防人の歌二
博多津の周りは湿地が多い。湿地に囲まれるように、居住区が点在している。
光の官舎も港に近いところに置かれていた。外国商人の宿泊所である鴻臚館は但しここから近い。何かの用向きで訪れるには便利な場所だった。
光は勤めを終えて、寂れた官舎に戻ると、いつも直ぐに社から貸してもらった碁盤の前に座った。
佐為と打った対局を思い出して並べる日もあれば、帰りに寄った社と対局する日もあった。社は強かったので、光の良い相手になった。
「なぁ、今日も打とうぜ」
決まって光は社にそう言った。
「またか? おまえ、ほんまに好きやな。ちゅうか、この頃なんかに憑かれたように碁打っとるように見えるで。 それよりどや? 皐月に入りよってから、ええ天気が多いで、たまには遠乗りにでも行かへんか? まだ行ってないとこ案内したるで」
「まぁ、それもいいんだけど・・・・。わりぃな、おまえにはいっつも世話になっちゃって」
と、あまり気のない返事を返す。
・・・だって、毎日打ちたいんだ。あいつと約束したんだ。碁を打ってる限り、あいつと繋がってる。あいつもきっと都で碁を打ってる。だからオレも打つんだ。どんなに離れてたって、オレの心はおまえの傍にあるんだ。だから、石を握るとおまえを感じる。向かいに座るおまえを見ることができる。
一緒にこの道を行く。そう誓った。あいつの前で。
でも・・・・でも、本当はおまえの許に行きたい。心だけじゃなくて、この身も。・・・・佐為、オレの声聞こえる?
「鴻臚館に異国の客が来よったら、いっぺん打ちにいくとええで」
「また鴻臚館の話? そんなに強い奴がいるのか、異国には」
「そやから、何回も言うてるやろ。オレは鴻臚館や、港に近い外人の居住区で碁を覚えたんや。宋から来た仏教僧も強いで。それでオレは、こないに強うなったんやから」
「ふーん、そっか。おまえ確かに強えよな。それになんか斬新な手打ってくる。それも外国人に習ったのか?」
「お、近衛がオレのこと褒めた。珍しいやないか」
「強いよ、確かにおまえ。佐為でも打ったこと無いような、なんか不思議な手打ってくる時あるし」
「なんや、しかもおまえのベタ惚れ師匠も打たない手打つて? そないに言われたらなんや気味悪いやないか」
「別にあいつより強いなんて一言も言ってねーぜ。オレは」
「ふん、ま、ええわ」
ほんまにこいつ、よう分からんやっちゃ。いまだに都でやらかしたヘマも教えへんし。最初は落ちこんどるように見えたけど、やっぱり見かけ通り能天気なとこもある。そうゆうときはこいつむちゃくちゃ無邪気やから、話してて楽しいんやけど・・・。なんや妙に暗い時もあるんや、これが。なんか思いつめてるように見えるで。憑かれたように碁打つのも、なんか関係してんやろか。
社は光と気心が知れるようになるにつれ、天真爛漫な光がその胸の内に抱える最も大事な部分だけは、決して自分にさらけ出したりはしないということに気付き始めていた。
ところで、社の家は、港から徒歩だと半日も掛かる場所にある。なぜなら大宰府政庁に接する官人の居住区に館を構えていたからだ。社の家は何世代も前に都より下向し、そのまま土着の豪族となった家だった。
政庁の役人はほとんどがこうした土着の官人たちで占められている。都の人間は、帥か、あるいは第弐、あるいは小弐くらいである。
しかし、この帥や大弐の権力は他の国の国守とは格段の差があった。帥は従三位以上でなければならなかったし、筑紫の九国二島に於ける絶大な支配力を有している。
そして、渡来人の上洛の許可も帥に一任されている。つまり、帥の許可なしに、外国人は大宰府より東に行けない。平安京に上ることは許されないのである。交易を超えた、国交レベルの客、あるいは敵にとって大宰府は最大の難関だった。
交易もこのころは帥の管理するところである。帥は、交易で得た財を帝や、自らの後ろ盾である要人の家に貢ぐといったことはもちろんだったが、何より、交易で得た財でもっとも私腹を肥やせるのは他ならぬ帥自身だった。地方の国守もその富に於いては、目を見張るものがあったが、ここ大宰府長官・帥の裕福さは比べるべくもないと言われていた。そんなポジションにつける人物、それはエリート中のエリートと言える・・・・はずだった。
しかし、その代償に多くの危険にもさらされている。海賊船による略奪は後を絶たない。毎年、筑紫の沿岸地方は略奪に苦しむのを余儀なくされていた。
「帥殿は今、肥前の国に行ってる。また海賊の略奪に遭うたらしい」
「へー。あっちこっちで出るんだな、海賊」
「ほんまひどい。ここは、いつも矢面に立つ場所なんや」
「でも、外国との交易とか、重要な場所だろ」
