小夜鳴鳥五



 天のしじまに何を祈ろうや
 無情を嘆くはただ天上人のみにあらず
 地に流るる愛別離苦のせせらぎに身を立てて
 今しばらくはその試練に耐えんとするか


 今宵は、宮廷で乞巧奠が行われる。この日は文月の七日だった。清涼殿の東の庭にはかがり火がいくつも焚かれ、机には山海の恵みに五色の絹。そして琴が置かれていた。織女の手仕事の巧みにちなんで諸芸の上達をかの姫星に乞うのである。

 さて、清涼殿にはこの夜、公卿方や、主だった公達が集められ宴もたけなわだった。陰陽師の若者は、昼から準備で忙しかったが、始まっても気が抜けないのは同じだ。次は、管弦の遊びである。しかし、病に臥しておられるかの方から頼まれたあの人が居ない。琵琶を奏でる中納言殿はもう席に着いているというのに。一体何処に行ってしまったのだろう。彼はやれやれというように、龍笛の奏者を探しにかかる。

 確かに、先ほどは見かけたと思ったはずだ。こういう宮廷行事の時はいつもこうだ。何処かにひっそり身を隠す。まったく一苦労・・・・ さてそろそろ本当にお出ましにならないといけないのに。
 もっと小さな集まりならこんなことは有り得ない。彼はもともと目立つし、それがもし帝のご臨席の催しであれば、お傍に召されていることが多い。だから直ぐに目につく。だが、公卿方もいらっしゃるようなこういう祭事の時は彼は決まって目立たないところに隠れてしまう。
 そんなにまで・・・・、父君に出くわすのを避けているのだろうか。では、父君から遠いところを探してみよう。まずは、父君が居られるのは何処だ? 
 明はあたりを見回した。関白殿がおいでの場所を探す。しかし、目当ての一団を探し出した途端に、彼は拍子抜けした。そしてわが目を疑った。なんと関白殿と絶対一緒になどいるはずがないと思ったその彼が・・・、帝の侍棋の君が、そこに居るのである。そう、父君の前に。
 何をしているんだろう!?あの人は・・・? 

 明は訝しく思った。
 見れば、目当ての青年は父君と何か話している。こんな光景を明は初めて見た気がする。正直少年の胸に驚きと共に湧き上がるのはたまらない好奇心であった。明は、少し躊躇ったが、真っ直ぐに彼と関白殿の方へと足を向けた。

 好奇心だけじゃない。本当に佐為殿を探しているのだ。そう思う。
 ところがボクが近寄るうちに、関白殿は一言二言何か佐為殿に言われたようだったが、間もなくお付きの方々と行ってしまった。そういえば、先月ご実邸である関白殿のお屋敷に里下がりされていた中宮様が姫宮をご出産されたことを思い出した。何かそれと関係があるのだろうか。
 明はこんな風に思いながらも、今は目の前に立っている目当ての人にやっと声を掛けた。
「佐為殿、もうすぐ管弦の遊びです。中納言殿がもうご用意されておいでです。佐為殿もあちらに。」
 すると、何か我に帰ったように彼は振り向いた。
「ああ、すみません。そうでしたね・・・しかし・・・」
「しかし?」
「いえ、やはり私がやらねばならないのでしょうか。すみません、あなたにこんなことを漏らし・・・でもいくらでもほかに吹き手は居らっしゃるでしょうに」
 彼はそう言うと溜息をついた。
「なにを今更おっしゃっておいでです。帝直々のご指名とあらば、ご名誉なこと。ダダをこねられても困ります。さぁこちらへ」
「あなたに叱られては仕方ありませんね」
「ボクは行洋殿に頼まれているのです。あなたは宮廷にいまだに慣れないところがおありだからと」
 そうだ、ボクは彼と違って、あなたとじゃれ合うような真似はしないし、こんな言い方しか出来ないのだ。
「・・・・」
 彼はボクが奥の手を出してしまうと、もう黙った。あの対局に臨むときの表情とは全く違う、例の困ったような情けないような顔をして帝の御前へ上がる。
 あんな風に言ったが、佐為殿が渋るのにはもっと深い理由があった。中納言殿は他ならぬ、佐為殿の兄君だったからだ。
 関白殿の同じご子息でも、母君も違えば、育たれた環境も違う。事実、関白家とは縁薄く暮らされている佐為殿に中納言殿もあまり弟君という感覚は持っていないらしい。それはこのあいだの左大臣邸で、彼と接した折にも充分良く感じられた。とても身内の対局を見ている、というご様子には見えなかったからだ。
 ご兄弟という感覚がないのはどちらにとっても同じなのかもしれない。が、しかし、順風満帆な道を歩まれている中納言殿は気さくで、あまりものを気にしないタチのようだった。だから、この組み合わせを厭わしく感じているのは佐為殿の方だけにちがいない。しかも、それが父君の御前とあらば、尚一層のことなのだろうか。

