぐかのように再び唇を重ねた。
霧は先ほどよりも深まり、何もかもがぼうっと霞んで、其処に在るのは枝垂桜の古木だけになった。花びらが時折二人の上に舞い散る。そして彼らの吐息だけが、深閑とした霧の夜に震えを伝えた。
熱い抱擁を交わした後、佐為は光をきつく抱きしめながら、光の耳元でまた囁いた。
「ねぇ光、私を笑いますか? 嫌な縁談に泣いている、かわいそうな少女のことを、こんなに酷く嫉妬しました・・・・。いい歳をして、とてもこっけいで、可笑しいでしょう?」
嫉妬・・・? 嫉妬だって・・・?
光はその言葉を聞いて、驚愕の色を浮かべ、瞳を見開いて青年の顔を見つめた。
「・・・うそだ、そんなの・・・。うそだ・・・」
「うそじゃ・・・・・・ない。光が、私の光が、若い娘と睦みあっているかと思ってぞっとした。この桜の下であなたを待っていた数刻は、さながら生き地獄でした。あなたを恨んだ。そして、彼女を呪い殺すところでした。・・・私はこんな人間です。いつもあなたを独占していないと気が済まない」
「・・・佐為が? 佐為が? うそだ・・・そんなの」
「どうして、嘘だと?」
「だって、だって!・・・・嫉妬してたのはオレの方だよ」
「光?」
「・・・・前に聞いた人のことや・・・・・それに、あいつのことも・・・」
「・・・あいつ?」
佐為は瞳を見開いた。そして、全てを悟った。この時、あの花見の宴で、光が帝にとった態度が全て腑に落ちた。佐為は光をまた抱きしめると今度は頭をなでた。
「光・・・、帝のことを言っているのですか?」
「うん」
「一体、いつ・・・そんなことを」
彼は、溜息をついた。
「・・・確かに帝が私に懸想されているのは事実です。でも、それだけです。深いことはなにも・・・」
「・・・・・・じゃぁ他は!?」
そして、彼は光の首筋から頬にかけて指で優しく愛撫したかと思うと、光の瞳を見つめて言った。「もう・・・・無粋なことを訊くのは止しなさい」
「佐為はいつもずるい」
「私が今こんなに光を愛していても?」
光の目は大きく見開かれた。そして再び涙が溢れた。佐為はその涙を見ると、また堪らなくなった。
「出逢った時からずっとずっと、私は光が好きだった。ずっと・・・・。光を愛している、こんなに」
「うそだ! そんなの」
「・・・どうして信じないの、光?」
「だって・・・いつもオレのこと子ども扱いしてたじゃん」
「・・・一度大人扱いしたら、あなたは逃げてしまった」
「・・・・なっ」
「光に嫌われてしまったのではないかととても不安になりました。・・・光はまだ若すぎたのだろうかと。それに、どう言ったらいいのでしょう。光のことが大切で、大事過ぎて、時々自分でもどうして良いか分からなくなるのです。もし・・・・命に代えても失いたくないものがあるとしたら、それは私にとって、碁と・・・・そしておそらくあなたです、きっと」
「・・・佐為」
光の頬を止め処なく涙が伝った。
「でも時々、光が夜中に私の唇を盗んだりするから、何度その場で組み伏せてしまおうと思ったことか。私は自分を抑えるのが辛かった・・・・・・」
佐為は悪戯っぽく微笑んだ。
「なっ!!!」
光の泣き顔は真っ赤になった。何か言おうとする光の口を塞ぐように、また口付けが落とされた。そうして、二人は互いに愛撫を繰り返した。佐為の腕の中で光は囁いた。
「佐為・・・・、言いたいことたくさんあるのに。たくさんたくさん、あるのに。どうしてかな・・・。何言っていいか分らない。胸が一杯で、どうしていい分らないよ。オレ、ずっとこうしてたいな、佐為」
「では何も言わなければいい。しばらくこのままで居ましょう」
佐為は光をぎゅっと抱きしめた。しばしの間、二人はただ無言で抱き合っていた。お互いの存在を確かめ合うように。
しかし、無情にもうっすらと空が白み始める。佐為は耐え難い苦痛に苛まれながらも、口を開いた。
「光、いいですか? けっして自棄になってはいけない。向こうにいったら、くれぐれも身を慎み、言葉遣いに気をつけなさい。いい、まずは言おうとした言葉を一度飲み込み、口に出して良いか何回も考えるのです。そして、どうしても必要なことだけを口にしなさい。それから、光は好き嫌いせずに食事を取りなさい。夜はちゃんと冷えないように寝るのですよ。それから・・・・・」
「もう分ったから、黙れって」
光は泣いているのか笑っているのか分らないような顔をした。
「だって、光は私が付いてないとどうなってしまうか心配なのです」
「それはオレの台詞だよ! おまえ、オレが居ないと心配だ!」
佐為はふふっと微笑んだ。
「碁は続けなさい。分っていますね?」
「うん」
「光」
佐為は、光を抱きしめた。
「・・・佐為、あのさ。オレ、一杯言いたいことあるのに、なんかちっとも上手く言えないけど、でもやっぱこれだけは言っとく」
「何ですか?」
「オレ、おまえのこと好きだ。大好きだ。愛してるよ」
「・・・・よく、知っています」
霞たつ夜明けに、桜の花びらが二人を取り巻きながらはらはらと舞い散る。
佐為はこれが最後になる抱擁を光に与えた。
別れを余儀なくされた二人は、今、立ち込める都の春霞と、舞い散る花びらに、二人だけの逢瀬をほんのしばしの間、許されたのだった。
−花霞 終−
つづく
<後書き>
この話をリキさんに捧げます。
キリ番25555ゲットおめでとうございま〜す^^!!
光が佐為と別れる時に、歌に気持ちを託して佐為に伝えさせようというのは、最初から構想にあったのですが、「光に佐為ちゃんへのお歌の返歌をさせてください。」とリキさん、言ってくださいました。実に私と発想が似てらっしゃいます(笑)。なので、リキさんへ贈ります。
(正確には返歌ではないんですが、光から佐為へ贈った歌なのでOKですよね^^)
そして、あかりの君よろしく、「花霞」全話を通して、今回も和歌のご指南を頂きましたゆーべるさんにお礼申し上げます。
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