「交易は奨励されてる訳やない。どっちかいうと、オレ等の仕事だって、異国と仲良うする為やあらへん。外国人が自由にでけへんように、鴻臚館に押し込めて、見張る仕事なんや」
「そう・・・なんだ」
「そこんとこよくわかっとかなあかんで、近衛」
「うん」
「で、これから行きよる鴻臚館の客、要は昨日入港した宋船の商人やけど」
「ああ、なんかあのむっつりしていけ好かない奴のことか?」
「そう、あのすましたやっちゃ。面向きは宋船や言うてるけど、ほんまは高麗の船なんや」
「はぁ?」
「朝廷が高麗との交易を公式には認めてないから、宋船いうて偽って入港してくるんや」
「へー」
「そやけど、あの高麗の商人、上官の話だとめっちゃ碁が強いそうや。博多に来航しよる度、碁の相手を探してるんや。要は、オレらの出番や」
「いよいよおまえが言ってた異国の碁が見れるんだな。オレ、相手になるかな」
「ようわからんけど。でもおまえならもしかして勝てるかもしれへん」
二人は連れ立って、鴻臚館の門をくぐった。朱塗りの柱。白い壁。威風溢れる豪奢な建物だ。
「歓迎する為じゃなくて見張る為の建物か。迎賓館なんて嘘じゃんか」
「そやけど、今日の奴は豪商やから、帥殿は歓迎しとる。けどな、お高く留まったやつで頭にくるかもしれへん。そやからっておまえまともにとったらあかんで。流したれ。適当にな。ええか」
「わかったよ! 大丈夫だって」
光は深呼吸すると胸を張りながら、社の後を付いていった。そして、そこには背の高い青年ともう一人小柄な少年が椅子に座って待っていた。
社は一礼した。隣で突っ立っている光にもお辞儀を促した。そして、耳打ちした。
「こっちの小さい子は通訳の従者やそうや。」
そして少年の方に話し掛けた。
「通訳悪いな。こいつ、新しく大宰府に赴任してきよった都の検非違使や。帝の侍棋の弟子やから碁結構強いで」
すると、少年は背の高い青年に何か異国の言葉で話し掛けた。青年はにやっと不遜な笑みを浮かべ、光を見下し、何か少年に返答をした。光はその不遜な視線が神経に障るのを感じた。
「おい、何て言ったんだ?」
そう通訳の少年につっこんだ。
「オ、オレ。・・・マダ、ニホンコトバ、スコシ」
「だから今なんて言ったんだって?」
「オマエ、ツヨイ。ウソ」
「はあ!?」
「こいつは帝に囲碁を指南する侍棋の弟子なんや」
と社が言う。
すると、高麗の青年が何かぼそぼそっと言った。
「なんて言ってんだよ?」
「ミカド・・・ノジキ、・・・オレノテキ、チガウ」
「何だって!? 佐為を知らないくせに!」
「ダレ?」
「佐為だよ! 佐為」
「ジ・・・カケ」
「字?」
「名前の字を書け、言うてんやないか」
社は鴻臚館に置いてある紙と筆を光に渡した。商談用には欠かせないものだ。光は紙に佐為の名を書いた。すると青年はそれを見て、可笑しそうにくっくと笑った。
・・・・・くそ! こんな下手くそな字でおまえの名前書いてごめん、佐為!
しかし、笑ったのは高麗の青年だけではなかった。横からも無遠慮な笑い声がする。
「おい!」
光は社の肩を叩いた。
「そやかておまえ、それはないで。そないな気の抜けた字で書かれたら、なんやほんま弱そうに見えるやないか。くっく」
「オレの字で佐為の強さを判断するな!!」
高麗の青年は、笑いを堪えながら、またぼそぼそと通訳の少年に話し掛けた。
「シッテル。キフミタ。デモ、オレノテキチガウ」
「何? 何だって!? キフ・・・・って何だよ、それ」
「棋譜ゆうのはわざわざ、対局を記録したってことやろ。手筋が分るように記してあるんやないか。普通はやらんで。どんなものなんやろな。見てみたいな」
「感心してる場合か! でもそれならどうして、佐為の棋譜を知ってるなんて!? 逢ったことも無いくせに!」
またぼそぼそと少年と青年のやり取りが続いた。
「ニホンイッタコトアルソウノヒト、モッテル。クニデミセテモラッタ。・・・・デモテキチガウ」
「ああ?」
「日本に来たことがある宋人がおまえの師匠の対局を記したんちゃうやろか? そんでその宋人が、その棋譜ってゆうのを持ってて見せてもらった言うてんやないか」
宋? 宋の人が。・・・・そうか、日本に来た外国人が都で佐為に逢って、佐為の強さに驚いて、それで対局を記録した。そしてその記録を、船で外国に持ち帰ったってこともあるのか・・・・。今までそんなこと考えてみたこともなかった。そうか、それならありえるかもしれない・・・・
でも、それなら・・・! あの佐為の対局の記録を見たなら、あいつの強さが分るはずだ! 待てよ、だけど、一体いつの頃の佐為の対局だろう? もしかしたら、あいつがまだ若かかった時の?