 しかし、楽が始まると、彼は落ち着いた表情で中納言殿の琵琶に合わせて、龍笛を奏でた。
 美しい音色だった。中納言殿の琵琶は確かに噂どおり素晴らしかった。が、あのように困り顔の割には中納言殿に劣らず佐為殿の龍笛の音色も素晴らしいと、ボクは思った。
 其処に居る者たちは皆うっとりと聞き惚れた。
 中納言殿は快活で若々しく、佐為殿のような一種独特な美貌ではないにしても、充分に立派な貴公子だった。二人の合奏する姿は美しく、乞巧奠を彩るには相応しい人選だったと言えよう。
 多くの者が二人に見惚れ、彼らが奏でる音色に酔いしれたのである。

 夜の闇に灯火のせいで、視界が眩しい。だが見れば、やはり帝は誰よりも心を震わせて管弦に耳を傾けておいでのようだ。見事な調べが止むと、佐為殿はほっとした様子で下がった。幸いにもよく天は晴れ渡り、星が綺麗に見える。

 この後、他にも幾人かが、合奏なさった。そしてこのような雅な調べが終わると、恒例であるが、やはり今宵も帝が演奏をされた方々の内の何方かにご自分の衣をお与えになるご様子・・・・
 お召しになっていた衣をお脱ぎになる。もしやと思い、見ると佐為殿は瞳に少し不安の色を浮かべている。しかし、結果はこの場に居る勘の良い幾人かの大方の予想に反したものだった。帝は衣を中納言殿に与えたのである。
 中納言殿の歓喜されたご様子のなんとも好ましいこと。中納言殿はこのお礼にと、舞を披露なさるようだ。
 ついまた佐為殿の方を見てしまう。
 安堵に胸を撫で下ろしたような表情をしていた。ああ、そうだろう。ボクもほっとしたくらいだから。
 しかし誰を見ている? 眼差しの先には・・・・帝? そうだ、帝だ。そして帝もまた佐為殿を・・・・
言葉で伝えなくても分かる、そう、何も人前で衣をお与えにならずとも・・・ということだろうか? 

 中納言殿の舞は琵琶同様に美しく隙がない。
 衣を佐為殿が賜るだろうと思っていた幾人かの人々は、少し当てが外れたと言う顔をしてはいたが、舞の素晴らしさにすっかり、「これでこそ・・・」と中納言殿を誉めそやした。