光は思いを巡らせた。
でも、「敵じゃない」なんて、なんて傲慢なんだ! 今のあいつを知らないくせに! 許せねぇ。
光の中に怒りがふつふつと湧き起こった。まるで自分の心の中を土足で蹂躙されたような屈辱感を覚える。
だが、光の敵意の篭った視線に、青年は顔をしかめ、首をかしげ、あからさまに不愉快な表情を示すだけだった。
そして、また通訳の少年にぼそぼそ言っている。
「おい、近衛、そないに熱くならんほうがええで。相手は帥殿も歓迎しよる豪商の息子なんや。一応大事な客やから、騒ぎおこしたらまずいで。それにおまえ、ここでヘマやらかしたら、もう行くとこないんやからな。後は国外追放や。それこそ、高麗人には媚売っておかなならんで」
「・・・・分かった。じゃぁ碁で勝負だ」
すると、高麗の青年は黙って、机の反対側にある椅子に光を促し、碁盤を間に置いた。
「なんか、慣れないな、くそ。椅子なんて初めて座る」
「なんや椅子に座ったことあらへんのか。とにかく、熱くなりすぎたらあかんで。落ち着いて打ったれ」
「ああ」
そうして始まった対局だったが、高麗の青年は話の通り、かなり強かった。光はそれでも、怒涛の攻めや巧みな守りを見せ、社と通訳の少年を唸らせた。しかし結局接戦の末に光は負けた。
強い! 悔しいけど、強い! こいつ。だけど・・・だけど、佐為ほどじゃない。遠く及ばない! それだけははっきりと分る。はっきりと分るのに !
光は苦汁を飲んだ。俯き、拳を握り締めた。
「くそぉぉ!」
搾り出すように、光は言った。高麗の青年は相変わらず、斜に構えた仕草をしていたが、俯いて拳を握り締める光を、訝しげに黙ってじっと見つめていた。傍で見ていた社と通訳の少年は疲れきったというように、ほおーっと息をついている。
そんな時だった。光の肩にぽんと誰かの手が置かれた。
光は反射的に振り返る。そしてそこに立つ人物を見ると、驚きの声を上げた。
「うわ!」
「よお、久しぶりだな。近衛、ようこそ大宰府へ」
そう言って光に声を掛けたのは、冠に直衣を着て、何人かの従者を従えた貫禄のある人物だった。
「そ、帥殿! お帰りにならはったんか? おい、近衛、帥殿や。頭を下げへんか!」
「いや、堅苦しくしなくていい。それより、おまえがここへ来るとはな。はっはっは」
「おまえ、帥殿を知ってるんか?」
「知ってるも何も! だって緒方様じゃないか。なんでこんなとこに居るんだよ? ・・・いや、居るんですか?」
「何でこんなとこに居る? おまえらしい言い草だな。春の除目を知らないのか。興味なしか? オレが正月に従三位に叙せられて大宰帥に任命になったのを知らなかったのか? え? 呆れた奴だな」
「だって! 正月の頃って、オレ怪我してて、ずっと佐為んちで養生してたんだ。いや、してたんです。だから、その・・・」
「それは心外だな。おまえが関心ないのはいい。それより、おまえが知らないっていうことは佐為殿の話にも上らなかったという訳か? オレのことは」
帥はそう言うと、不服な表情をした。
「あいつ、人の官位とかそういうの、まるで興味ないやつだから。仕方ないよ。いや、仕方ないです」
光はフォローしたつもりだったが、しかし、帥は含み笑いを漏らすとこう言った。
「ふっ・・・まあいい。あの人らしい。それよりお客人をちゃんともてなしたのか、近衛」
「え、あ、ああその・・・」
「ほお、なかなかの碁じゃないか。おまえが、高殿にここまで、善戦するとはかなり腕を上げたようだ。さすがは佐為殿に碁の手ほどきを受けたとある」
緒方の帥は高麗の青年の方に向き直ると、挨拶した。
「ようこそ、大宰府へ。今日は、歓迎の宴を用意しております。どうぞ、私の館においでください」
「おい、近衛! おまえはこの方達をオレの館にお連れしろ。おまえの歓迎も兼ねてやろう。宴に出るんだ。いいな」
「え、オレが!?」
この様子を社はあっけにとられて眺めていた。
「おい、おまえ、帥殿と知り合いやったんか?」
「う、うん、まぁ。知り合いって言っても、もちろん佐為を通じてだよ。あんな上流の人」
「ああ、またおまえの師匠か? なんや、おまえことあるごとに、ほんま『佐為、佐為』言うてんねんな。ま、ええわ。行ったれ。粗相するんやないで!」
そう言うと社は光の肩をぽんと親しみを込めて叩いたのだった。
ほんまにへんなやつ。憎めない・・・、っていうのはああゆう奴を言うんやろな。自己チューなんやけど、なんか知らんが世話やきとうなる。ほっとかれへん。人好きのする不思議なやっちゃ。近衛っていうやつは。それでこいつの話に、もう百遍は出て来よった「帝の侍棋」ちゅう人は、一体どんな人なんやろ? めちゃくちゃ興味そそられるわ。
社はまたも、光についてそんな風に思いをめぐらすのだった。
つづく
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