 そして、こんな風に目立つことを嫌う佐為殿はといえば・・・
 おや・・・・疲れてしまったのだろうか。それとも安堵からだろうか。座して俯き瞳を伏せている。中納言殿の舞を見もせずに。気になって彼の方ばかり見てしまうが、しかし、一向に顔をあげる様子がない。どうしてしまったんだろう? よほど疲れたのか。それとも・・・・? いや、違う。ああなんという・・・
 はた目から見れば、あれでは「いくら自分が選ばれなかったからといって、あまりに失礼であろう」ということになってしまうではないか。むろん、佐為殿がどんなにそれとは正反対に思っていたにしてもだ。ボクは心配になって辺りを見回した。あの彼の様子に気付いている者が帝の他に居はしないか? 
 そう、むろん、帝は気付かれておいでだ。見ないようにして、ご覧になっているのは佐為殿のことばかりなのだから。
 帝はいい。しかし他はまずい。その時気付いた。佐為殿の方を指しながら内大臣に耳打ちしている随身が居る。ボクはとっさに席を立った。目立たないように、ひっそり彼の後ろへ行くと、小声で呼び掛ける。
「佐為殿、佐為殿!」
 すると、彼は少しだけ背を揺らして、我に返ったようだった。
 なんとも重たげな瞼をなんとか上げたという顔で振り向いた。
初めは酷く呆然としていたようだけれど・・・・・・直ぐにすまなそうな顔をしてボクに礼を言った。 
「すみません、明殿。つい・・・・」
「疲れておいでなのですか?」
「いえ・・・はい、そうですね。申し訳ありません。もう目が覚めましたよ。」
「もう少しですから、気を付けてください。そうじゃないのは百も承知ですが、はた目にはあなたがふてくされているか、あるいは中納言殿を軽んじているように見えてしまう。」
「申し訳ありません・・・皆さん、私の粗相に気付かれたでしょうか?」
「いえ、おそらくボクのほかにはそんなには・・・だが、あなたは人の注目を何かとお集めになる。あなたを密かに想って打ち眺めておいでの方は多いでしょうから・・・・、意外と多くの方に気付かれておいでかもしれませんよ・・。」
 半分は大人びてからかいを込めてみたつもりだが・・・。
「そんなことはありませんよ」
 彼は優しく微笑んで流しただけだった。
 それにしても・・・・・。
 何時の間に、彼らは瞳で会話をするようになったのだろう。やはり何かが以前と違う。何かが。ああそうだ、あの時偶然拝してしまった恐ろしい御顔とは違うのだ。かつて見たあの・・・・
 そう、偶然見てしまった、帝の暗い瞳。あの去年の秋の日の宮中の渡殿。内庭に居た佐為殿と今はここに居ない彼の大切な大切な検非違使の少年。二人の仲睦まじい様子に、暗く重い瞳をしておいでだった。恐ろしいものを見た。
 どうしてだ? 彼が居ないからか? 帝の勘気を買っていたあの彼が居ないからなのか。邪魔者が消えたから、お二人は良い関係を保たれているというわけか? 帝の瞳は穏やかで・・・以前のあの刺すような燃えるような眼差しを・・・少なくとも人前ではなさらない。
 それは帝のお心が少しは慰められたというしるしなのか? 
 だが佐為殿は・・・? 佐為殿はどうだ。分からない。ボクには分からない・・・
 ああ、またこうしてボクは多くを見る。
 今宵は遠い空の下に居るキミのことを少しは考えることが出来たなら良かったのに。

 

 陰陽師の心に広がる波紋とはまた別に、こちらの貴人の想いもまた千々に乱れていた。
      分かっている、分かっているのだ。
 余が衣をそなたに与えはしないかと、不安な眼をしていることくらい。
 そのような心配はいらない。もう、去年の歌合わせのようなことをしてそなたを困らせたりはすまい。 そんな誰にでも通じるような甘言や慰みが、そなたに通じぬことは痛いほどもうよく分かったのだ。
 だから安心するがよい。
 ああ、しかし、いくら安堵したとはいえ、そのように、長い睫を落とし、瞳を閉じ・・・どうしたのだ? 緊張が解けたのか・・・佐為? だがそれはまずかろう? 
 それにそなたは緊張しているようになど見えなかったぞ。竜笛を吹く其の姿の美しかったこと。
 やはりあまりに安堵したということなのか? 
 のう・・・だが囲碁以外のこととなると、全く表に出たがらないそなたを、このような公の席に引っ張り出し、疲れさせてしまったのか? 
 やはり余は無理を言ってしまったのだろうか? そなたの笛を聴きたいなどと。
 だがしかし、そなたは言ったのだ。
「いつも、私の為にお力になってくださる大君がそのようにお望みなら・・・・、私はどうしてお断りすることが出来ましょう。私の笛などでよろしければ、奏し奉りたいと存じます。」
 そなたは余が望めばこうして応えてもくれる。
 これくらいの我が侭は良いであろう?のう、佐為。
 そなたの為になら何でもしてやりたい。
 そうだ、何でもしてやろう、佐為。
 そなたが望むなら碁に専心できるようにもっと心を砕いてやろう。もっともっともっと。
 今、そなたは宮廷に於いては余以外に頼る者はいない筈だ。そうであろう? 聡明な行洋が病み臥しているのは残念だが、今の余にはありがたきこと・・・少なくともあやつの存在に余は替わることが出来た・・・のだろう・・・か。・・・だから。

 そうだ、大抵のことなら、叶えてやろう。大抵のことなら・・・・

 だが、その一方で常に心に巣食う後ろめたさが余を責める。
 ・・・そんな奇麗事を言って誤魔化すなと。
 実のところは違うではないか、他に頼るところを消し去り、弱みに付け込んでいるだけではないか、と。
 聴きたくない。そのような声に耳を貸したくはない。
 ああ、だが・・・・・しかし。こんな美しい夜には・・・・・、こんな星の綺麗な晩には・・・・堪らなく胸が痛むのだ、・・・・・・・佐為。

 そして、そなたを見る。
 陰陽師の機転で恥をかかずに済んだそなたもまた余を見る。

 昔はあのような眼差しを余に向けることなどなかった。
 何処か哀しげに、憂いを帯びながらも、決して余を責める目ではない。今、余はそなたの側に居る。どんな過去においてよりも近くに。これがすべてだ。どんな風にでも良い。そなたにたとえ1寸でも近づけるなら。
 そんな風に思いをめぐらす余はやはり既に狂っているのだろうか。


 こんな風に乞巧奠の夜は過ぎた。幾人かの言葉にならない想いを抱いて。
 それぞれの胸の内を知るのはただ天のみ。


 夜も更けて、佐為を乗せた牛車が西門をくぐると、中門の方で主人の帰宅を待っていた家人が何やら騒いでいる。
「どうしたとのいうのです。そのように慌てて?」
「佐為様、間に合われて安心いたしました。早く、庭へ、南の庭へお回りください。」
 佐為は渡殿を通って、寝殿の南面の簀子へと出るとまた沓を履いて庭に降りた。家人の指す植え込みに近寄ると、彼はあっと声を上げた。
 そこには見事な大輪の花が一輪咲いていた。月下美人だ。幾重にも重なって開いた白い花びら。月光ばかりでなく、天の川に散らばった玻璃の光を集めたように美しい。
「なんという素晴らしい花でしょう。このような花だったのですね。」
 彼は感慨深げに闇に匂い薫る白い華やかな大輪の花を眺めた。
「一体何時咲きました?」
「一刻ばかり前でございます。」
「そうですか。ではこれはあと半刻も持たないかもしれないのですね。」
「ご帰宅が間に合わないのではないかと気が気ではありませんでした。間に合われて本当にようございました。」
「本当に・・・そうですね。間に合ってよかった。それにしても七夕の夜に咲くなんて・・・・ね。」
 彼は、ぽつり、誰に言うでもなくそう呟いた。
 夜空の玻璃の光に照らされた静かな庭で、やがて間もなく花が閉じ、天を仰いでいた美しい花弁が地に垂れて萎れてしまうまで、彼はじっとその場に独り佇んでいた。



 それから数日後、佐為が参内した折の帝との語らいは、より一層和やかなものだったという。
 内侍の桜宰相の君がおっしゃるには、このようであったと・・・・


「とても美しゅうございました。お見せすることが叶いましたら、どんなに良かったことでしょう。」
「そうか、それは奇遇だな。余のところに残しておいた株にも七夕の次の晩、咲いたのだ。一夜ずれて咲いたのだな。」
「ではどのような花かもうご覧になったのですね。」
「ああ、なかなか見事な花であったな。あのように華やかで美しいものだとは・・・そなたにやった株に先を越されたは少々悔しい気もするな。どうせなら同じ晩に咲けばよいものを。」
「ふふふ。花の美しさに後先は関係ありますまい。きっと、御殿で咲いた花の方が見事にございましたでしょう。」
「いや・・、それはどうか・・・花も木も草も、あるいは小さな動物も・・・・、皆主に似るという。主に似るというなら、そなたの庭の花の方が美しいであろう。」
 帝はこのような褒め言葉を臆面もなくよく口にされる。
 けれど、そんなお言葉を賜る佐為の君には以前のような苦痛の影は見えず・・・・
「主に似ると・・・? それなら尚のこと御殿のお花の方が美しゅうございましょう。」
 佐為の君は素直なお方。ご本心からそのように言われたのであろうと・・・・
 お二人のご信頼し合うお気持ちは何時の間にか深まったように拝せられ・・・
 そして、またこんな風にも・・・・
「女一の宮様はとてもお健やかにお育ちとお聞きしました。」
「はは・・・、どういうわけか、皇子ばかりであったが今になって初めて姫宮に恵まれた。まだ一度しか、逢いに行ってはいないが、とても愛らしい姫であったぞ。そなたにとっては姪に当たるな。姪が叔父に似るということはよくあること。そなたに似れば良いのだが。」
 とまぁ、ぬけぬけと、よくもそんなことを・・・・ということまでおっしゃる始末。いえ、帝は心底、初めての姫宮を愛しいとお思いのよう。叔父に似るなどとおっしゃったけれど、中宮様は佐為の君とは全然似ていらっしゃらない・・・いえ、それどころか、あまり大きな声で言えぬことながら、佐為の君の方がずっとお美しいのは、後宮の誰もが知ること。随分と無理やりなお望みではあられるが、姫宮へのご愛情も、そして、佐為の君へのお心も等しく深いものであられる証拠かと。帝はとても慈しみ深いお方なのだから。
 そんな風にお話になる帝に、佐為の君は瞳を細めてただ優しげに微笑まれておいでで・・・・その佐為の君にまたこんな風にも・・・
「姫宮が大きくなったら、そなたに囲碁を教えて貰うというのも良いかもしれぬな。そなたが幼子に碁を教えるのもあのように上手いと知ったからにはなおさらだ。」
「左大臣殿の若君のことを言われておいででしょうか? ふふ、あの君のことを言われておいでなら、私は自信がございません。」
「どうしてだ? あの童子とはあれからもじっこんにしておるのだろう?」
 左大臣家の幼い若君になつかれてしまった佐為の君はどうやら、その後左大臣様より若君の囲碁指南のご依頼を受けられたのだとか。それで、ちょくちょく左大臣さまのお邸に通われておいでなのだと・・・・
「時々、お訪ねしますが、一向に囲碁を好きにはなってくださいません。いつも碁をお教えする前に、まずはいろんな遊びのお相手をしなければならぬのです。」
「ははは、そうなのか。あのやんちゃな童子ではそうかもしれぬな。」
 帝はまたも楽しげに和やかに笑われでおいでだった。
「だが、そなたは幼い姫も好きであろう?」
 帝は何の気なしにそうおっしゃった。少なくとも、私はそう思いました。おそらく佐為の君も・・・。
 しかし、帝は何故か直ぐに話題を移され・・・。
「それはそうと、そなた、この間の乞巧奠では余を随分とひやひやさせたな」
「・・・? 私の演奏がお気に召しませんでしたでしょうか・・・?」
「いや、そうではない。そうでは・・・・そなたの笛は素晴らしかった。本当はそなたに衣をやりたかったのだ。分かっておろう?」
「…はい。お心、光栄にございます。」
「そなたの見事な演奏の後のことを言っているのだ。」
「…あ、…ああ、あの。」
 佐為の君はやっとお気付きになったよう。おろおろされて申しあげられるには・・・
「大変申し訳ございませんでした。君の御前であのような失態を・・・・」
 すると帝はお気に入りの、佐為の君のあのご表情を、それはそれは愛しげにご覧になり・・・・
「よいのだ。そなたは疲れていたのであろう? 多忙であったと聞いた。それなのに、あのような無理を言い、余の方こそすまなかった」
「いいえ、とんでもございません。とんでも・・・・・・・本当にいつも、いつも感謝申し上げているのでございます」
 佐為の君はあの涼やかなお声に平素よりも増してお気持ちを込め、そんな風におっしゃった。帝もまたそのお声を御胸に沁み込ませるかのように瞳を閉じて耳を傾けておいでだった。

・・・・・貴方様を父と慕いとうございます。
・・・それで良い。それでもよいのだ。どんな形でもよいから、余をそなたの近くに置いて欲しいのだ・・・・


 最後のお二人のお声は、さて、佐為の君がおっしゃったことなのか・・・・それとも帝の心のお声だったのか・・・・それともお二人の睦まじい会話をお聞きしていた私が自ずと、胸に聞いたお声だったのか・・・?
 ああもう定かでは・・・・・どうか皆様お許しを。

 宮廷の帝に仕える女房方にせがまれて、お得意の話術で淀みなく語られた桜内侍はそんな風に話を締めくくったのだった。


 つづく

 

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